第 十 四 日



『人を如何いかなる者としてなんぢこれをおほいにしこれを心にとめ あさごとにこれそなはし時わかずこれを試みたまふや』(ヨブ記七・十七、十八

 神はあなたをみそなわし、朝ごとにあなたを訪れ給う、それほどにあなたを大いなるものとし、又御心みこころを留めてい給うという。霊魂よ! あなたはこれを識っておりますか。あなたは朝ごとにこの訪れを迎うるために、あなた自身の備えをなすことを学び知っておられますか。せっかちなために、又思慮なく無分別なゆえに、この大いなる特権を失ったり、又これを軽んじたりしてはなりませぬ。──あなたの神よりのこの朝ごとの訪れを。

 これは朝ごと読書し、又祈禱するくらいのことではありません(世にはそれをさえ怠る所謂いわゆるクリスチャンも相当あるようですが)。それよりはるか以上のことであります。それは神がその御霊みたまによってあなたのうちに確信を与えて下さるということであります。神は私を愛をもって記憶しおり下さり、受け入れ下さり、又保ちまもりおり下さると確信せしめ給います。ただ、静かに信仰をき働かせ、又臨在を崇め俟望まちのぞみつつ、かれ御前みまえきたりなさい。神はあなたとともなりい給うとの天的確信をあなたの中に与え給いましょう。ただ申上げなさい、『わが霊魂たましいもだして神の聖前みまえにあり』と。

 ヨブは申します。『人を如何なる者としてなんぢこれをおほいにしこれを心にとめ 朝ごとにこれそなはし 時をわかずこれを試みたまふや』と。私はどうしてこれに堪えることが出来ましょう。神は一日の何気ない忙しさのうちに、又あらゆる仕事の最中に、刻々、毎刻、私を試み給うというのであります。ただ一つの道は、私がまず朝に於て、神のそなわしを頂いてしまうにあります。彼はその日一日のために私と契約を結び、御子みこのまもりのうちに新しく私を託し下さらんと望み給います。くてこそ神は私を時わかず試み給うことが出来たまいます。

 げに、朝毎あさごとに、彼の神よりの訪れを迎うる人こそは、毎刻の神のお試しにもよろこんで自らを託し奉ることが出来るのであります。



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