『イエスは彼等に汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、
あらゆる病気や患いを癒やすためであった。』
(マタイ10:1)
He gave them power against unclean spirit, to cast them out
and heal all manner of sickness and all manner of weakness
── Matthew 10:1
まえがき
第1章:赦しと癒やし
第2章:あなたの不信仰のためである
第3章:イエスと医師たち
第4章:イエスの名による癒やしと救い
第5章:私たちが善いからではなく
第6章:信仰の量りに従って
第7章:信仰の道
第8章:聖霊の宮
第9章:主のための身体
第10章:身体のための主
第11章:身体だけに目を付けないこと
第12章:鍛錬と献身
第13章:病気と死
第14章:癒やし主としての聖霊
第15章:祈り続けること
第16章:癒やされた者は神を崇めよ
第17章:神の力の啓示の必要性
第18章:罪と病気
第19章:イエスは私たちの病を負われた
第20章:病気は訓練であるか?
第21章:病人のための神の処方
第22章:主はあなたを癒やす者
第23章:イエスは病人を癒やされる
第24章:熱心な効力ある祈り
第25章:互いに祈り合うこと
第26章:神の意志
第27章:服従と健康
第28章:ヨブの病気と癒やし
第29章:信仰による祈り
第30章:主の名による油注ぎ
第31章:私たちの至高の特権である完全な救い
第32章:私たちはその枝である
本書は神の癒やしに対する私の信仰の証しである。私は二年あまりにわたって奉仕の場に立てない状態であったが、神の憐れみにより癒やされた。それは、『まことに私は主、あなたを癒やす者である』(出エジプト15:26)とおっしゃる神を知る人々の祈りに対する答えであった。
それ以来、信仰によって癒やされたこの経験は、私にとって豊かな霊的祝福の源となった。私は、教会が私たちの神の癒やし主としてイエスを有していることをはっきり知った。それは感謝し尽すことのできない、計り知れない教会の財産なのである。そのように神の言葉がこの問題について教えていることを、私は改めて確信した。主は私たちから期待しておられる。私たちクリスチャンが癒やし主としての主がほんとうにおられることを実感することを。そうするなら、その結果として彼らの霊的生命が成長し聖化されることになると私は確信した。
このため私はもう沈黙を守ることができない。私はこの一連の瞑想の書を世に送る。それは、『信仰による祈り』(ヤコブ5:15)こそ、神が病める者の癒やしのための手段として定められたものであることを、神の言葉を通して示すためである。また、この真理は聖書と完全に一致しており、この真理を学ぶことは、主がその子たちの中にその力と栄光を現すところを見たいと望んでいるすべての人々が必要とするところのものである。そのことをもわたしは示したい。
── アンドリュー・マーレー
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