信仰の善き戦いを戦え。すべての誘惑、落胆、漂浪、世の思い、すべての無益なる交友、不信仰なる心や肉の思いの躊躇を打ち破って進め。主イエスに触れ、主より出ずる癒し慰める御力を感ずるまで押し進め。そして既に主に至る道を明らかに知りたらば、主がその聖霊の驚くべき作用によって君の衷に住みたもうを見出すまで、接触を繰り返せ。
君はまた今、そしてまた引き続く各瞬間、かかる信仰によって主イエスに行くことが君の特権なること、また君はその軽率な錯乱した動揺する頑固な心のほか、何物も持って行くものがないということを憶えねばならぬ。ここに、多くの憐れなしかも貴い霊魂の大いなる誤謬がある。彼らは未だ慰安、平和、喜び、愛、その他のものを持たぬのに信ずることは僭越であるとして、敢えて信ずることを恐れる。しかしこれらのものを信仰より前に持たねばならぬと思うのは、樹を植えずして果実を期待すると同様である。信ずる前に何らかの美徳を期待することを警戒せよ。
マデレーのジョン・フレッチャー
『信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。』(ヘブル書十一章二十八節)
緒言の章において言ったごとく、私はここに肖像よりはむしろ景色に関する二つの場面を示さんとしている。しかもいま我らの前にあるこの景色には中心人物があって、それはモーセである。
我らはこれまで彼の個人的生涯、性格、教育に関して、その信仰を考察してきたが、ここでは彼の畢生の事業であるその国民の救い出しの動力としての彼の信仰を見るべく招かれている。
この二つの景色は、一つを『死の過越』、他を『死を通しての過越』と称することができる。そしてそこに描くところの二つの出来事は、出エジプトの二つの局面を我らに語る。さてこれらの場合を描いている二つの節を注意して読めば、その主格が異なっていることに気付く。すなわち二十八節は『信仰によって、……彼は過越を行い』で、二十九節は『信仰によって、人々は紅海を……渡った』である。すなわちヘブル民族の救い出しを成し果たす手段となったのは一個人の信仰であった。そしてその一個人はモーセである。されど実際のエジプト脱出にあたっては、人民は彼ら自身の信仰を働かすことを要したのである。さて我らの描かんとする場面の主人公であるモーセの、長い生涯においての最も興味ある、また最も教訓に富むところの出来事はみな、今これより書かんとする一事、すなわち出エジプトの、後に起こるところである。すなわち彼の曠野の旅、彼の指導、彼の立法、彼の将略、彼の智慧、彼の忍耐、また彼の神との交際など、これらはみな彼の大信仰につきほとんど無限の例証を提供する。されど聖霊はそれらについては何も言いたまわぬ。出エジプトからエリコ陥落までの四十一年にわたって一つの場面も我らのこの国立画廊の題材とはなっておらず、モーセの公生涯における、その信仰の特に目立って大いなる行為、すなわち過越の制定が、唯一の題材として聖霊に選ばれている。されどこれは怪しむべきことでない。何となれば、これは旧約聖書における肝要にして教訓に富むすべての出来事のうち、最も重要なることであるからである。
これはヘブル人の国民的生活の始めであり、彼らの礼拝の基礎であり、彼らの歴史における最大の出来事であり、そして世の贖い主の犠牲の御業の最も明らかな型であった。ユダヤ人は常にこれを回顧しこれを憶えることによって、教えられ、警戒され、また慰められた。後の時代を通じて、ユダヤ人は幾度となくこれによってエジプトにおける奴隷生活とその救い出しの奇蹟、また彼らの神の大能と優愛を憶い起した。彼らの中に起こった宗教の復興、またその先祖の信仰への復帰の機会となったのは、常にこの過越の祭を厳かに守ることであった。これは彼らの国民的起原として、また彼らが地上のほかの民より永久に分離した決して忘るべからざる紀念として、数千年の間、守り続けられたのである。そして主イエスがその弟子たちに『あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた』(ルカ二十二・十五)と仰せられたのは、すなわちこの過越の節筵であった。
