第 十 八 日
『されど我はなんぢの大能をうたひ淸晨にこゑをあげてなんぢの憐憫をうたひまつらん なんぢわが迫りくるしみたる日にたかき櫓となり わが避所となりたまひたればなり』(詩篇五九・十六)
ここに歓喜に溢れる愉快な朝の祈の秘密があります。即ち、私共の霊魂の救いのために神のなし給いました聖業を思い、私共にとって高き櫓となり避所となり下されし実験を思う思い出であります。
もしあなたが、朝に於て、当然なすべきほどに神の憐憫を讃め崇めたくありますならば、まず、正当に神を御知り申上げなければなりません。あなたは神をあなたの避所また高き櫓として経験し奉りましたか。ダビデは如何に真心をこめて、神を彼の磐又避所として讃美しておりますか。彼の言葉を読んで御覧なさい(詩十八・四六、六二・二、七、八、一四四・二)。
あなたもこの祈を絶えず捧げなさい、『ねがはくは汝わがすまひの磐となりたまへ われ恒にそのところに往ことを得ん』(詩七一・三)。又、思い切ってこう申上げなさい、『われヱホバのことを宣て ヱホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なりといはん』(詩九一・二)と。思わず知らず、あなたの霊魂ははや歓喜に叫びいだしておるでありましょう、『我なんぢの翼のかげに入てよろこびたのしまん』(詩六三・七)と。
愛するクリスチャンよ、淸晨に神にお目にかかる時、いつも嘆息の外に何もないようであってはなりません! 信仰もて仰ぎなさい。神はあなたに取って如何ばかりのお方ですか、信仰もて彼を誇りなさい。それこそは彼を崇め尊び、又彼の恩恵を受くる道であります。かくてあなたの朝の犠牲は歓喜の一日の始となり、あなたは唯神のみが与え給う歓喜と能力の中にその日一日を過しなさることが出来るでありましょう。
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