第二十回 アブラハムの祈禱の答え



第 十 九 章


 前の章において神は驚くべき御謙遜をもってアブラハムに近づき、御自身の心を打ち明けてソドム・ゴモラのもはや亡ぼされんとすることを示し、これによって彼に禱告者となる特権を授けたもうたことを見たが、十九章においては彼の祈禱の答えられたことが見える。またそれと同時に神の驚くべき御憐憫と御慈悲が顕れている。これを七つに区分して学ぼう。

一 神の御謙遜 (一〜三節)

 神がその忠実なる僕アブラハムに近づき、顔と顔を合わせて語り合いたもうことは実に驚くべきことであるが、なお驚くべきことは、不忠実なるロトのところにさえ至りたもうことである。一節を見ればロトはソドムの門に坐していたと書いてあるが、前にも言ったとおり、十八章一節にアブラハムが天幕の入口に坐していたのとは非常な相違である。アブラハムの天幕が旅人生活のしるしであるに対し、ソドムのまちの門は位地権勢の所であった。ロトがソドムに行き、富を増し、事業に成功するに至り、ついに権利勢力の場所に坐するようになったのである。ロトはアブラハムのようにその座を立って天使を迎え、接待せんとしたが、天使はこれを断った。彼らはアブラハムの接待をば喜んで受けたが、この悪しき邑に住むロトの接待を断ったのは当然のことである。されども驚くべきことにはついに強いられてロトの家に宿ることを承諾したのである。

二 神の保護 (四〜十一節)

 ソドムの人々は恥を知らずしてすべての穢れを行う者であったが、その晩ロトの家を取り囲み、実に我等が恥じて口にすることのできない罪を犯さんと迫ったのである。天使は驚くべき愛をもってロトの生命を助けた。もしそうでなかったならばロトは必ずこの時に殺されたに相違ない。なおはなはだしいことはロトがこのような恥知らずの言うことの出来ないほどの罪を犯す人間をば兄弟と称えていることである(七節)。これは実に想像だにすべからざることである。ロトは神の僕で、アブラハムの親類である。それにもかかわらずかかる恐るべき悪人を兄弟と称えることは怪しむべきことである。これによってロトが如何に堕落してこの悪しき邑の風俗に陥っていたかということが分かる。それにもかかわらず神はアブラハムの祈禱によって彼を保護したもうたのである。

三 神の警戒 (十二〜十四節)

 神はただロトに近づき彼を保護したもうたばかりでなく、彼に警戒を与え、その上彼を通じて彼の親族の者にも警戒したもうた。これは実にアブラハムの禱告の答えであったに相違ない。かくてロトはソドムの邑の亡ぼされんとすることを天使の口から聞いて、三人の娘婿のもとに行き、厳かな風に警戒して『ヱホバ邑を滅ぼしたまふべければ爾等なんぢらたちて此処を出よ』と言ったが、憫れむべきかなこの娘婿たちにはこれは戯れ言と思われた。これによって見れば、ロトは邑の門すなわち権威勢力の座にいたけれども真実の意味にての勢力はなかったのである。ロトは口をもって神を信ずる信仰を言い表し、行いにおいてもさほど放蕩の行いをなさなかったけれども、真の信者として、また宗教家としてソドムの人に信用されておらなかった。我等もこれによって大いに警戒せられねばならぬ。平生不信者と交際しつつある間に軽々しく戯れ言を語り、種々の浮薄な談話に耽りなどして伝道心を缺くならば、たとい正しい生涯を送っていても我々の証は力を失い、感化力に重みがなく、全く戯れ言と思われるに至ることであろう。

四 神の救 (十五、十六節)

 かくロトの娘婿どもはロトの警戒を嘲笑して彼を信ぜず、これによって少しも動かされなかったが、ロトの娘らはただその父の勧めを受けたのみならず、天使よりの直接の警戒を聞いてソドムの亡びを信じた。けれどもその心が全くソドムに執着していて、躊躇逡巡して容易に逃げようとしなかった。されば天使は驚くべき仁慈をもってロト夫婦と二人の娘を促し、手を執って邑の外へ連れ出した。十六節に『ヱホバかく彼に仁慈あはれみを加へたまふ』と録してある。実にこれは驚くべき神の仁慈である。必ずこれはアブラハムの禱告の答えであったであろう。彼ら四人とも救わるべき望みのない者であるにかかわらず、かく特に仁慈を蒙った。