パトモス島において、天の諸々の栄光の幻示がヨハネに与えられたが、そのうちで最も栄えある、最も彼の心を奪うものは、世の初めより殺されたまいし小羊(黙示録十三・八=元訳)であった。小羊の血、小羊の怒り、小羊の歌、小羊の新婦、小羊の婚姻、小羊の書、小羊の御座。これらは天使や天使の長たちの心を奪い、心を満たす題目である。しかり、それはまた永遠の代々を通して、贖われたる無数の民の心を満たす題目である。
さればモーセのよってもってこれらの永遠の事実の少なくとも或るものを理解し得たその信仰が、彼の生涯の事業中の最大事として聖霊に選択されたことに不思議はない。
信仰によって、モーセは過越と血の灑ぎ、すなわち過越の節筵と過越の式を行った。
ついでに注意すること。ここに『行い』とある語は、原語では単に『なせり』であるが、この節の意味は過越と血の灑ぎが『守られるようになした』ということと見える。
さてこの簡潔な句によって示される思想の中心は、もちろん過越の儀式またその執行でなくして、モーセの信仰である。さてモーセの現に信じたのは何であったであろうか。何故に信じたか。彼の信仰の目は何処まで見ていたであろうか。彼の関心はただその民の直接の救い出しのみであったであろうか。彼の信仰は、その型であるところの本体を凝視していたではなかろうか。彼は、その当時の神の家に忠実なることが『神の全家』、すなわち諸時代を通じて我らみなその一員であるところの教会に影響することを自覚していたのではなかろうか。
神においては、その民をエジプトから引き出だすに、これ以外の方法をもってすることも充分可能であった。後の歴史にて知られるごとく、神の救い出しの方法は種々ある。モーセも必ずこれを知っていた。さらば何故にこの方法によったのであろうか。モーセの神の命に対する従順は盲目的ではなかった。彼は信仰によって行った。彼は神のその御言を成就し、その定めた仕方によって民を救いたもうことを信じたことは無論であるが、確かにそれ以上、さらに多くのことを信じたのである。
彼は、殺されたる小羊、灑がれたる血、過越の節筵が、ヘブルの国民的宗教の基礎たるべきことを天来の確信をもって信じたのである。犠牲の必要なること、贖償の要求されること、来らんとする審判より逃れるべきこと、これらは束縛、苦難、苦痛よりの救い出しに必須の条件であるけれども、イスラエルの民は当時これらのことの何も知らなかった。彼らが自覚し、また願っていたところは、エジプトの駆使者の束縛、督責者の鞭撻、その悲惨なる境遇から逃れんとすることのみで、来らんとする審判については何の知るところもなく、また心にも留めてもいなかったのである。
過越の劇的出来事を実地に経過しても、イスラエルの民はただ、神のなしたまえる『行為』を見得るだけであったが、モーセは神の『道』(詩篇百三・七)、すなわち過越の節筵と血を灑ぐことの背後にあるその理由、その必要、その智慧、その恩恵を見、また了解した。ここにモーセの行為の価値がある。
されどモーセの信仰にはなおそれ以上のことがある。もし神の御言のうちに記されている信仰的大行為で、ほかのものにまさってさらに注意すべく、またさらに感謝すべきことがあるならば、モーセのこの行為がそれである。さればムーディー氏は、出エジプト記の第十二章は旧約聖書の枢軸であり、聖書中の最大なる章の一つであると言っている。さればモーセがその時我らのため、また活ける神の全教会のためになせるところは何であったか。いま我らは天より遣わされたる聖霊とカルバリの光に照らされて、かつてモーセがただ比喩と模型とにて見たところのことを理解することができる。けれども我らがゴルゴタの福音書の記事の啓示する以上のことを見得るはモーセを通してである。主イエスご自身も、御復活後に、その弟子たちに対してご自身の犠牲の奥義を解示したもうに、旧約聖書の型をもってするを必要としたもうたほどである(ルカ二十四・二十七、四十四〜四十六)。そもそもカルバリは歴史の前後に関係のない孤立した出来事ではない。それは長い間、預言においてあらかじめ示されたことであり、長く模型によって準備され、また長く神の永遠のご企図として啓示されたことである。そしてモーセの信仰によって立てられた過越の節筵と灑ぎの血は、その型の本体たる、世の罪を除く神の小羊ご自身の受肉と苦難の実現するより前において、啻にユダヤの歴史においてのみならず、世界の歴史における最大なる、また最も意味深い出来事である。
