第 二 十 二 日



『ねがはくはあしたにわれらをなんぢのあはれみにてあきたらしめ 世をはるまで喜びたのしませたまへ なんぢの作爲みわざをなんぢの僕等しもべらに なんぢの榮光をその子等こらにあらはしたまへ』(詩篇九〇・十四十六

 昨日の私共の日課に於ては、詩人はただ自らのために祈りました。『あしたになんぢの仁慈いつくしみをきかしめたまへ』と。それはただひとる朝の祈でありました。ここに彼は自らと又他のために祈っております、『われらをなんぢのあはれみにてあきたらしめ』と。すぐその後に『その子等』といいでらるるを見てもこれは集められたる全家族のための祈と取ることが出来ます。

 『われらをなんぢのあはれみにてあきたらしめ』と願人ねぎびとは言う。父は毎朝、その子等のためにパンを備え、あきたるまで、その必要を満たします。あきたるとは、もはや充分にしてそれ以上を要しないことでしょう。信者は信仰により聖霊により、かくの如き神の憐憫あわれみの確信をえんことを願うものであります。かくてこそ彼は、モーセの申しましたように、『仁慈いつくしみをもてあきたらしめられヱホバの恩惠めぐみにて充ち満つ(satisfied with favour, and full with the blessing of the LORD)』(申命記三三・二三=英訳)のであります。

 父がその子等を、ただパンをもて飽かしむるのみならず、彼等のくべき分としてしゅ憐憫あわれみにてあきたらしめらるるを願いますならば、彼はまずひとり、『あしたになんぢの仁慈いつくしみをきかしめたまへ』との祈を奉ることを学ばなければなりません。それから毎朝忠実にその全家を集めて、信仰ある祈もて彼等を導き申しなさい。『なんぢの作爲みわざをなんぢの僕等しもべらに なんぢの榮光をその子等にあらはしたまへ ねがはくはあしたにわれらをなんぢのあはれみにてあきたらしめ 世をはるまで喜びたのしませたまへ』と。



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