第 二 十 九 日



『朝まだき暗き程に、イエス起きでて、寂しきところにゆき、其處そこにて祈りゐたまふ』(マルコ福音書一・三五

 私共は今迄いままで、旧約聖書に於て、如何いかに一連の神の人達のあったかを見てまいりました。それらの人達は、神のむねを行うために、神にあうために、乃至ないしは神の恩愛を求むるために、『朝早く起きでた』と言わるるところの人々でありました。この一連はついしゅイエスにきたって結ばれております。それは忙しい、骨の折れた一日の後でありました(三四節)。絶え間なく人に接し、全く御自身をそそぎ出し給いましたその日でありましたが、しゅはその能力ちからを新たにし、その御働おんはたらきに上よりの聖霊を受くるために、神とのより親近なまじわりの必要を感ぜられ給いました。『朝まだき暗き程に』──まだ夜であった間に──『起きでて寂しきところにゆき、其處そこにて祈りゐたまふ』。

 もし、神の御子みこにしてくの如くであったといたしますれば、私共に於ては如何ばかりでありましょう。ただに俗事と世の腐敗のただなかに於てというのみではありません、心霊的な働きの時に於てさえ、神とのひそかなるまじわりは欠くべからざるものでありました。

 なんじクリスチャンよ、あなたはキリストの従者であります。この点に於てもまた彼に従い奉りなさい。キリストの中にあった御意みこころはあなたのうちにもある。しゅはあなたをも眠りから醒まして外にでゆき、ひとり祈らしめ給いましょう。イエスは毎朝まだ夜であった間に起きでられたというのではありません──特に必要なる時のあるものであります。しかし私共に取って毎朝必要なることはける神との現実、個人的なる会見であります。どうぞこれを見失いとうございません。朝早く起きることなくして神の御子みこはその一生の事業を成し果し給うことが出来ませんでした。ねがわくばしゅに取ってかくありしごとく、私共のためにもこれが神にある私共の生涯の一部たらんことを。



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