第二十一章  祭司に對する神の誡命



 本章は祭司に對する神の誡命いましめです。祭司はたれですか。すなはち油そゝがれし者、神より聖靈を受けたる者であります。此等これらの人は格別に神と人との前に不斷たえずきよくなければなりません。十二節を御覽なさい。祭司は格別にきよき者でなければなりません。この章のうち献物さゝげものと申しませずして神の食物と申します。これはじつうるはしき事です。この章のうちにこれが五度いつたび見えます。さうしてこれは聖書中たゞ本章だけです。これは神はその献物さゝげものよりて滿足し給ふ事であります。私共わたくしどもが生涯キリストをあらはしキリストらしき生涯を送りまするならば、神は喜んで滿足し給ひます。二十一章は神の饗應ふるまひ、神の食物です。二十三章おいて人間の饗應ふるまひ歡喜よろこびしるされてあります。私共はきよき生涯を送りまするならば、神を喜ばせ神に御滿足を與へます。又自分も滿足と歡喜よろこびを神より受くる事が出來ます。祭司は死人にちかづくならばけがれを得ます。祭司は(祭司とは聖靈を受けてきよめられし者をいふ)世より離れたるきよき者ですから、此世このよの事にかゝはればけがれます。

 七〜十五節を見まするならば、祭司は又家庭において常に神のきよき者でなければなりません(提前テモテぜん三・四十二)。神のために働く者は、皆如斯このやうになければなりません。十六〜二十四節は祭司のうちに神にちかづく事の出來ぬ者の有樣ありさましるされてあります。すべての不具者は神の殿みやりて聖職きよきつとめをなす事が出來ません。神はきよき者ですから、全き者でありませんならば、ちかづく事は出來ません。神は私共が全き者であらねばならぬ事を敎へ給ひます。度々たびたびこの章のうちきずある者としるされてあります。ほか能力ちからがあり、長所がありましても、神の前に不足があれば神のために働く事が出來ません。オー其爲そのために神の前に探られねばなりません。

 二十二節じつに神のめぐみであります。神はきよき食物をもって養ひ給ひます。きずある者でも聖書をもって養ひ給ひます。神は心にきずなき全き者を求め給ひます。

 十六節よりをはりまでに、六七度『進みよるべからず』とあります。これによりて自分の心を考へたう御座ります。私共は皆きずありて進みよることあたはざるものです。けれどもさいはひにもキリストによりきず取除とりのぞかれます。



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