モーセはなお後に成し遂げられるべきこの大きな出来事をば遙かに見、かすかに模型と形象にて見た。されども我らはこれが予め預言に示されているのを見、歴史においてその成し遂げられたる事実、復活によって保証され、聖霊の降臨によって堅くせられ、幾千万と数えがたき、贖いの恩寵の戦利品たる救われたる霊魂の証をもって冠せられたるこの事実を見る。しかもなお我ら疑うか! かかる不信仰は、天と天に住む者にはいかに不屈な、いかに恐るべきことと見えるであろうぞ。されば主イエスが『わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である』(ヨハネ五・四十五)と仰せられたのも実にしかるべきことである。
『信仰によって、滅ぼす者らが、長子らに手を下すことのないように、彼は……血を塗った。』
私が既に注意したとおり、イスラエルの子孫にとってはエジプトとその奴役から逃れることがおそらく彼らの唯一の顧慮であったであろう。そして彼らの奇蹟的の救い出しは、もしこれのみが記録されたとしても、それは実に驚くべきことでその後数代の記憶に留まり、来るべき時代のために歴史的記録に祀られたであろう。されど信仰はなお一層遠い、また深いことを見たのである。無窮に伝えらるべかりしことは、エジプトの剣より遁れることでなく、主の剣より遁れることであった。滅ぼす天使の過ぎ越すことは、エジプトの奴役からの救い出しでなく、神の義の御怒りからの救い出しであったのである。イスラエルの民がエジプトとそのまつわりから離れた後までは、灑ぎの血の意味は実現され得なかった。その時に彼らが考え得たすべては彼らの肉体の救い出しのことであったのである。けれども日を経て、彼らの曠野彷徨の体験が彼らの心の背反、不信仰、怨言を彼らに顕すに至って、鴨居に灑がれたる血の意味深きことは(鴨居に血を灑ぐことはその後の過越の祭には決して繰り返されなかったのである)、すべて考え深い悔い改めたる霊魂には一層深い認識、一層輝く光、一層謙りたる感恩、一層深い平和、一層豊かな喜びを齎したのでなければならぬ。
エジプトからの救い出しはユダヤ民族の先祖たちが死活的関心を持った歴史上の事実であった。けれども灑ぎの血は別のことであった。それはすべての時のための話である。それは義しき神につき、罪の価につき、なお後に来るべき犠牲につき、時を限らぬ永久の主義につき、全世界の必要、全世界の救治について語る。それは罪の有罪からの救いである。信仰が見たのはこれであり、モーセが無窮に伝えたのもこれであった。ここにその式の設立の価値、すべての時代のために価値がある。エジプト人が自ら蒔いたところを今刈り取るべきであったということは真である。何となれば、殺されたヘブル人の嬰児らの血は長く復讐を叫びつつあったから、『復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』(ヘブル十・三十)とあるごとく、その応報の時がついに来たのである。されどもヘブル人もまた彼らが主の審判を免れ得たるは彼ら自身に何ら善きところのあるためでもないということを学ぶべきであった。すべての人格の基礎は赦罪と、功なくして受ける恩寵とに置かれる。愛を分解すれば、謙遜と感恩と同情(自己と神と人類の各々に対して働く徳)となるが、かかる愛はただその源泉からのみ湧き出るのである。信仰の見るところはこれであり、モーセをして血の灑ぎを命ぜざるを得ざらしめたのはこれであったのである。それは信仰によってなされた。それは審判の何らかの徴候のない以前になされ、滅ぼす天使が最も確かに現れることの確信をもってなされたのである。かの悲劇的出来事は、彼の信仰を義とし、それが何ら錯覚でなかったことを証拠立てた。かくしてそれは来るべき審判の確実なることと同様に、またそれよりの救いの確実をすべての時代を通じて我らに確証するのである。されば、これはカルバリの十字架によって、その栄光あるまた恐ろしき威厳の中に啓示さるべき永久的原則として、ヘブル民族の年譜のうちにいつまでも祀られるべきであった。
