第  九  日



『壇の上の火をばたえずもえしむべし きえしむべからず 祭司は朝ごとに薪柴たきゞをその上にもやし』(レビ記六・十二

 壇の上の火とは聖霊の型であると一般の認むるところであります。燔祭はんさいの壇上の犠牲、香壇の上のかぐわしきかおりのこう、これらはすべて火に焼き尽され、煙となって天に携えのぼかるべきものでありました。その如く、毎朝、私自らを神に献ぐるものなる犠牲、又私の祈禱のこうも、それらがただ聖霊によって天にもちゆかるる時まことに神の喜ばるる献物ささげものであるでありましょう。かくてこそ、初めて、聖霊によって聖別せられつつ、『神のみ心にかなう供物そなえもの』であります。

 ですから、壇の火は常に燃え続けしめられなければなりません。そして、そのことのために指定せられている時は朝であります。祭司は、毎朝、その上に薪柴たきぎを燃やすはずでありました。朝に於てのこの勤行を怠るクリスチャンは、その日一日、そうする時のないことをただちに発見するでありましょう。私共は、朝の中に、このことをつとむべきであることを学びとうございます。御霊みたまの火を燃え続けしむるに必要な薪柴たきぎは、神の聖言みことばであります。このふたつが毎朝必ずせらるるかどうかに注意しとうございます。まず、薪柴たきぎをあつめてこれを積み重ね、次に御霊みたまの火のこれを火附け給わんことを待望まちのぞみなさい。信仰により、真実に神を待望まちのぞむにより、うちに確信は与えられて、御聖霊、神の火はわがうちに燃えつつありと悟り奉るに到りましょう。ハレルヤ!

 かくて私共自らの犠牲と祈禱とはキリストにありて神によろこばるるかぐわしきかおりある祭物そなえものたるにいたるのであります。



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