サタンは主の前から出て行き、
ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫れ物で彼を打った。
(ヨブ2:7)
ヨブの不思議な歴史は、見えない世界を私たちの目から隔てている垂れ幕をしばらくのあいだ引き上げてくれる。そこに私たちが見るのは、一面に神の僕たちが忙しく働いている天国と地獄である。私たちはまた病人に特有の試練を見る。サタンはそれを使って神に論争を挑み、人間の魂を破壊しようとするのである。しかし神は反対に、その同じ試練を用いて、人間の魂を清めようとなさる。私たちはヨブの物語の中に、神の光のもとに病気の起源を知る。またそれがもたらす結果と、如何にしてそれから解放されることができるかを知る。
病気は神から来るのであろうか、サタンから来るのであろうか。この点については実にさまざまな見解がある。ある人々は神が病気を送られると信じているが、別の人々はそれは邪悪な者の仕業だと見ている。この二つの見解は、一方の見解が他方の見解を排除しようとするものである限りではいずれも誤りであるが、この問いにはそもそも二面性があるということを認めるならばいずれも正しい。病気がサタンから来るものだと主張するにしても、病気が神の許可なしには存在し得ないことも確かである。一方でサタンは自分では人間に襲いかかって攻撃する権利を持たないが、他方ではサタンに自分を売り渡した人間はサタンの支配下に入ると神の義が定めているのであるから、サタンが人間を責めるのは合法的行為なのだ。
サタンは、闇と罪の王国の君主である。病気は罪の結果である。罪はサタンに、罪ある者の身体に対する権限を与える。サタンはこの世の君であって、法に従った仕方でそこから追い落とされる時が来るまでは、神によってその地位を認証されているのである。したがってサタンは、彼の統治下にあるこの地上の世界にとどまっているすべての人々に対してある種の権利を持っている。それゆえ、人々を病気で苦しめ、病気を使って神に背を向けさせ、破滅に陥れようとしているのは、このサタンなのだ。
しかし私たちは急いで付け加えなければならない。サタンの力は全能とはほど遠いと。サタンは神から認証されなければ何もできないのだ。サタンが人間を、信者をさえも陥れようとする時には、そのすべてを神が許されているのである。しかしそれは、その試練によって人々にきよめの実をもたらすためなのである。サタンはまた死の力を持つ者と呼ばれる(ヘブル2:14)。死が支配するところではどこでもサタンが働いている。しかし神の僕たちに関しては、神が明らかにその意志を示されない限りは、サタンはその死に関する決定権を持たない。病気に関しても同じことである。病気は罪のゆえのサタンのわざである。しかしこの世の至高の命令権は神に属しているのであるから、それはまた神のわざと見ることもできる。ヨブ記を読んだことのある人なら、病気が如何にしてそこに現れるかをはっきりと知っているであろう。
病気の結果はどのようなものになるのであろうか。その結果は、神とサタンのいずれが私たちの中で勝利を得るかによって良くも悪くもなる。サタンの影響下にあるうちは、病人はますます深く罪に沈む。病人は罪が懲罰の原因になっていることに気付くことができず、その人自身とその苦しみのことで頭がいっぱいである。罪から解放される希望など全く思いに浮かばず、ただ病気が治ることだけを求める。反対に、神が勝利を収める時には、病気は病人に自己自身を棄てさせ、自分をただ神に委ねるように導く。ヨブの物語はこのことの実例である。ヨブの友人たちは、ヨブがとてつもなく重い罪を犯していて、その罪が彼に恐るべき病気を招いているのだという誤った見解をもってヨブを責めた。しかしそうではない。神はご自身で証言しておられるからだ。『地上にはヨブほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない』と(ヨブ2:3)。しかしヨブは自己弁護をするために少し言い過ぎてしまった。彼は、神のみまえに身を卑くして自分の隠れた罪を認める代わりに、自分を正当化するために自己の義をあげつらったのだ。しかし主ご自身が彼の前に現れるに至って、彼は言った。『私は自分を退け、塵と灰の上で悔い改めます』と(ヨブ42:6)。彼にとって病気は力ある祝福となり、全く新しい仕方で神を知るように彼を導き、以前の如何なる時にもまして自己卑下する者とした。この祝福は、サタンが私たちを病気で撃つことを神が許される時に、私たちもまたそれを受けるようにと必ず願っておられる祝福なのである。そして病人は自分自身を無条件に神に明け渡す時に、必ずそこに到達するのである。
どのようにして私たちは病気から解放されるのであろうか。父親はその子を懲らしめるにしても、必要以上に長い時間懲らしめることはしない。神もまた、目的があって病気を与えるのであるから、その目的を達するのに必要な以上の長い間にわたって懲罰を続けることはなさらない。ヨブが神を理解するや否や、すなわち神がご自身についてヨブに語られた言葉を聞いてヨブが自分を退けて塵と灰の中で悔い改めるとすぐに、その懲罰は終わりを告げた。神がご自身でサタンの手から彼を救い、病気を癒やされたのである。
私は今の時代の病人たちも分かってくれたらと思う。神が懲らしめを与えるのには目的があるのだ。そしてそれが達せられたら、すなわち聖霊が病人を導いてその罪を告白させ、罪を棄てさせ、主を礼拝するために自分をまったくきよめさせるなら、ただちにその懲らしめは不要となるのだ。そして神は彼を癒やすことができるし、実際癒やされるであろう。神がサタンを用いるのは、知恵のある政府が看守を用いるのと同じである。神はその子たちをサタンの手に渡すとしても、それは定められた間だけであって、その後は御心にしたがって私たちを、すでにサタンに勝利を収められた方の贖いの中に入れてくださる。この方は、私たちの罪を病気もろともにご自身に背負われることによって、私たちをサタンの支配下から連れ出されたのである。
| 総目次 | 緒言と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 |