第 二 十 七 日
『われらの尚ほろびざるはヱホバの仁愛によりその憐憫の盡ざるに因る これは朝ごとに新なり なんぢの誠實はおほいなるかな』(ヱレミヤ哀歌三・二二、二三)
詩篇の中に私共は、ヱホバの憐憫が殊に朝に申述べられているのを屢々見るのであります。時にそれは祈禱であります。『なんぢの仁慈をきかしめたまへ』(詩一四三・八)、或は『われらを汝のあはれみにてあきたらしめたまへ』(詩九〇・一四)。時には、又それは『喜ばしき歌』(詩九八)、或は『その憐憫をあらはし』(詩九二・二)でありますが、何れにもせよ詩人のよむは朝に関連してであります。私共の今日の題句はその理由を語っております。『その憐憫は……朝ごとに新』なるによると。しからば毎朝これを讃美するに勝って自然な又当然なことは世にありますまい。みなさまのうち、特に親たる方々よ、みなさまは今迄或は唯独りひそかに感謝し又祈禱することをもって満足してこられたかも知れません。しかし、今は荏苒日を空しうしてはなりません。直に全家を集めなさい。集めてこの目的を果すことをお始めなさい。初めは困難に覚えても、間もなく容易くなるでありましょう。神の憐憫を認め、終日その御助を求むるために全家をして打集わしめなさい。神の聖言を、その愛と聖旨の啓示として、敬虔もてこれに耳を傾けなさい。彼を頌うる歌声を高く挙げしめ、その聖名を呼び奉りなさい。一人一人のお子達を、あなたの権の届く限り教えて、朝、神の憐憫を覚えさせなさい。これは彼等の全生涯を通じ、又永遠にまでも、彼等の恩恵となるでありましょう。
これを忘れてはなりません。ヱホバの憐憫は朝ごとに新たです。これは朝毎に新しく讃美せらるべきであります。
| 総目次 | 祈禱と序文 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |