おお大山よ、なんじ何者ぞ 巨大不動の大山よ、
天も汝の額を仰ぎ 汝の足は陰府に届く。
悲しいかな、我は久しく汝を知り わが衷に汝の確立を感じ
汝の重圧の下に我は呻く 汝こそは内在の罪なれ。
汝はわが思念の中の暗黒 わが意志の中の頑強
常に悪に執着する 放恣盲目の愛
荒める情の放逸 怒り、貪り、高ぶり、これ汝なる、
汝こそは罪、罪深きこと 心の不信仰なれ。
汝をそこより動かすは 人の力、勢いには不可能なれど
神、全能者の御前には 汝は解けて流れる。
わがゼルバベルは近く在す わが信仰は空しからず
主イエス顕れたまえば 汝は平地とならん。
チャールズ・ウェスレー
『信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。』(ヘブル書十一章三十節)
いま我らは最後の二つの絵画を学ばんとしている。その場合は同一である。一つは敵の徹底的滅亡、今一つは破滅からの徹底的救いの物語である。
ここでも聖霊がその題材の選択に払いたもうた異常のご考慮に注意を払いたい。イスラエルの荒れ野における彷徨の旅からは、一つの出来事もその題材に取られず、我らは紅海から直ちに約束の地へと導かれる。信者のための最も肝要なる教訓に満ちているヨルダン川横断の物語さえここには省かれている。四十年にわたる不信仰の荒れ野においても信仰の多くの例があったけれども、神の御霊が、この国立画廊に顕れるべくその一つの肖像をも許したまわざることによって、神は、神を崇めざる恐るべき年代記を喜びたまわざることを明らかになしたもうた。
私は繰り返して言う。これら最終の選抜は最も注意深くなされている。これらは、人生のすべての場合における勝利する信仰の原則を教えている模範的研究である。これはイスラエル人のこののち出会うべきすべての戦いにおいて何を期待すべきかを教える、模範的勝利であったのみならず、またあらゆる時代を通じての模範である。
イスラエル人がヨルダン川を渡るや否や直面したこの強固なる城砦、石垣をめぐらせる町、敵の要害は、彼らが逐次払うべき敵の単なる一要塞のみではなかった。それは代表的の敵で、更生においてもなお残留するところの肉性なる、生来の悪の代表者、また著しき型であった。そしてここに神がその約束の地に城砦を構えおるすべての敵を払い除きたもうご企図、御旨、またその道が描かれている。そしてそのご企図、御旨、道は、徹底的滅亡であった。それは勝利以上のことであった。イスラエル人はしばしばエリコと戦いを交えること、例えば毎月一度戦って続けて勝利を得るといったようなことを期待されるのではなかった。否、敵は全く徹底的に亡ぼされるべきであった。そしてこの地の残れる民もまた滅ぼし尽さるべきであったのである。エリコの滅亡は模範的の滅びであり、救い出しの道もまた模範的のそれであった。この大いなる邑の石垣を崩したもうた神は、もし信仰の学課が徒に学ばれなかったならば、いずれの所でも同じことをなしたもうのである。
神は、イスラエル人を追い来れるエジプト人が亡ぼし尽され、彼らは永久に再びそれを見ざるべきことを約束したもうた(そしてその約束は成就されたのである)。それは信者の経験にもいかに真実なることぞ。かつては飲酒や情欲やその他の悪しき行為の奴隷であった幾千の人々が、神の御霊により新生するや否や、かかる悪癖の敵は永久に殺され、飲酒喫煙淫乱などの嗜慾が全く取り去られ、かつてかかることのなかりし者のごとくになったことを証しする。そして神がその贖いたまえる者を約束の安息の地に連れ来りたもう時には、性質上の悪をもまたかくのごとく亡ぼし尽くしたもうのである。多くの人はその回心の時にその外部的の露骨な悪の亡ぼされたごとく、幸いにも内部的の悪も同じく根本的に亡ぼし尽くされたことを証しすべく生活するのである。
我らがいま見んとするこの絵は、或る点において、全体の研究中最も顕著なものである。他の画像の場合にはそれぞれそれ自身の署名とでも言うべきものがある。すなわちその一つ一つにその主人公の名が刻まれている。されどもこの戦の絵には何の名も見えぬ。エリコの石垣の崩れたことに責任を負ったのは誰の信仰であったかを示すべき代名詞さえも記してない。されど聖書においては、代名詞の欠けていることでも有意義で、この場合においてそれはただ神のみ独り栄光を得ねばならぬことを教えるためである。その信仰によってこの奇蹟を行った者は、ヨシュアでなく、武装した軍隊でなく、なおまたイスラエルの全会衆でもなかった。この不可能事を成し遂げたのはむしろ神ご自身、信ぜられたる神、信頼せられたる神、依り頼まれたる神がそれをなしたもうたのである。
ヨシュア記第五、六章に語られている話に関係したる本文の聖句のうちに、信仰の最も深い学課の三つが顕されている。
(一)信仰の謙遜、(二)信仰の従順、(三)信仰の忍耐、これらを順序に従って考察することにする。
イスラエル人は既に彼らのルビコン河を渡った。ヨルダンは既に彼らの後ろにある。彼らの新統率者ヨシュアは、直ちに城壁堅固なるエリコに向かわねばならぬ。彼は今その形勢を考察し、疑いもなく作戦、戦術をいかにすべきかの考慮に耽っている。時に突然、抜剣をもって彼に立ち向かう者を見た。彼はそれは必ず敵軍の大将ならんと思い、『あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか』(ヨシュア五・十三)と挑戦する。しかるに『いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ』(同十四)という不思議な答えが来た。すなわちあなたに救いを施し、敵に滅びを来らせんと備えおる、見えざる天使の大軍旅の大将であると仰せられたのである。
戦士的聖徒ヨシュアは神たる御方の御前にあることを実覚し、主のこの御使いの前に膝を折り、ひれ伏した。神のかかる顕現はモーセにさえも与えられなかったところである。モーセは燃ゆる柴を見、シナイ山にて雲と火の中より出ずる神の御声を聞いたが、人の形にて顕れたもう神を見たことはなかった。されどもイスラエルの民はもはや彷徨の旅を終わって約束の地へ入ったのであるから、来るべき戦いにおいては天の軍勢が、その大将に導かれて、その望みのままに彼らを助けるがゆえに、戦いは必ず勝利に帰することをその僕共に確信せしめるべく、主ご自身顕れたもうたのである。
驚いたヨシュアの唇から破れ出た言葉は『わが主は何をしもべに告げようとされるのですか』(同十四)であったが、さらに驚かされたことは、軍旅の将のお答えは、彼の軍勢を配備すべき命令ではなく、『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である』(同十五)と仰せられたことである。かの燃ゆる柴の中から語りたもうた主は、今また戦場にて同じことを命じたもう。この戦場においていかなるとっさの際にも、進退いずれともそれに処すべき備えを靴として穿いている将軍ヨシュアも、暫時その地位を棄てて、彼の主であり神でありたもう御方を礼拝せねばならぬ。かくて初めて戦闘の計画に関する指図が与えられた。攻撃は急激なるべく、長く包囲して敵の出陣を待つなどのことはあるべきでない。城壁も倒され、石垣も崩さるべきであった。されども大砲も破城槌も用いるべきでなかった。否、天の破城槌が用いられるのである。偉大なる大元帥の見えざる軍隊、見えざる軍勢がこれを転覆し、崩壊し、滅亡すべきであった。天使らの手が必ず勝利を確保する。かくて神のみが栄光を得たもうのである。救いは主より来る。そしてその働きは奇蹟でなければならぬ。『万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである』(ゼカリヤ四・六)。かかるものが勝利、信仰の見るところの勝利である。神がこれらの秘密をその民に啓示したもう時、人は塵に臥してへりくだる。働きたもう神の幻示は舌の争いを黙せしめる。人間の働き、人間の成功は、常に他人をして嘆美かしからざれば嫉妬、賞賛かしからざれば批評、諂諛かしからざれば怨恨を起さしめる。されども神の全能の力の開示は我らをして塵にまで謙らしめる。福音の御奉仕においてもこれは真で、神が実際のリバイバルの力にて人間から独立して働きたもう時に、人間の舌の賞賛も批評も沈黙する。信仰の目が神のお働きを見る時に、驚嘆と崇敬と讃美などの幸いなる感じが霊魂を満たし、心は安息する。イスラエルの指揮者の態度はかくのごときものであったのでなければならぬ。彼は勝利の確実なることを知った。彼は主を見、また主に聞いた。我ら自身の心もこれらの感じに同意せぬであろうか。神の強力なる救いの力を経験した我らは、我らの自由を得たことは奮闘にも努力にもよるものでないと、充分よく承知している。我らも信じ、そして働きたもう神を待った。そして不可能事が成されたのである。我らは、もちろんそれは我らの信仰に随ってではあるけれども、ただ見るべからざる軍勢と我らの大将の見えざる御手を通して、我らのエリコの石垣が我らの前に崩れる時に、塵埃の中に伏し謙ったのである。
ヨシュアは主の御言を信じた。神の御指の一触がエリコの石垣をその基礎からゆるがし、その傲然たる城壁を地に倒れしめることを知った。紅海においてもヨルダンにおいても水の分かれることを見た彼は、神において不可能はないと知っていたのである。されば彼は今、これらのことが神の戦術であること、神がこの特殊の仕方にて働くべきことを決定したまえることを確かめれば、その他のすべては容易であった。かく彼の謙れる心は安息したのである。
神の御旨とご企図の幻示を受け、聖霊によってそれを信ずることを得せしめられた者は、何事かをなすことによってその信仰の現実を顕すべきことが、常に神より求められる。その或ることは些細な軽微なことで、実行容易なことであるかも知れぬが、しばしば世人の目にまた常識に照らして滑稽で、馬鹿らしくさえ見えることがある。
かかる実例は聖書の中に乏しくない。今その二つを挙げよう。かつて貧しい寡婦がその負債を払うべき方法を求めた時に、彼が真に預言者の言葉を信じたことの証拠として、隣人より大小の空きたる器を借り来るべきであった(それは実に自らを卑しくする経験であった)(列王紀下四・一〜七)。またヨシャパテとアハブの軍勢は『風も見ず、大雨も見ないのに、この谷には水があふれる』と仰せられた主の御言を信ずる証拠として、この谷に多くのみぞを掘るべきであった(列王紀下三・十六、十七=新改訳等)。そのごとく、この時エリコの城を取るにあたって、武装した軍人らはみな司祭らに導かれて、ラッパを吹き鳴らすほかは全く沈黙を守って、六日のあいだ邑の周囲を回り、七日目には七回回り、ヨシュアの命ずる時にみな一斉に勝ち鬨を挙ぐべきであった。石垣の内におる敵にはこの所為が全く滑稽に見えたであろう。彼らの考え得るは、イスラエル人が毎日邑の周囲を回るのは、どこか守備のない門か手薄な所を見つけて、そこから討ち入らんとするであろうというのであった。しかし結局失望に終わるに決まっているとは、少なくともエリコの警備兵の考えたことであろう。神の戦術は、世に属する敵には全然測り知られざることである。彼らは将に起こらんとすることについては最小の考えも持たなかった。彼らは見られ得ざる軍勢についても、また天の大司令官についても何も知らなかった。
そしてイスラエル人はいかにと見るに、彼らもヨシュアの見た幻示は見ておらぬ。主の軍旅の将と会見して戦闘の計画を示されたというような話は、お伽噺か夢か幻覚のように聞こえたであろう。しかしかかる状勢においても彼らを動かして信ぜしめるほどに、攻撃の計画は的確、命令は明瞭であった。その上に今一つなお強い証拠があった。というのは、契約の箱が今一度その留まりおる所から引き出されて、武装せる軍隊の前に行くべきことであった。僅かに数日前、彼らはその奇蹟を行う能力を見た。すなわちその前にヨルダンの水は分かれ、彼らは徒渉することを得たのである。これは神の臨在と能力の保証であった。彼らはヨシュアのごとくに幻示も見ず、神の顕現にも接しなかったが、実際、契約の箱の存在を通して、見るべからざる大指導者の偉大なるお働きを実見しているのである。
彼らのエジプト脱出以来、約束の地に向かう長い旅路のあいだ、主の臨在は種々顕著な型をもって彼らに確認されていたのである。すなわちそれは殺された小羊、竿に挙げられたる蛇、撃たれたる磐、花咲きたる杖、幕屋、海と川の分かれたる水、および契約の箱である。
これらのもののうち、最後の、たぶん勝利の保証として彼らに与えられた最も顕著なるものは契約の箱であった。この箱の中、そして贖罪所の下に、モーセの律法なる神の言葉があった。肉体となりたまえるキリスト・イエス、すなわち神の贖罪所、神の言葉そのものであり、そのうちに神のすべての約束の然りとなりアーメンとなりたまえる御方なるキリストの型で、これにまさる包括的の型はない。この契約の箱が彼らと偕に在った。これは(信仰の目をもって見る者のほかには何らの意義も重要性も認められないが)彼らにとっては十全の保証であった。かくのごとく、世の人の目には愚かしく滑稽じみて見ゆる信仰の実際的言い顕しが、信仰する霊魂を安心せしめるのである。
我らは、我らの高められ昇天したまえる大将の神的聖意を確かめているであろうか。そのご命令を確認しているであろうか。そうであるならば、我らの目を確かなる約束の御言なる契約の箱に注ぎ、たとえ我らに要求される従順の特殊の行為が自然の理性には愚かしく見ゆるとも、我らは断じて従い行き、勝利に至り得るのである。
およそ信仰には、その働きにも報いにも時と期がある。もちろん信仰の本質的原則としての時はいつでも今である。『見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である』(コリント後書六・二)。『聖霊が言っているように、きょう』(ヘブル三・七)。『きょう、あなたの家に泊まることにしているから』(ルカ十九・五)。『あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』(ルカ二十三・四十三)。日本の諺に『明日のことを言えば鬼が笑う』ということがある。これはみな真である。けれどもまた信仰の報いが与えられ、その成就の顕れるには定まった時があるように、信仰を働かすにも常に定められた時がある。
我らが考察してきたほとんどすべての肖像にもこのことが証明されている。『ノアは……お告げを受けたとき』(ヘブル十一・七=新共同訳)、『アブラハムは……召しをこうむった時』(同八)、『サラはすでに年の過ぎた時』(同十一=欽定訳)、『アブラハムは、試錬を受けたとき』(同十七)、『ヤコブは死のまぎわに』(同二十一)、『ヨセフはその臨終に』(同二十二)、『モーセは、成人したとき』(同二十四)、『ラハブは平和をもって間者を接待したとき』(同三十一=欽定訳)。しかり、そのときに彼らは信仰を働かせたので、その以前にではなかった。いずれの場合にも信仰を働かすべき定まった時があり、勝利が得られ、または約束のものが獲得される前に、成し遂ぐべき条件があったのである。エリコの倒壊にあたってもその通りである。これが霊感による聖書記者によって注意せられている格段なる点である。我らは活動写真を見るごとく、信仰を続ける一週間に一回邑を繞れる進軍、ことに忍耐を試みられる最後の七回の進軍を見る。そして『エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた』(同三十)のである。
ここでかの傲慢なるスリヤの大将が、ヨルダン川で七度その身を洗った物語が思い出される。その時、彼の信仰はいかにはなはだしく試みられねばならなかったことぞ。彼はその癩病の斑点が幾分かずつ次第次第に取り去られることを期待しつつも、彼は医癒の神の奇蹟的権能の何らかの徴候を見ることを許される前に、七回の洗いが全うされるまで待たねばならなかったのである。けれども主の御言、主のご命令は明確である。いずれの場合にも七度が指定された限度であった。かくイスラエルの軍勢もスリヤの癩病人も共に、この点は決して疑問のうちに残されておらなかった。それゆえに、もし彼らが信じなかったならば、それは許すべからざること、道理なきことであったであろう。聖書を通して、七という数は完全を表すために用いられている。されば神の天軍の見えざる手がエリコの石垣を崩壊せしめ、神の見えざる手をして癩病人を潔くならしめたのは、神が見おろして『忍耐力を十分に働かせ』(ヤコブ一・四)たことを認めたもうたその時であったのである。
