十八章は家庭に就て書かれてあります。即ち家庭を聖くすることが書いてあります。之は詳しく調べません。併し之も皆神の聖き言として受けねばなりません。
十八章より二十三章までに『我はヱホバなり』といふ言が三十九度錄されてあります。さうですからこれを讀む時に、人間の法律と思はず神の法律と思うて、愼重にこれを讀まねばなりません。若し人間がそのまゝに讀みまするならば、賤しき心を起し罪を犯すかも知れません。さうですから神は格別にこれ等の章中に、度々『我はヱホバなり』と言ひ給ひます。私共は自分は決して此大なる罪を犯さぬと思ひます。けれども神は人間の心を能く知り給ひます。人間が如何程までに大なる罪を犯す事が出來るかを知り給ふので、これを示し給ひます。
羅馬書一章の終に、此恐ろしき罪の結果が示されてあります。何故神は此罪の爲に詳しく話し給ひますかならば、神は家庭を聖くすることを求め給ひます。神は强き繫累を以て、一家族を繋ぎ給ひ度御座ります。カナン人は未だ神の法律を得ません。けれども心の中に之が罪であることを知りました。此二十四、二十五節を御覽なさい。罪人はこれは罪である事が解りました。けれども尚これを行ひました。さうですから神は全くこれを亡し給ひました。如斯な罪の流行する處には必ず滅亡が伴ふ事を歷史上に見ます。歷史中一番盛なる强國は羅馬でした。けれども終に此罪の爲に汚れて、神に亡ぼされました。國が如何に文明でありましても、如何に隆盛でありましても、此罪があれば必ず亡ぼされます。何卒神を畏れて此樣な誡命を御讀みなさい。神の歷史を調べて、畏を以てこれを御讀みなさることを望みます。
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