第 十 二 日
『人を正く治むる者 神を畏れて治むる者は 日の出の朝の光のごとく 雲なき朝のごとく 又雨の後の日の光明によりて地に萠いづる新草のごとし』(サムエル後書二三・三、四)
これはわれらの主イエスについての預言であります。その御支配の下にある霊魂にとっては、主は朝の光の如くにあるでありましょう。否、彼御自身こそは真の朝の光であります。『我名をおそるゝ汝らには義の日いでて昇らん その翼には醫す能をそなへん』(マラキ書四・二)。ここでお互は朝に於ける神の充分なる又真なる恵を求むることを学びたいものであります。朝昇る太陽は一日中光を与えます。朝が無ければ日もあることが出来ません。
朝、主イエスに御目にかかり、わが霊魂に昇る朝の光として主を識り奉りますならば、主は又終日、わが生命、またわが喜悦として、そこにいまし給うでありましょう。
霊魂よ! これをあなたの毎朝の課業といたしなさい。恩寵をもたらすは単に読み又祈るということだけではありません。主イエスがあなたの霊魂にその御光を昇り照らさしめらるるのでなければなりません。しかして主はこのことを信仰によってなし給います。静かに、しかし明確に、信仰を活き働かせてあなた自身をこの一事にあてはめなさい。主は朝の光となって下さいましょう。彼は朝の光にておわします。信仰によってなごやかなる主の愛の光をうけ入れなさい。彼を、正しき君を、あなたの霊魂の君として迎えなさい。主は日毎あなたに取って、日の出の朝の光の如く、雲なき朝の如くになって下さいましょう。
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