これは我らの学ぶべき最も肝要なる学課である。エリコの城壁をまわる沈黙の進軍のごとく、黙して祈る、信じ続ける祈禱の忍耐は、第七日の第七回の後、勝利の歓呼をもって冠づけられるのである。かく信じつつ祈る祈禱の日がその地位に何らの変化を見ずして続く時、日毎に我らの心を謙らしめ、我らを追いやっていよいよますます自己に失望し、我らの神に対する謙った依り頼みに至らしめる次第である。
私は既に、このエリコ攻略の物語は、その第一の適用は今し全き救いの約束の地に踏み入った者のためであるということを指摘した。ここに城壁を繞らし、堅固なる石垣にて武装しおる敵は、我らがキリストの買い受けたまえる嗣業の盈満に入ることを阻止せんことを求める、神に逆らう肉の思いの型である。さればこのエリコ崩壊の話は、我らがいかにして全き救いにまで信じ貫くべきかを教える貴重なる教訓に満ちた、極めて肝要なものである。
そしてそれはまたすべての時代にも適用される物語である。多くの聖徒の生涯にその大いさや形状を異にする種々のエリコがあって、これを攻め取って進む必要がある。それゆえにこれは実に無限の価値ある物語である。我らは外国伝道地に在って、それが実地の生活に繰り返されることをしばしば見ることである。
二、三日前、私は日本海軍の退役下士官で、いま我らの聖書学校の卒業前にある人と語りつつあった。彼は将来主の御奉仕に多く用いられると思われる人である。私が、彼がいかにしてキリストを見出したかを問えるに、答えて彼は、かつて呉の海軍病院に入院していた時、見舞ってくださった C.M.S. の宣教師 C.O. ピカード・ケンブリッジ氏の伝道を通して初めて福音に興味を持ち、光を受け、救いの必要を覚るに至ったと語った。彼はその後、彼の郷里に帰り、日本伝道隊の伝道者を通して信仰の道を示されたのであるけれども、古のラハブのごとくに、彼はその熱心なる主の僕によって、その使言を平和をもって受けたのである。
さて、ケンブリッジ氏のその海軍病院の伝道に関係して興味ある話がある。当時、主イエスの福音をもって官立の病院などに入ることは容易でなく、それはしばしば困難なるエリコの城であった。そして神がいかにしてこの特殊の病院を開きたもうたかの話は、このところに語らずして止まれぬほど、この章の題目の説明に適当である。そしてそれは、神がその大いなる御目的を成し遂げられるためにいかに小さい愚かしき事共を用いることを喜びたもうかを表している。
我らの婦人宣教師の一人、ミス G. が呉の町に働くべく遣わされた時、この海軍病院に入院患者を訪問する全き自由の許されていることに驚き、或る機会に、ミス G. は院長に、いかにしてこの許可が与えられているかを問い、彼はキリスト信徒にあらざるかを尋ねたれば、その答えはほぼ次のごとくであったということである。
『私はキリスト信徒ではありませんが、私の妻は信者で、私の子供等はキリスト教の信仰の中に育てられつつあります。まだ私が青年であった頃、外科の特別研究のために海軍省からロンドン留学を命ぜられました。その出発に臨んで、私の友人や親戚たちは私にどうしてもキリスト信者になってはならぬと強く勧告しました。けれども私は虚心坦懐、もしできるならばキリスト教というものが青年たちにどんな影響を及ぼしているか、彼らの生活にどんな地位を占めているかを直接に観察したいと決心して英国に参りました。
或る日、私がロンドンの町を歩んでいました時、私は一人のお使いに行く子供が籠を肩に掛け、何か流行歌を口ずさみ、手に杖を打ち振りつつ私の前の舗道を歩むのを見出しました。ときに突然、彼の杖が手をはずれて、彼の通りつつあった所に近い家の窓のガラスを一枚破ったのであります。
