第二十二回 アブラハムの信仰の報い



第 二 十 一 章


 この章は約束の嗣子の生まれたことで、彼の信仰の報賞である。これについて七つの注意すべき点がある。順次にこれを学ぼう。

一 彼の信仰の結実 (一〜三節)

 一節と二節に『言し如く』と同意味の語が三度繰り返されている。イサクの生まれたことは神の約束のためであり、また御約束に随うてなされ、かつその御約束の期日に及んでなされた。これによって聖言の力を学ぶべきである。次にこの子は『期日きにちに及びて』生まれたと録されてあることに注意せねばならぬ。二十一章五節と十七章一節と比べてみよ。イサクが生まれたのは彼が神の御前に全き歩みをなすべく命ぜられてからちょうど一年の後であった。神はその約束をなしたもうに定まれる時がある。さればその期日の来るまで忍耐をして全く働かしめねばならぬ(ヤコブ一章四節)。また『農夫は地の貴き実を』待つごとくに(同五章七節)耐え忍んで待つべきである。人間の方から見れば神の期日は人間の肉にとりて全く望みのなくなった時である。これは『かの約束の……堅うせられん』ためである(ロマ書四章十六節)。アブラハムはその身とサラの胎の死にたるがごとき状なるに至り、ただ神の約束にのみ立ち、信仰をもって神に栄光を帰した。かくてこそ神のその言葉を成就したもう時が来たのである。神が待ちたもうは徒に遷延したもうのでなく、人間の肉の元気の全く失われることを待ちたもうのである。

二 彼の信仰の従順 (四、五節)

 アブラハムは『神の命じたまひし如く』八日目にその子イサクに割礼を行った。彼は従順に血を流した。真の信仰には必ず犠牲が伴う。これは真の信仰の象徴である。

三 彼の信仰の喜び (六〜八節)

 このところにイサクの離乳の饗宴のことが記されている。乳を離れるは三歳か四歳の時である。時としては五歳までも乳離れせぬ者もある。詩篇百三十一篇二節を見よ。乳離れするまでは母の乳を愛するが、乳離れをしてからは母を愛するようになる。信者が神の恵みでなくキリストご自身を愛するようになる時が乳離れである。乳離れしてから初めて知識を受けることができる。乳離れせぬうちは霊的常識が発達せぬから、神の恵みを愛することと主御自身を愛することの区別を弁えることができぬ。乳離れせぬ子はよく泣くものである。『乳児ちのみごの口に讃美を備へ給へり』(マタイ二十一章十六節)とは特別なる神の恵みの御工である。乳を断ってから神御自身を愛して讃美するようになるのである。我等も乳離れしたる時に新しき喜びがあるべきである。六節にある笑いは十八章十二節にある不信仰の哂いでなく感謝の喜びの笑いである。この乳離れの饗宴とルカ十五章二十三、二十四節のそれとを比較してみよ。放蕩息子の帰宅とイサクの生まれたのと同じである。その時に兄がこれを嫉んだごとく、この所ではイシマエルがイサクの嗣子となったのを見て嘲り笑うことを見る。

四 彼の信仰の試み (九〜二十一節)

 信仰生活の原則はアブラハムの生涯よりして学ぶことができる。すなわち信仰が生長発達すればするほど分離せねばならぬものがある。換言すれば、信仰は何物かに離れることによってその発達の階段を上って行くものである。アブラハムはまずその故国に離れ、父に離れ、親族に離れ、所有に離れ、約束を成就するために肉に属する手段を用いることを棄て、妻のために来るべき災いの遁れ道なる詐言を棄てたことであったが、今はイシマエルを離れねばならぬ。十一節に『アブラハム其子のために甚く此事を憂たり』とあるを見れば、この子が彼の愛着の的であったことが知られる。されどこれからも離れたのである。かくして彼は信仰の馳場を走った。我等も彼に倣ってすべての重荷と妨害物を棄てて同じ信仰の馳場を走らねばならぬ。
 ガラテヤ四章二十一〜三十一節を見よ。この所にアブラハムの家族の関係を型として教えられている。すなわちこれを国民的に見れば、
 ハ ガ ル はシナイ山の型
 イシマエル はユダヤ人の型
 サ   ラ は聖霊の型
 イ サ ク はキリストの教会の型
であるが、これを個人的心霊的に見れば
 ハ ガ ル は律法の型
 イシマエル は自己の義の型
 サ   ラ は恩寵の型
 イ サ ク は新しき人の型
である。ガラテヤ四章二十八節にあるごとく、我等信者は一般にイサクのごとく約束の子であるが、まだ潔められざるうちには二つの逐い出すべきものがある(ガラテヤ四章二十九〜三十節)。すなわち律法と自己の義である。アブラハムがその婢女にはさほど愛着せぬけれども、イシマエルにははなはだしく愛着したごとくに、信者も律法には執着せぬけれども自己の義を棄てることには困難を感ずることである。聖潔の問題はすなわちこれである。ガラテヤ書の三章にはモーセの契約とアブラハムの契約との相違が論じてあり、同四章にはアブラハムの家族の問題が出ている。三章の方は救いのことで、四章の方は潔めの問題である。

