第 二 十 二 日
『ねがはくは朝にわれらを汝のあはれみにてあきたらしめ 世をはるまで喜びたのしませたまへ なんぢの作爲をなんぢの僕等に なんぢの榮光をその子等にあらはしたまへ』(詩篇九〇・十四、十六)
昨日の私共の日課に於ては、詩人は唯自らのために祈りました。『朝になんぢの仁慈をきかしめたまへ』と。それは唯独り在る朝の祈でありました。ここに彼は自らと又他のために祈っております、『われらを汝のあはれみにてあきたらしめ』と。すぐその後に『その子等』といい出でらるるを見てもこれは集められたる全家族のための祈と取ることが出来ます。
『われらを汝のあはれみにてあきたらしめ』と願人は言う。父は毎朝、その子等のためにパンを備え、あきたるまで、その必要を満たします。あきたるとは、もはや充分にしてそれ以上を要しないことでしょう。信者は信仰により聖霊により、かくの如き神の憐憫の確信をえんことを願うものであります。かくてこそ彼は、モーセの申しましたように、『仁慈をもてあきたらしめられヱホバの恩惠にて充ち満つ(satisfied with favour, and full with the blessing of the LORD)』(申命記三三・二三=英訳)のであります。
父がその子等を、唯パンをもて飽かしむるのみならず、彼等の享くべき分として主の憐憫にてあきたらしめらるるを願いますならば、彼はまず独り、『朝になんぢの仁慈をきかしめたまへ』との祈を奉ることを学ばなければなりません。それから毎朝忠実にその全家を集めて、信仰ある祈もて彼等を導き申しなさい。『なんぢの作爲をなんぢの僕等に なんぢの榮光をその子等にあらはしたまへ ねがはくは朝にわれらを汝のあはれみにてあきたらしめ 世をはるまで喜びたのしませたまへ』と。
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