五 神の寛容 (十七〜二十二節)

 ロトとその家族がソドムを出ずるや、神は今一度警告を与えて『逃遁のがれて汝の生命いのちを救へ、後を回顧かへりみるなかれ、低地くぼちの中にとゞまるなかれ、山に遁れよ』と命じたもうた。その時ロトは非常に懼れて、附近の小さい邑に遁れることを許されるように祈った。この祈りを前章で見たアブラハムの祈禱に比べてみれば、実に雲泥もただならぬ相違である。アブラハムは岩の上に立ちて神と偕に歩み、神の示しを悟り、神の旨を想い、神の願いを願い、神の御目的と御意向を弁えて、深い同情をもって己を忘れて寛大なる心をもってソドム、ゴモラのために祈った。それに引き替えロトは戦々兢々としてただ自己のことばかりを祈っている。彼はもはや一切の所有を失い、その生命さえも危うい場合である。しかるに天使の言うごとくに山に遁れるならば猛獣に殺される恐れがあるから、彼処の小さき邑に遁れることを許されたいと懇願した。これは何たる対照ぞ。けれども神は驚くべき御寛容をもってその祈りに答え、アブラハムの禱告のゆえにロトを顧みてゾアルの邑を亡ぼさず、これを彼の救の場所となしたもうたのである。

六 神の審判と神の仁慈 (二十三〜二十九節)

 この数節のうちに神の審判と神の仁慈、アブラハムの幸福とロトの不幸とが絵のごとくに明らかに描き出されている。二十三節を見ればロトとその娘らが恐怖に充たされて、一生懸命に走ってゾアルに逃げ込みつつある有様が見え、一方、二十七節にはアブラハムが実に沈着なるしかも威厳ある態度をもって朝早く立ち出でて遙かにソドム、ゴモラの地を臨み、憐憫に心を動かされつつ湧き上がる烟を打ち見る有様が見える。この驚くべき対照をなす二つの絵の間に今一つの悲惨なる絵がある。すなわちその荒野原の中に塩の柱と変わったロトの妻である。されどロトとその二人の娘らの上にはアブラハムの禱告の救のゆえをもって驚くべき恩恵が注がれたのである。

七 神の応報 (定まれる運命)(三十〜三十八節)

 ロトはかくまで驚くべき風にして助けられ、救い出され、守られ、愛をもって取り扱われたことであるけれども、不信仰がこの人の心に深く深く浸潤しているから、彼は少しも落ち着くことができぬ。ゾアルというこの小さな邑は亡ぼさぬという約束のあるにも拘わらず、これを信じ切ることができず疑いを起こして、二人の娘を連れて再び山の方へと遁れたのである。これは実に憫然な有様であるが、なお甚だしい悲惨なる出来事が起こった。ロトの二人の娘は、ソドム、ゴモラの人々はみな亡ぼされてしまい、ここには媒介者もなくもはや結婚する望みが絶えたと思って、甚だ恐るべき罪を犯した。我々の目から見ればこの罪は実に恥ずべく口にするに堪えぬことであるが、ソドム、ゴモラの道徳は極端に汚れてしまったから、その風俗を常に見て育ったこの二人の娘にはこのようなことさえ当然と見えたと思われる。これによって善い人でもその境遇のために汚されてどのようにも悪に沈むことができるかということが知られる。実にロトは自ら蒔くところを刈り取ったに違いない。彼は富を得、勢力の地位に上るために、家族の救も道徳も犠牲にしてしまっていよいよ恐るべき刈り入れをなしつつあるのである。さてこの罪の結果として二人の子供が生まれたが、その子供の名はモアブとアンモンである。しかして彼らの子孫は神の民すなわちユダヤ人の恐ろしき敵となり、神の選民を苦しめたことは言に尽くされぬほどである。
 この十九章において光明と暗黒、仁慈と審判、神の愛と神の怒り、アブラハムの徳とロトの罪悪とが、顕著に描き出されている。我等はこれによって神の子供にても如何ほどまで堕落することができるか、如何ほどまで憫れな状態に陥ることができるか、如何ほどまではなはだしい苦しみを受けるようになるか、如何ほどまで悲惨な刈り入れをせねばならぬようになるかを見て、深く教えられ警戒されねばならぬ。



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