『信仰によって……彼は過越を行い』
私が既に述べてきたことが灑ぎの血につき真であるならば、それはなおさら過越の節筵についても真である。実際にエジプトを去ることに関する限り、過越の節筵によって何ら物質的の助けを受けたのではない。旅行の前の食事は、単なる肉体の必要に関する限り普通のものであり得たのであるが、この聖なる交わり、この共同の食事、この屠られた小羊を共に受けることには、遙かに一層深いものがあった。そしてそれはただ信ずる霊魂にのみ知られ、先見者の預言的視力によってのみ見られたのである! もとより各々の家族が同時に、腰を引きからげ、捏粉の包みを肩に背負い、急いでそれを食すべき命令は、彼らの出発を容易ならしめたことは真である。けれどもそれを種入れぬパンと共にまた苦菜を添えて食すること、肉を焼くこと、明朝まで残し置くべからざることなど、詳細の命令は、エジプト脱出を容易ならしめるために役立つことではなかった。否、過越の節筵に与ることは深い表徴的の行為、厳粛な意義を伴う霊的聖奠で、カルバリの十字架において今日我らが学ぶ学課の最も神聖なる教えを、型をもって示すところのものである。
信仰によってモーセは過越を立てた。彼の信仰がかすかに理解したところのもの、それらの教えが何であったか、また我らのために何であるかを、主イエスご自身知らしめたもうた。すなわちかの不朽の章句(ヨハネ六章)において主は、過越の小羊を食することの意味を我らに示したもうた。
小羊が屠られ、その血が鴨居に塗られる。かくて通り過ぎるエジプト人が皆これを見、また嘲る(ここにキリストを公に告白し、彼の恥を我らに引くことの必要が示されている)。そしてその後に小羊は食べ尽くされるべきであった。小羊の肉は、これを屠ったその人によって食されるべきであった。屠るためにその生命を棄てたところの犠牲が、今は屠る者の生命を支えるべきである。おお、何たる比喩のここにあることぞ! 我らの罪が救い主の死の原因であったのである。その我らが救い主の御肉と御血に与り、信仰により、感謝をもって我らの心のうちに彼を食するように招かれるのである。確かに、ここに赦罪以上のこと、神の義しき審判の過越以上のことがある。ここに永遠の生命の秘訣がある。ここにおそらく天の国の奥義中の最大なる奥義があるのである。
イスラエルの子孫に命ぜられている七つの犠牲(出エジプト記に一つ、レビ記に五つ、民数記に一つ)のうち、ただ四つのみが食することを許されている。そしてその四つのうち、礼拝者自身に与ることを許されているのはただ一つである。ほかの三つは、これを食するのは祭司の分だけである。過越の小羊のほかいずれの犠牲も、その全部が奉献者によって食され得るものはない。ここで主イエスが語りたまえるは過越の小羊についてである。救い主ご自身の内住の臨在は、永遠の生命の賜物よりでさえも一層驚くべきことであると言うべきであろう。ここに、もし我らが彼の血を飲むならば主は我らの心におりたもう、すなわち我らが十字架に釘けられたまえる主を食する時に、甦り、昇天し、栄光を帰せられたまえる主がそこに住みたもうべきことが告げられるのである。聖パウロも同じ真理を我らに思い起さしめている。彼が『キリストが、わたしのうちに生きておられるのである』と言う時に、彼はここに『キリストと共に十字架につけられた』ゆえにのみでき得るのであると語っている。この十字架上のキリストと一つになることは、神の子の血と肉を飲み、食し、これに同化することの別の言い方にほかならぬのである。小羊の血によって来るべき怒りより逃れるということは幸いなることであり、永遠の生命を受けていることはまたさらに幸いなることであるが、我らが主の御肉を食し、御血を飲むことを学んだゆえに、信仰によって、キリストの我らの心に住みたもうことを見出すということは、それにまさってまたさらに幸いなることである。
