本章は祭司に對する神の誡命です。祭司は誰ですか。即ち油灌がれし者、神より聖靈を受けたる者であります。此等の人は格別に神と人との前に不斷聖くなければなりません。六、八、十二節を御覽なさい。祭司等は格別に聖き者でなければなりません。此章の中に献物と申しませずして神の食物と申します。これは實に美しき事です。此章の中にこれが五度見えます。さうしてこれは聖書中たゞ本章だけです。之は神は其献物に由て滿足し給ふ事であります。若し私共が生涯キリストを顯はしキリストらしき生涯を送りまするならば、神は喜んで滿足し給ひます。二十一章は神の饗應、神の食物です。二十三章に於て人間の饗應と歡喜が錄されてあります。私共は聖き生涯を送りまするならば、神を喜ばせ神に御滿足を與へます。又自分も滿足と歡喜を神より受くる事が出來ます。祭司は死人に近くならば汚れを得ます。祭司は(祭司とは聖靈を受けて聖められし者をいふ)世より離れたる聖き者ですから、此世の事に關れば汚れます。
七〜十五節を見まするならば、祭司は又家庭に於て常に神の聖き者でなければなりません(提前三・四、五、十二)。神の爲に働く者は、皆如斯になければなりません。十六〜二十四節は祭司の中に神に近く事の出來ぬ者の有樣が錄されてあります。凡の不具者は神の殿に入りて聖職をなす事が出來ません。神は聖き者ですから、全き者でありませんならば、近く事は出來ません。神は私共が全き者であらねばならぬ事を敎へ給ひます。度々此章の中に疵ある者と錄されてあります。他の能力があり、長所がありましても、神の前に不足があれば神の爲に働く事が出來ません。オー其爲に神の前に探られねばなりません。
二十二節は實に神の恩であります。神は聖き食物を以て養ひ給ひます。疵ある者でも聖書を以て養ひ給ひます。神は心に疵なき全き者を求め給ひます。
十六節より終までに、六七度『進みよるべからず』とあります。これに由て自分の心を考へ度御座ります。私共は皆疵ありて進みよること能はざるものです。けれども幸にもキリストに由て疵を取除かれます。
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