私は心の中に、この使いの子供がどんなに急いで走って逃げるかを見ようと思いましたが、驚いたことには、彼は立ち止まり、籠を肩からおろし、入口のベルを鳴らすのでありました。私が彼に追いつき、立ち止まって聞けば、その家の主人にことわけを言い、今はお金を持っておりませぬがこの週の賃金を貰いましたならば帰ってきて、破れた窓ガラスの代を払いますからと言うのでありました。彼が入口の段を降りて行こうとする時、私は彼に話しかけて、『なぜ君は走って逃げなかったのか、ここには外国人である私のほかには誰も見ている者はなかったのに』と言いました。
すると彼は答えて、『あなた、それは間違っています。私を見ている御方がありますよ。私の天の父は私を見ておいでになり、ご自分の子どもたちが、人の窓ガラスを壊し償いをせずに逃げ去ることを悦びたまいません』と申しました。それを聞いて私は深く感じました。
数週後に、私はビクトリア・ステーションに入ろうとしていました時、二、三の赤い上着をつけた靴磨きを見ました。私はシャフツベリー卿の働きと彼の靴磨き隊について読んだことを思い出し、私も彼の若者たちの一人によって靴を磨かせたという話の種にと思って靴を磨かせました。
その小さい子供が磨き続けて、ほとんど顔を映して見ることのできるほど綺麗にしました。私はその賃金の二倍を払って、いかによく磨いてくれたかを賞めました。すると笑顔で私を見上げ、『あなた、私は主イエス様のために靴を磨きますよ』と言いました。
私はこの二つの単純な出来事に非常に感動しました。そして私は、私が日本に帰って結婚する時には信者の婦人を娶り、私の子供はキリスト教の信仰に育てるようにしたいと決心しました。私はまた、私に与えられるあらゆる機会を通して、キリスト教の伝道のできるよう力を尽くそうと決心しました。それが今、キリスト教の婦人たちに、ここに来て患者を見舞ったり、キリスト教の書物を頒布することを許している理由であります。私自身はまだキリスト信者ではありません。私は極めて多忙な生活をしておりますが、来年、海軍から退けば、時を取って聖書を読み、またキリスト教の真理を学びたいと思っております。』
この話のうちにあるこれら二人の、人に知られぬ子供等は、その日、自分たちは主のために何をなしつつあるかを知らなかった。
真に神はご自身の偉大なる御意図を成し遂げるために、人生の小さい弱い事共を用いることを悦びたもう。人間的に言って、もしそれら二人の子供等がその仕事に忠実でなく、人の前にその主を言い表すことを恥じたならば、それらの石垣は決して崩れなかった。すなわちその病院の門戸は主イエス・キリストの福音のために決して開かれなかったであろう。
私がこの話を聞いたのは数年前のことで、しばしばその結果について聞きたいものと考えていたが、いま全く予期せぬ時に、この退役海軍下士官から少なくともその一つの結果を知らされた。この退役下士官は前途大いに望みある男である。誰か彼がその種の初穂の刈られたその所から数千里離れたロンドンの町の舗道に落ちた二つの小さい種から豊かな収穫を刈り入れる偉大なる救霊者にならぬと知ろうか。また今この我らの日には知られざるも、天の国の記録に録されるこの話のほかの結果があり得ぬと誰が語り得ようか。またラハブの名が記されあるごとく、天の系図に記録される、人に知られぬ幾多のラハブの名があり得ぬと誰が言い得ようか。かくしてこれらの名もなき二人の子供等は、久しき昔エリコを訪うた無名の間者と共に、かしこで喜ぶであろう。彼らいずれも、共に全能にしてまた全く忠信にありたもう神を信じ、また宣言する業において、等しく忠実であったのである。
| 序 | 緒言 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
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