ここに今一つの学課がある。わたしはこれを一層深い学課と呼んでもよいであろう。主イエスはここでご自身の生命、ご自身の御言、ご行為、またその行いたまえる奇蹟の秘訣を我らに啓示したもう。彼は『父によって生きている』と我らに語りたもう。彼の日々なしたまえること、語りたまえることは聖父によって霊感を与えられ、またそのご能力によって働かせられたもうのである。
もし我らの生活を主イエスの生活の模写であらしめ、我らもまた主のご足跡を踏みたいならば、我らは彼の肉を食し、彼の血を飲むべきである。我らが摂取するところの食物は、我らの肉体を養うばかりでなく、我らの肉と骨、我らの血液と筋肉の一部となるごとく、我らのキリストの犠牲と死と生命を信ずる信仰によってそれに与ることは、我らをして主の生命と性質そのものへの同化に与らしめるのである。主のご謙遜、ご慈愛、ご忍耐、神に対する依り頼みなどが我らのものとなるのである。活ける聖父がキリストを遣わしたもうにあたり、ご自身の愛子に、すべてその必要なる能力を聖霊によって供給することを自ら誓いたまえるごとく、そのごとく主イエスも我らをエジプトから曠野に、そこからまたカナンへと遣わしたもうにあたり、もしただ我らが感謝をもって我らの心中に我を食するならば、すべて我らの必要を供給すべく自ら誓いたもうのである。
『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の生命があり』。しかり、ここでいま持つのである。されどもそこになおまさったことがある。『このパンを食べる者』、すなわちそれを食し続け、与り続ける者は『いつまでも生きるであろう』、すなわち永遠の祝福と栄光の生命に入るのである。愆祭、これはまた食することを許される犠牲であったが、これは過越の犠牲の続きである。『最後まで耐え忍ぶ者は救われる』(マタイ十・二十二)。もし我ら信仰によって主の御肉を食し、主の御血を飲み続けるならば、永遠の生命に入るのである。神の既に与えたまえる永遠の生命の賜物が没収されねばならぬわけもなく、生命の書から我らの名が消されねばならぬわけもない。主はすべての我らの必要のためにも、すべての我らの歩みのためにも、その天の御国に我らの入ることのためにも、充分に備えていたもう。そして唯一の条件は、信仰によって、主の完成したまえるご犠牲によって養われつつあることである。
さて、出エジプトの物語は例えば二幕の劇のようである。第一の場面は我らがいま考察しつつあったところ、過越の節筵、灑がれたる血、出発せんと備えして静かに座しおる民、神聖な食物、ひきからげたる腰である。その記憶すべき夕べ、すべてのヘブル人の家には平和、期待、喜びと光明があり、人みな覚めていた。しかしすべてのエジプトの家には、人みな眠っている。そこには暗黒があり、死があり、最後に苦悶の叫びが起こる。
第二の場面は我らの次の章に描かんとするところで、奴隷たりし地からの実際の出発である。
これを我らの経験に当て嵌めれば、第一の場合は神との関係を正しくすること、すなわち赦罪、贖罪、および審判の御怒りより防護されることを我らに語り、第二の場合は新生、すなわち奴隷たることよりの救い出し、世と肉と悪魔の権能より遁れることを示している。これは同じ一つの救いの二つの局面である。時間からすればその経験は一致するが、霊的意義よりすれば絶対に判然と区別がある。もちろん赦罪なしに新生はあり得ず、新生なしに赦罪はあり得ないということは真実である。けれどもこれらのそれぞれの重要なる意義は混同されるべきでない。