五 アブラハムの信仰の栄誉 (二十二〜二十四節)

 イサクが生まれた時にアビメレクをして非常に感ぜしめた。神を信ぜぬ者共もこの奇蹟的誕生を見て感ぜざるを得なかった。ヨハネ十六章十六〜二十一節を見よ。弟子等の疑問に対して二十、二十一節の御答えは不思議に思われるけれども、ガラテヤ四章十九節を見ればその意味が明らかになる。すなわち『暫くして我を見るべし』とはキリストが我らの衷に、内心に顕れたもうことで、霊的誕生である。神が我ら人類と偕に在したもうことの徴としてインマヌエルなる主がこの世に生まれたもうた。神がアブラハムと偕に在す徴としてイサクが生まれた。そのごとく主が我等の霊と偕に在すことの徴として我等の内心に御自身を顕したもうのである。かく主が我等の内心にその御形を成らしめたもう時に、不信者もこれを見て神が我等と偕に在すことを感ぜざるを得ざるに至るのである。

六 アブラハムの信仰の誠実 (二十五〜三十二節)

 『アブラハム、アビメレクの臣僕しもべ等が水のいどを奪ひたる事につきてアビメレクを責ければ云々』。アビメレクが諂いをもって来た時、アブラハムは彼に向かって大胆にその罪を責めた。およそ真の信仰ある人は必ずその責むべき所を誠実をもって大胆に責めることができる。そもそも昔の人の財産は主として家畜であったから、水の流れのないこの地方で井戸をば非常に大切にした。井戸がなければ家畜を養うことができないばかりでなく、人の生命にも及ぶ。されば水の井を奪われるは苦しいことである。ハガルが水なくして非常な難儀に陥ったのはアビメレクが井戸を奪ったためであろう。さればアブラハムがこれを責めたのはさもあるべき事であった。ここに霊的教訓もありまた預言的意義もある。霊的に適用すれば、純福音の活ける水の井が新神学や高等批評によって塞がれているならば、我等はアブラハムのごとく大胆にその非を責めてこれを回復すべきことを教えるべきである。また預言的に見ればハガルはユダヤ人の型で、アビメレクは異邦人である。ここにも後の二十六章にも嫉みのために井戸の塞がれることが録されている。そのとおり異邦人はユダヤ人が水を飲まぬように井戸を塞いだために、ユダヤ人はハガルとイシマエルのごとくに渇きのために死なんとしている。さればアブラハムがアビメレクを責めたとおりに、主が降りて万国の民を審きたもう時には、必ずユダヤ人に対するこの態度を糾したもうことである。

七 アブラハムの信仰の大開展 (三十三、三十四節)

 『アブラハム、ベエルシバに柳を植ゑ永遠とこしなへに在す神ヱホバの名を彼処によべり』。『柳を植ゑ』は原文では『林を植ゑ』ということである。これは沙漠の中に井戸の在所を目立つようにするためであった。そのように信者はこの世の砂漠にオアシスを造って、生命の水の井戸を旅人に示さねばならぬ。さてここにアブラハムは『永遠に在す神の名を呼んだ』とあるが、これは意味深いことである。まず彼はこれまで神を如何なる神として拝んだかを見るに、初めに彼は『天地のぬしなる』神(エルエリオン)として拝んだ(十四章二十二節)。すなわち物質を豊かに恵みたもう神である。次に『全能の神』(エルシャッデアイ)すなわち全き歩みをなさしめたもう神として拝んだ(十七章一節)ことであるが、今ここで『永遠に在す神』(エルオラム)として神を拝し奉ったのである。エルオラムとは時代を治めたもう神という義である。神がこの世界を治めたもうに、時代というものがある。この時代の別が分からねば神の政治を理解することができぬ。たとえば今は『恵みの時代』であって、キリストの再臨の時にこれが終わる。次の時代にはユダヤ人が救われる時が来るのである。イサクは教会の型であり、イシマエルはユダヤ人の型である。イサクはまず祝福されるけれども、イシマエルもまた大いなる国民となる。今はキリストの教会が建てられる時代であるけれども、この次にはユダヤ国を建てたもう時代が来る。アブラハムはイシマエルにかかわる黙示を受けた時に、神は時代を統治したもう神、すなわちエルオラムにて在すことを悟ってこの名を呼び神を拝したのである。イザヤ書四十章二十八節を見よ。ここにも神は永遠の神、すなわちエルオラムとしてご自身を表していたもう。またロマ書十六章二十六節を見よ、パウロは『永遠とこしへの神の命にしたがひ……もろもろの国人に示されたる奥義の黙示にしたがへる我が福音』と言っている。そこにパウロは明らかにその秘密を示している。すなわち世界中のすべての国民が神に降服するに至るべき問題にかかわる福音というのである。(黙示録十四章六節に『永遠の福音』とあることも参照せよ。)創世記二十一章ははなはだ深い預言的意義に充満している。この簡単なる講演にこれを尽くすことができぬけれども、読者はなおよく研究して深く聖霊に教えられんことを望む。



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