第 八 日
『モーセ……朝早く起て……シナイ山にのぼりゆけり ヱホバ雲の中にありて降り彼とともに其處に立ちてヱホバの名を宣たまふ …… モーセ急ぎ地に躬を鞠めて拜し』(出エジプト記三四・四、五、八)
この前にモーセが、朝、主にあうために登り往きました場合は、律法の発布せられる時、神が御自身聖者として御顕現なし給うべき時でありました。今、私共の前にあるこの会合は、その律法がはやくも破られて神は憐憫ある者として御自分を示そうとしていられた時であります。神の子等の朝の礼拝には、いつも、この二つの要素が結合せられるべきであります。私共が神と交わり奉る時に於て、或る朝は、とりわけ、聖旨に従順に服従し奉るということに係わっているかも知れません。しかしそれらすべての背後には、私共を受納れ、私共を聖き御奉仕にふさわしからしむる贖罪の恩寵が基礎をなしております。他の朝には、又、ひたすらに、神を憐憫あり恩寵あるおかたとして礼拝するように心引かるることでありましょう。しかし、このことのうしろには、私共が神の御愛顧にまで回復されたのは、御意のよしとし、悦びとし給うところのことをおこなわんがためである、との条件を忘れ奉らない覚悟が刻まれておるのであります。
クリスチャンよ、もしあなたが神に正しく仕えんとならば、神を正しく識り奉ることを学びなさい。神に就いてのあなた自身の思想の低い平原から、高い神御自身の山の頂きに攀じ登って神自らあなたの側に立ち、エホバの名を宣べ給うを伺い得るところにまでいたりなさい。朝早くに起き出でなさい。律法を破りたる心よりの告白を携えて登り来りなさい。石の板ならぬ、あなたの心の肉碑をひっさげてみまえに近づきなさい。神はその上に聖名と聖律とを書き誌し給いましょう。かくてあなたはおのずと、かの朝まだき山に於てモーセのなした如く、首を垂れて礼拝せらるるでありましょう。
その時に、あなたも、モーセの如く、能力をうけましょう。しかして、神の民の禱告者として、能力づよく訴え奉ることが出来ましょう。かくて受くるは神の答であります。『視よ 我契約をなす 我未だ全地に行はれし事あらず何の國民の中にも行はれし事あらざるところの奇跡を汝の總躰の民の前に行ふべし』(十節)。ハレルヤ!
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