前者においては、モーセが働かせた信仰が考えられている。信仰によってモーセはその民のために差し迫れる審判からの遁れ場を備えた。ここまでの我らの研究の題目は、モーセの信仰の性質と内容に限られていた。我らは、当時モーセがその企図するところのことの偉大さ、すなわちそのことが永く後世に及ぼすところの重要性を実覚していたとは想像しあたわぬ。もちろん少なくともシナイ山にて彼が受けた一層充分なる啓示において、大いなる犠牲制度と、なお将来顕さるべかりし型の実体との関係を悟り得なかったと想像することはできないけれども、当時の彼の関心は、それのみとは言わぬが、主として当面の危機に処する途であったのである。
さりながら、我らは暫くこの章の光をもって、ただ彼の信仰の内容と性質ばかりでなく、また彼の信仰の能力をも考察することを要する。実はこの章の主題は信仰の活動力と効力である。
我らが既に認めたごとく、我らのこの画廊には、信仰の例証に何らの重複も浪費もない。実例の一つ一つが異なった、格別の学課を教えている。アベルの犠牲はここに繰り返されていない。それは個人的の救いを来らしめるところの信仰について我らに語っているが、ここモーセの場合にては、それは一国民の救いのための信仰である。それによってこの大立法者モーセはその民全体の注意を把握するところの能力を持った。かくして、猶予なくすぐにも出発したいとはやる心が不思議に鎮められた。かくして彼は民の家々、一人一人の注意をば、過越の節筵と灑ぎの血という心を奪う題目に集中せしめ、神をしてその救い出しの力を顕すことを得せしめまつったのである。感謝すべきことは、モーセのこの話は唯一無二の出来事でなく、種々の時代を経て繰り返されつつある。マルティン・ルターは、かのピラトの階段にて『義人は信仰によって生きる』(ガラテア三・十一)という大激励辞を聞いて立ち上がり、自ら永久に自由の身となったことを見出した。彼自身の言葉によれば『その時わたしは一個の新しき人として再び生まれ、開けたる門を通して神のパラダイスに入ることを得た自分を見出した。……真にパウロのこの聖句こそはわたしにとって天の門であった』のである。
この激励の辞は大改革者の口と筆を通して次々に伝えられて、世界を覚醒したのである。『信仰によって』、ルターはローマの害毒と呪詛が活ける神の教会を破壊せざるよう、大改革を起したのである。
ルターに真であったところはまたウェスレーについても真であった。歴史家レッキーの言えるごとく、現在の無代価の救いと共に成聖の真理がウェスレー兄弟によって宣べられたことは『フランスの革命より更に悪しき革命から英国を救った』のであるが、更によりまさったことをなした。ウェスレーの信仰は、多くの人々の生涯にその表現を見出し、聖霊による世界の大運動の或るものにその特徴を与えている。支那の幾億の民の救いの責任を神より負わされている支那内地伝道会は、その起原をウェスレーのリバイバルの所産から発していると共に、救世軍も、よしその存在そのものはウェスレーの感化によると言うことができぬにしても、その偉大なる勢力はこれに負うのである。
これらと等しく顕著なる他の実例をここに列挙することは紙面の許さざるところであるけれども、一人の聖徒の信仰は一国民を救い、一人の信者の信仰が多数の人の模範となり、一個人の信仰が万人を敗走せしめるとは、おお何たる奨励のここにあることぞ! 願うところは、今この時代においても或る人、すなわちモーセのごとく信仰をもって揺籃に置かれ、モーセのごとく、キリストを獲るために一切のものを損なりと思うに至った或る人が、これらの言葉を熟読することによって心を動かされ、『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』という主の御声を聞き、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』と答えるに至らんためである(イザヤ六・八)。もとより一国民を救ったモーセの信仰が一瞬間の所産でなく、また或る霊感の突然の閃きでないことは、私も十分に承知している。それは我らが既に先の研究にて学び来ったところの深い経験の所産であり、成果であった。されども今やその畢生の事業に向かって出立せんとする青年信徒の目がたまたまこの章に述べる単純な思想に触れ、その心に達するならば、私はただ祈る、彼らの衷に聖き大望の焔が燃やされ、福音を聞かずして死に行く世界の悲惨を見、キリストのために受ける辱めは現代のエジプトの財宝よりも勝れるとし、見えざる御方を見て、神の民と共に苦しむことを善とし、万人を敗走せしめ、多くの人をして乳と蜜の流れる地に入らしめ得るほどに、神を信ずべく聖霊によって力づけられんことを。
