第一回 創世記総論



 本書は、驚くべき天啓書、創世記に対して、敢えて批評的或いは歴史的註解を試みんために書くのではない。もちろん、所々これらの方面に言及することもある。けれどもこれは主たる目的ではない。余は本書において、信仰篤き熱心なるキリスト者の益となるべき、幾許かの思想を暗示せんと務めるに過ぎない。しかし、読者がこれによって、神の御言の更に充分なる、更に徹底したる研究に導かれることを願うものである。
 およそ聖書の研究には三重の解き方がある。すなわち歴史的、霊的、預言的である。『三根みこの縄は容易たやすきれざるなり』(伝道之書四・十二)。これらの三つの意義の一つを重んじすぎて、他の意義を軽んずることによりて、多くの者は誤謬と混雑に陥る。さもないにしても、折角の神の言葉の研究が無益なる業となってしまうのである。余は創世記の詳しい研究に進む前に、全体に亘るごく簡単なる注意を述べて研究の助けとしよう。


一 創世記と聖書全体との関係

 我らが聖書と称えるこの書は、すべて六十六巻の書物の編纂されたるもので、これが記者は五十人の多きに至り、彼らの最も多くはユダヤ人であるけれども、また種々異なれる国に属する者あり、職業も住所も異なり、年齢も地位も同じからぬ人々である。しかしてこれらの著作編纂は殆ど二千年の長き年代に亘っている。すべて世にある他の幾百万の書籍の中、一つとして聖書のそれに比ぶべき歴史を有するものはない。(おおよそ世にある書籍にして、一箇の記者の生存中に書き終えられなかったものはあるけれども、これが発行に数代を要したものは少ない。)聖書はかく著者、編纂、時代、場所、事情を異にする多くの書物の集まれるものなるにかかわらず、やはり一つの書籍である。一つの主要なる目的が全体を通じて一貫している。創世記は聖書全体の第一章と称うべく、黙示録は結尾の章と言うことができる。創世記に見ゆるすべての開始は、みな黙示録にその終結を示している。天地の創造、人類の起源、エデンの園、サタンの勝利、罪悪の始め、人類の堕落、贖罪の血、ヘブルの民族、世界諸国民、すべてこれらの事物はみな黙示録にこれが補填および終結を有している。新しき天と新しき地、パラダイスの回復、サタンの亡び、罪悪の終息、人類の回復、小羊の宝血、ヘブル民族の栄光、世界の諸国民の救いしかり、黙示録の記述を充たしているその他多くのこれに類する題目はすべて、『聖書』と称えられるこの驚くべき書の一つなることを我らに顕している。創世記と黙示録との間の聖書のすべての部分において、我らは前掲の題目の発達開展を見る。されば、この開始の書を理解することなくしては、聖書をば全体として完全に理解することはできぬ。


二 創世記の成立

 創世記の組織を調べてみれば、これもまた興味と教訓とを与えるものである。まず、創世記は二つの部分から成り立っている。
 第一部は一章から十一章まで、第二部は十二章から五十章までである。しかして全人類のことを取り扱う第一の部分はただ十一章で、残りの三十九章は殆ど全く四人の人の生涯に関した記事であるということは、注意すべきことである。ついでに注意すべきことは、アダム、ノア、アブラハムは聖書中の三大人物、アダムは旧き種族のかしら、ノアは新種族のかしら、アブラハムは選ばれたる種族のかしらであるということである。今一層詳しく研究してみると、創世記は、一つの短き緒言と十の章とでも言うべきものに分かれている。しかしてその初めに一々『……の系図は次のとおりである』の語がある。(この総論の終わりに附したる大区分とその解説はこの点を見るに助けとなる。)されば我らは創世記をば家族的記録の編纂されたものと言うことができる。この『系図の書』は、時々付随したる事実に説き及ぶために妨げられることあるも、記述は直ちにその筋道に立ち帰り、主要の目的は決して見失われておらぬ。ゆえに聖書の目的は全人類に亘る歴史を我等に示すことでなく、人類の救いと道徳的回復に関すること(これが管として定められたものはユダヤ人である)を示すにあるということを、創世記によって悟ることができる。


三 創世記の主題

 創世記は『始め』の書である。これは『聖書の苗床』と称えられている。それゆえに我らは創世記において、模型と形象をもって描写されたる恩寵の啓示の始めを見る。すなわち、
 一、恩寵の領域、すなわち物質的宇宙の始め。
 二、恩寵の主体、すなわち人類の始め。
 三、恩寵の起因、すなわち罪の始め。
 四、恩寵の性質、すなわち贖罪の始め。
 五、恩寵の範囲、すなわち諸国民の始め。
 六、恩寵の管、すなわちユダヤ人の始め。
 七、恩寵の結果、すなわち信仰と献身の生涯を始め。


四 創世記における霊的教訓

 創世記に充ちている豊富なる霊的教訓の中より、今ここには、我らが直ちに注意するように、ただ、人の霊魂中における神の生命の発達を示す、七つの驚くべき絵画を選ぶに留めよう。
 一、アダムにおいて我らは旧き人の絵を見る。これは生まれつきのままなる人の性質である。神に信頼せずしてたやすく誘惑者を信ずる者、主の聖前より隠れる者、その裸体を蔽う者、神の与えたもうたその賜物のために神を咎める者、されど憐憫を蒙り、救いの約束を与えられ、またそのみちを備えられている者。
 二、アダムの子らの兄弟二人において、旧きアダムの根から、一は自然によりて、一は恩寵によりて、生長した肉と霊、自然的と心霊的なる二種のすえの型を見る。
 三、ノアにおいては、バプテスマの奥義的なる水を通して受ける新生の型を見る。
 四、アブラハムにおいては、カナンの国を目指しながらも行くところを知らず出で行く信仰の生涯を見る。
 五、イサクにおいては、多くの喜びと僅かの衝突をもって水の井の傍らに住まう子たる生涯を見る。
 六、ヤコブにおいては、携え帰りて天の処にてその喜びを分かつために、新婦と多くの物質を得んために、遠き国へ降り行く奉仕の生涯の描かれていることを見る。
 七、最後の最も完全なるヨセフのそれにおいて、我らは初めには統括を夢み、終わりにはすべてのものを服せしめるに至る受苦の生涯を見る。


五 創世記の価値

 創世記の価値をあまりに多く評価しすぎることは殆ど不可能である。これはただ聖書全体の苗床であるばかりでなく、新約聖書の多くは創世記なしには到底理解され得ぬほど、全体と密接な関係がある。パウロの説いた人に関する教理は、創世記の初めの方に録されてある人類堕落の事実に基づいている。信仰によりて義とせられるという彼の教理も、創世記に記されてあるアブラハムの物語、その生涯、その信仰に基づいている。サタンについて彼が言及するところの多くは、創世記の記者によりて宣言されている、サタンの人類を零落せしめたことに関係がある。また、パウロがユダヤ人とその運命に関して伝えている最も豊富な教え、メルキゼデクの範のごときキリストの天的祭司職に関する教え、またこれに関係したるすべての驚くべき真理、霊的教訓は、創世記なくしてはすべて意義をなさず、また全く理解し難きことである。
 更に進んで、我らはこの書において、一神論の最も明白確実にして誤るべからざる宣言を有している。しかしてこれは進化論者に対していかなる点においても何らの論拠をも与えておらぬ。進化論者は、神に対する観念の発達の順序は、まず多神教より起こって万有神教に至り、更に進んで一神教に進化し来ったとの論を固執するけれども、創世記はかかることは何も言っておらぬ。かえって歴史の真の曙において、創造にも摂理にも恩寵にも人生にも、最も恵み深き神の啓示が与えられている。
 最後に、驚くべきことには、もとよりこの書はその目的において科学的なるべく言い表しておらぬけれども、その中に、科学の知られたる事実と衝突する何らの記述もなく、何らかかることに言及しておらぬということである。天地開闢や洪水に関する聖書以外の物語が、不合理な迷信的なる怪しむべきこと、不調和なることをもって満ちているにかかわらず、創世記の記事には絶えてかかる嫌いがない。されば、偏見なき心には、この書は聖霊の啓迪けいてきによって、神により我らに与えられたる霊感の記録であるということの充分なる証拠がある。


六 創世記の梗概

 梗概は以下に挿入したる表を見よ。

○創世記は次に掲げる一つの緒言と十の系図の書とに明白に区分されている。

【緒言】
── 一章一節〜二章三節 ──
緒言には地球の創造されたる次第を叙述する。すなわち物質、生命、霊の創造、土地その他のものより進んで人類に至るまで、諸物の造られたること、すなわち形成されたることを録す。されどこの問題はこの点に留まり、聖書の関わるところの道徳的心霊的なる問題のほか、地質学、天文学、生物学上の事物は直接には取り扱われておらぬ。

【第一 天地の造られし由来】
── 二章四節〜四章二十六節 ──
この段においては、創造されたる世界の事物の取り扱われるは、ここに叙述せんとする問題を引き出すために必要なる範囲に限られる。生命、すなわち植物の生命、獣類の生命に触れている。されども主たる題目は、罪悪の入り来れること、人類の堕落、罪の及ぼす影響、背叛の結果、堕落したる人類の系譜、および簡単なる歴史的記録である。しかもこれもまた長く続きて録されず。敬神的苗裔に関する簡単なる記事をもってこの段を終わる。

