第十四回 アブラムの撰択



第 十 三 章


 アブラムの信仰はすべての方面から試みられた。すなわち父の家を離れる問題は十二章において見るごとく勝利を得たことであるが、本章において金の問題、財宝の問題が起こる。信仰の生涯を送る者は必ずこの問題で試みられねばならぬ。しかも信仰の新しき階段に進むごとに神は更に新しき祝福を加えたもうことである。彼の生涯においてもこのことが現れている。信者が聖別会に出て恵まれる。それから毎年同じことを繰り返すのでなく、さらにまされる恵みを受けるはずである。英国のことわざに『より善きは最善の敵なり』ということがある。我等は『より善き』に留まらずして必ず最上の恵みに向かって進まねばならぬ。神は十二章七節においてアブラムに顕れたもうたが、この後幾たびも顕れてさらに勝れる恩寵を加えたもうた。さてこの章において我等はアブラムの撰択をばロトのそれと相対照して学ぶことができる。


一 ロトの生涯の失敗の原因

一、ロトは神とともに歩まず、ただアブラムと偕に歩んだ
十二章四節十三章一五節)。

 神の声を聴いて歩むか、人と偕に行くか、これが問題である。二人の人が偕に行くが、その一人は成功し、一人はやがて失敗する。その理由は、一人は神と偕に歩み、一人は人に真似て歩むからである。

二、ロトには異象なし。

 されば彼は直ちに物質的のものに惑わされたのである。しかるにアブラムは心霊的の異象を見ていた。これはヘブル十一章に記されたる信仰の秘訣である。ヘブル十一章十十四十六二十二十七三十五節を見よ。我らもかかる霊的異象を見て初めて信仰の生涯を歩むことができるのである。

三、ロトは神の召しを蒙ったことがない。

 ここに言う召しは信者となる召しというような一般的のことでなく、特別の召しである。特別なる奉仕のためにはまたそれに対する召しがなければならぬ。。例えばジョージ・ミュラーが祈禱によって多くの孤児を養ったのを見て、多くの人は彼を真似るけれども、成功せぬ。そんな人々は試みられる時に失敗するけれども、真に召されたる者はこれに堪えて立つことができる。ロトは漂うけれどもアブラムは動かない。彼はこの召しを信ずる信仰に錨を下ろしているからである。

四、ロトはアブラムの失敗の誘因となった。

 十二章においてアブラムがエジプトに下ったのはたぶんロトの勧めに因るならんと思われる。自己の不信仰のために信仰の人をも誤らしめるに至る。恐るべきことである。

五、ロトの財は彼の失敗の原因となった。

 『それ金を愛するは諸般もろもろの惡しき事の根なり』(テモテ前書六章十節)。財を持つことはもちろん罪でない。アブラムは信仰があったからこれに害せられなかった。けれどもロトはこれによって失敗を招いた。慎むべきことである。

六、ロトは目の慾に随って選択した。 (十三章十節

 アブラムはこのカナンの全地が神より自分に与えられることを知っているけれども、ロトはその目の慾に従ってよく祈禱もせずして撰んだのである。

七、ロトはソドムの罪を憂えたけれども慾のために引かれて離れなかった。

 彼が次第に近寄りてついに彼処かしこに住むに至れる経路を見よ。十三章十二節を見よ。彼は低地の諸邑しょゆうに住み、最もソドムに接近するまで遙かに天幕を移したとある。それより十四章十二節を見れば『其は彼ソドムに住たればなり』とある。もちろん彼は義人でソドムの罪を憂えた(ペテロ後書二章六〜八節)。けれども自ら彼らから離れることをせず、次第に近づき、ついにその中に住むに至ったのである。


二 アブラムの回復の秘訣及び結果

 アブラムはその信仰に失敗してひとたびエジプトに下ったけれども、帰りきたるや以前の信仰を回復したのであるが、これが秘訣と結果を学べば以下のごとくである。

 一、アブラムはエジプトより帰るや、再び初めに祭壇を築いた所にきたって神を礼拝した。すなわちそこにてヱホバの名を呼んだのである。(ただしロトはこれに与らなかった。)(十三章四節

 二、アブラハムは闘争を許さなかった(八節)。争いの原因は所有物であった。けれども彼は自分の権利を棄てて顧みず、むしろ平和を撰んだ。

 三、アブラムに選択の権があったけれども彼はこの特権をロトに譲った(九節)。

 四、彼は万事を神に委ねた。すなわち神が彼に残したもう分のいずれになるとも御摂理に委ねていた(九節)。

 五、神より更にまされる的確なる祝福を得た。十三章十四〜十七節十二章一〜四節に比べて見よ。彼はここに一段進んだ祝福に達したることが見えている。前に言ったとおり、階段を進むごとに愈れる祝福が加えられるのである。また十四節には『瞻望のぞめ』、十七節には『行き巡るべし』とあり、ただ見るばかりでなく行き巡らねばならぬ。すなわち祝福をわが所有とするために行き巡ることの必要がある。

 六、彼はソドムに遠く離れてヘブロンに住んでいた(十八節)。ヘブロンは『交わり』の意味である。すなわち神との交わりのある所こそ信仰の人の住むべき所である。ロトのなせしところと正反対である。神は彼を彼処かしこにて『まったうしかたうし强くしてもとゐの上に置給おきたまふ』たのである(ペテロ前書五章十節)。



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