私はこの書の読者がみなルターたりウェスレーたるべしと言うのではないが、我らの一人一人が各その課せられたる限度において、人の霊魂を救うこと、すなわち滅ぼす使いの過ぎ越し得るよう、彼らのために信じ、また信仰によって彼らのまわりに血の防壁をおき、来るべき御怒りを避けしめると共に、今ここで彼らを包囲しまた追求するところの暗黒の力から遁れ得しめることの、我らの義務のみならず貴い特権、また神秘的な権能を実感するに至らんことである。
外国伝道地における経験から、この救霊の特権、権能の、ほとんど無数の実例が与えられる。私はただ一ヶ月前に私の注意を惹いた、かかる一例をここに掲げるだけで充分と思う。
私は田舎の小さい信者の群れを訪問して、それらの群れの中心地なる一つの大きな市に至った。そこで大学附属の大きな病院の会計係をしている人に紹介された。この人の話である。この人はかなり教育のある人であるが、早くから飲酒癖に陥り、ここかしこに漂流したあげく、朝鮮に来て失業していたが、そこで国境の或る警察に勤務することになり、寂しい警察署の責任を負いながら、彼は相変わらず飲酒を続け、在る夜、非常に酩酊して帰り来り、ランプを転覆して火災を起こし、そこを全く灰燼に帰した。翌日、火災を報告して朝鮮人を放火罪に訴え出たのであるが、良心の呵責と生活に疲れ果て、拳銃自殺を企てたけれども、頭を撃ち損じたので死に切れず、瀕死の重傷を負って病院に入った。後に回復して退院し、警察からも免職された。
彼は日本に帰って、鉱山の学校に勤めたが、そこで数週間の訓練は彼に充分であった。生徒のうちにストライキを起こして彼は再び免職された。その後は旧友の親切な世話によって文部省の或る書記を務めることになったが、またもや飲酒が彼の破滅を来らし、また免職された。彼の友人が間もなく某大学に転職したので、再び彼に機会を与えるべく病院の事務員に採用したのである。私が彼に会ったのはそこである。けれども飲酒放蕩はなお彼を離れず、酒客譫妄症にかかり、入院させられ、そこでは飲酒ができぬために回復して退院を許されたのである。
この時、そこよりあまり遠からぬところの一教会の牧師で、以前から彼を知っている主の僕が、昔のモーセのごとく、この憫れな、悪魔に捕らわれ奴隷とされおる犠牲者のまわりに、かの奇蹟を行う血の防壁を置くことを決心し、彼をその家に招きて宿らしめ、日ならずして彼を十字架に導いた。救い出しは直ちに行われ、その変化はすべての人に驚異であった。時を経るほどに、大学の官吏である彼の友人と病院の院長はそれを見て、それまでキリストの教えも権能も知らなかったので、そのご要求にも無関心であったが、彼に起こったことを非常に感じ、かかる奇蹟を行った福音を看護婦や患者や職員に対して何の制限なく宣伝することを許し、およそ三十五人くらい、毎週、祈り、讃美し、御言を聴くために集まるに至った。
大きな整備した病院にて、彼はその毎週の定期集会のために寄宿舎を用いることを許されているのであるが、彼は私のために、その病院の属する大学の立派に整備せられている講堂の一つに集会を準備した。そこで患者、看護婦、職員などおよそ七十人ほど、私の講演を謹聴した。
私は彼の性格の力、その人物の効果的な力を非常に感じた。実に彼は普通の事情のもとには福音宣教の不可能なる一つの山の上に立てられた、烽火のごとく輝いている。
さりながら、私の例証の主眼は、彼をその全く望みなく堕落した状態にて救い主の腕にまで引き上げた、その信仰の祈り、すなわち彼の周囲に血の防壁を置き、聖霊をして、彼をエジプトの暗黒と奴役から救い、彼を人を救う者とならしめることを得せしめまつった神の人の祈りである。