【第二 アダムの伝記】
── 五章一節〜六章八節 ──
この段には敬神的苗裔の系譜、年齢、およびその名を録し、終わりに敬神的苗裔と悪しき苗裔との混合せるにより、一切のものの破壊と新しき起原を余儀なくされたことをもって結ぶ。

【第三 ノアの伝記】
── 六章九節〜九章二十九節 ──
かくのごとく混合したる人類の、洪水によりて滅ぼされること。ノアとその家族の救われること。
  一、ノア方舟を造り義を宣伝すること(6章)
  二、ノアとその家族、方舟にあること(7章)
  三、ノアとその家族、方舟を出ること(8章)
  四、洪水の後のこと(9章)

【第四 ノアの子セム、ハム、ヤペテの伝記】
── 十章一節〜十一章九節 ──
アーリア族、トラン族、セム族など、諸国民の新しき起原の歴史。ただしアーリア族とトラン族の人々の名は系譜的よりもむしろ人類学的に列挙され、かつこれらの人民の歴史は続いて録されず。ただ彼らのうちの或る者は後にセム族中のユダヤ系の歴史に関係して現れるのみ。

【第五 セムの伝記】
── 十一章十節〜二十六節 ──
セム族のユダヤ系のみが系譜的に録されている。

【第六 テラの伝記】
── 十一章二十七節〜二十五章十一節 ──
この段はユダヤ民族の先祖アブラハムの歴史である。
  一、彼の召されしこと(十二章)
  二、彼の撰択(十三章)
  三、彼の戦い(十四章)
  四、彼の契約の祝福(十五章)
  五、彼の信仰の失敗(一)(十六章)
  六、彼の更名と割礼(十七章)
  七、彼のソドムのための禱告(十八章)
  八、彼の祈禱の答え(十九章)
  九、彼の信仰の失敗(二)(二十章)
  十、彼の信仰の報償(二十一章)
  十一、彼の信仰の試錬(二十二章)
  十二、彼の信仰の告白(二十三章)
  十三、彼の信仰(二十四章)
  十四、彼の死(二十五章)

【第七 イシマエルの伝記】
── 二十五章十二節〜十八節 ──
マホメット教民の起原。彼らの歴史もユダヤ民族の歴史の本幹的発達に関係せざるがゆえに、また続いて録されておらぬ。

【第八 イサクの伝記】
── 二十五章十九節〜三十五章二十九節 ──
イサクとその子ヤコブの歴史。主としてヤコブの歴史が録される。
  一、イサクの子らの生まれること(二十五章)
  二、彼のゲラルに旅すること(二十六章)
  三、彼がその子らを祝すること(二十七章)
  四、ヤコブその家を去ること(二十八章)
  五、彼その妻を得るためにラバンに事えること(二十九章)
  六、彼に子らの生まれること(三十章)
  七、彼その故郷に帰ること(三十一章)
  八、彼天使と格闘すること(三十二章)
  九、彼その兄と会うこと(三十三章)
  十、彼カナンにて困難に遭うこと(三十四章)
  十一、彼その家を潔めること、並びにその父を葬るべく家に帰ること(三十五章)

【第九 エサウの伝記】
── 三十六章一節〜四十三節 ──
エサウはセム族なれどもトラン族の者と結婚したるためにその子孫は混合したる者となりたれば、その名は挙げられおれどもユダヤ民族の発達に関せざるがゆえに、続いて録されておらぬ。

【第十 ヤコブの伝記】
── 三十七章二節〜五十章 ──
この段は主としてヨセフのことに関す。何故にルベン或いはユダよりもむしろヨセフのことの録されるかについては歴代誌上5:1-2を見、また創世記39:7-9、同35:22および同38章を比較して見よ。
一、ヨセフの夢、および彼の売られること(37章)
二、ユダその家の家督の権を失うこと(38章)
三、ヨセフ試練の火中にあること(39章)
四、彼の獄中にあること(40章)
五、彼エジプトの宰相となること(41章)
六、彼とその兄弟たち(42章)
七、彼とベニヤミン(43章)
八、彼その兄弟たちを留めること(44章)
九、彼の復讐(45章)
十、ヤコブ、エジプトに移ること(46章)
十一、ヤコブのエジプト滞在および最後の願い(47章)
十二、ヤコブ、ヨセフの子らを祝すること、ヨセフ、家督の権を得ること(48章)
十三、ヤコブその子らを祝すること(49章)
十四、ヤコブの死、ヨセフの死、および最後の預言的命令(50章)
 


| 総目次 | 目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 |
| 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 附録1 | 附録2 |