第二十一章  病人のための神の処方



 あなたがたの中に病気の人があるか。それならば教会の長老たちを招き、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、弱っている人を救い、主はその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯しているのであれば、主は赦してくださいます。 (ヤコブ5:14-15


 この聖書の箇所は、ほかのどの箇所にもまさって、病人が癒やされるために何をしなければならないかをはっきりと告げている。病気とその影響は世界に満ちている。その中で信者は神の言葉から病が癒やされる道を学ぶことができるというのは何と喜ばしいことであろうか。聖書は、神にとってその子たちが元気でいる様子を見ることが神の御心であると告げている。使徒ヤコブは何のためらいもなく『信仰による祈りは、弱っている人を救い、主はその人を起き上がらせてくださいます』と語っている。こうした神の言葉が私たちに語ることを聞いて単純に受け入れることを主が私たちに学ばせてくださるように。

 まず最初に、ヤコブが苦しみと病気との間に区別を立てていることに注意する必要がある。彼は『あなたがたの中に苦しんでいる人があれば、祈りなさい』と言っている(ヤコブ5:13)。この場合に何を祈り求めるべきかを彼は語っておらず、特に苦しみから解放されることを求めるようにとは言っていない。苦しみは、クリスチャンの誰にも起こる外的な原因から来るのである。このような場合、ヤコブの目的は、試練の中にある信者を、ただ神の意志に従う精神をもって救いを求めるように、そして特に、彼が信者の特権であると考えている、忍耐を求めるように導くことであることを、私たちは知らねばならない(ヤコブ1:2-4, 12; 5:7-8)。

 『あなたがたの中に病気の人があるか』という問いに対しては、ヤコブは全く異なる答え方をしている。ここでは彼は、もし病気の者が確信をもって癒やしを求めるなら、それが得られるだろう、神は聞いてくださるであろうとはっきり告げている。そのように、苦しみと病気との間には明確な区別があることを私たちは知るのである。主イエスは、苦しみについてはそれが必然的であって、神の御心であり祝福であると言われたが、病気についてはそれは癒やされるべきものであると言っておられる。病気以外の苦しみは私たちに外から来るのであって、それはイエスが世の罪と悪に対して勝利を収められるまで続く。それに対して病気は身体の内部の悪である。それはキリストによって聖霊の宮となるように救われた身体の中のことなのであって、病気の信者が信仰によって、彼の中にあるイエスの命そのものであるところの聖霊の働きを受け入れるなら、直ちに癒やされるべきものなのである。

 ここで病人にはどうするようにと言われているであろうか。その人は教会の長老たちを呼ばなければならない。そして長老たちに自分のために祈ってもらわなければならない。ヤコブの時代にも医者はいたが、病気の信者が向かわなければならないのは医者にではない。当時の長老たちとは、教会の牧師や指導者のことであったが、彼らが召されたのは、神学の課程を修了したからではなく、彼らが聖霊に満たされていたから、その正しさと信仰を認められていたからであった。なぜ病人は彼らが来てくれることを必要とするのであろうか。彼の友人が祈るのではいけないのであろうか。友人が祈るのもかまわない。しかし、癒やしを得るまでに信仰を働かせることは誰にでもできることではなく、それがヤコブが特に信仰が堅くしっかりした人物が呼ばれることが必要だと考えた理由なのである。それに加えて、長老たちは病気の信者に対して教会、すなわちキリストの身体全体を代表するものであったからである。というのは、聖霊が力をもって働かれるようにするのは、信者たちの交わりであるからである。言い換えれば、長老たちはあの偉大な羊飼いがなされた方法に従って、彼がするように群れの世話をしなければならず、自分たちを病気の人に結び付け、彼の苦難を理解し、神から必要な知恵を受け取って彼を導き、信仰を持って耐えるように彼を励まさなければならない。病気の癒やしは教会の長老たちに委ねられている。過ちをすべて赦し病をすべて癒やす神(詩103)のしもべである彼らこそ、心と体の両方に対する主の恵みを他者に送り届けるために召された者なのである。

 最後に、ここにはなお、もっと直接的な癒やしの約束がある。使徒は癒やしが信仰の祈りの確実な結果であると告げている。『信仰による祈りは、弱っている人を救い、主はその人を起き上がらせてくださいます』。この約束は一人ひとりの信者の中に癒やしの希望と期待を燃え立たせる。この言葉を書かれてある通りそのままに受け入れるなら、私たちはそこに、信仰によって祈る誰もに与えられる無制限の癒やしの約束を見ないであろうか。主は私たちに、真心から信じる信仰をもってこの言葉を学ぶように命じておられる。



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