おお、願わくはこれらの文を読む人の中に、この栄光ある特権、差し迫りたる責任、そして驚くべき特権の幻示を獲得する者のあらんことを。この特権、権能は、一切を棄てて異教国の暗い辺境までキリストに従い行く何人にも、自由に与えられるものである。
私が外国伝道地に向かって出発してより既に三十五年の歳月は来りまた往った。私は、私が暗きと死の蔭に坐する民について見もし、聞きもし、感じもしたる事共を、人々をして見さしむるよう、備わりたる文才を保ちたらんことを願う次第である。しかり、されども感謝すべきことには、私がそれに勝って人々に知らせたいと思うは、偉大なる奇蹟的な救いを持ち来らすところのキリストの貴い御血の力である。神学者、理論家、教授たちは、国内にあって、大学の椅子に凭り掛かりながら、贖罪の種々の理論について雄弁に議論する。けれども悲しいかな、我らが常に見るごとく、肉体と心と霊において、奴隷とせられ、心にてエジプト的暗黒の住民のうちに住みつつある男女に対して顕されたる能力を知ることを少なきを恐れる。そしてこの能力は、しばしば彼ら自身の信仰に応えてでなく、モーセのごとく、召され使命を授けられた人々、すなわちただ自己のためばかりでなくまた神がそのために遣わしたもうたその人々のために信仰を働かす秘訣をば、よし遅くともついに学ぶに至った者の信仰に応えて、顕されるのである。かかる救いを目撃した者は、現代哲学者の多くの人々の無味乾燥な詭弁を笑うことができる。彼ら哲学者たちは、昔の祭司やレビ人のごとく、異教国の大道に傷つき打ちひしがれて倒れている人類を癒し包むべき葡萄酒(主の宝血)も油(主の頌むべき御霊)も包帯(主の聖なる御言)も持たず、もし彼らの師のごとく卑しい驢馬に乗るならば威厳が下がると考える。されば彼らは蔑まれたまえる善きサマリア人を待ちまた呼び求めおる傷つける霊魂に乗らしめるべき何も持たぬのである。
異教国の惨めな状態を目撃した者がその故国に帰れば、最も傷心な悲劇的光景が彼の目に映ずる。宛も滔々と流れおるナイアガラの滝が何らの目的もなくその水力を費やしおるごとく、青年たちがその力を虚しく費やしおるを見る。すなわち数万の青年男女が(自らキリスト者と称しつつ)その生涯をもって何をなすべきかを知らず、彼らの両親も彼らのために何の職業を選ぶべきかを思い惑っているのを見るのである。かかることはキリスト教国ならざるところでは何の悲劇でもないけれども、キリストなき数え尽くせざる霊魂が、神が彼らを愛したまい、キリストが彼らの救いのために死にたもうたということを告げ示されるべく待っているのに、キリスト教始まってほとんど二千年の今日、かかることがキリスト教化した社会にあろうとは、天使や天使の長をして驚かしめ、審判の神が西洋キリスト教国のこのラオデキヤをかくも久しく黙過し、その燈台を取り除くその御企図を猶予したもうことを驚かしめるに充分である。
誠に、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよとのキリストのご命令は、普通のキリスト者(?)にはエピクテートスがかつて宣べた最も興味なき格言よりもまさる興味を惹かぬのである。他の大陸諸地の住民が福音の使言を聞く機会をだに持たぬままに放任されおるに、キリスト教教役者、働き人の数十万人が神の地球上の一小局地なるブリタニアの諸島に集中しており、幾億の金がただ彼ら自身とそのキリスト者の諸施設の維持に費やされ、この状態が幾世紀も続いている。それが一般キリスト者(?)に奇異のこととは思われず、むしろ世界における最も自然のこととされているのである。『どんな貧弱な愚か者でも宣教師にはなれる』とか、『他の宗教もキリスト教同様に役立つ』というような考えは、彼らの主キリストが、天下のすべての造られし者がご自身の福音を聞くべきことを命じたもうた時に、その言うところを知りたまわなかったと主に面と向かって言うに等しいのである。
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