第四十六回 ヤコブとその一族エジプトに下ること
第三十七章からはヤコブの伝であるけれども、これまで主としてヨセフのことに関して録され、ヤコブ自身のことは出なかったが、ここからもう一度ヤコブの歴史に帰る。またヨセフに関する記事についても、四十二章から四十五章までは専ら彼とその兄弟等の間のことばかりであったから、この四十六章は四十一章の続きとして見るべきである。すなわち今一度ヨセフのエジプトにおける政治的手腕が顕れている。すなわちエジプトの国を統御して、飢饉と困難なる事件を処理し、その間に父の一家のために安住の場所を備える驚くべき智慧が顕れている。
一 ヤコブ、エジプトに下ること (四十六章一〜七節)
ヤコブはその子等の報告を信じ、ヨセフがなお生きていることを悟り、老年ながらも一族を挙げてエジプトに下らんと、彼はまずヘブロンを出立しベエルシバに赴いた。ベエルシバはアブラハム、イサクの歴史にも、また自分の歴史にも関係ある記念すべき地であるから、その所に留まって格別に父イサクの神にと犠牲を献げて礼拝をなした。しかして今エジプトに下ることははなはだ危険なる道であることを覚え、これは果たして神の御意であろうかと今一度深く考えたことであろう。しかしその夜、神は異象の中に顕れて、エジプトに下ることはわが旨である、懼るるなかれ、我は汝と共におる、汝を大いなる国民とならしめる、また必ず今一度この地に帰らしめると語り、彼をして確信せしめたもうた。十五章十三節に録されてある、神がアブラハムに語りたもうた預言は、今ここに始まるのである。無論ヤコブはその預言を覚えなかったであろうけれども、アブラハムの子孫が四百年の間エジプトに住まうことは神の予め定めたもうた御計画であった。さればヤコブは心中に大いなる希望をもち、神の御命令を受け、疑いなき確信をもって大胆にエジプトに移ったのである。
ヤコブはその子等や孫等と共に家畜貨財をみな携えてエジプトに下った。この人々はユダヤ国民の先祖たちであるからその名は詳しく録されている。しかしてその数は七十人であった。この七十という数はこの後にもたびたび出て来る面白い数である。後にモーセがイスラエル人を導いて曠野を通った旅行中、彼らの不信仰と怨言のために苦しみ、その重荷に堪えがたく感じた時、神はイスラエルの中の長老七十人を選んでその霊を分かち与え、モーセの重荷を分担せしめたもうた。またキリストも十二使徒以外に七十人の弟子を任命して伝道に遣わしたもうたことである。さて今ヤコブと偕にエジプトに移住した七十人は当時のユダヤ国民全体である。すなわちはなはだ小さい国民であったけれども、遠からず驚くべく繁殖して偉大なる国民となり、想像の及ばざるほど大いなる感化を世界中の人類に及ぼさんとしているのである。
ここにヨセフは父を迎えて、絶えて久しき面会を得た。『ヨセフ……父イスラエルを迓へ之にまみえてその頸を抱き頸をかゝへて久く啼く』の一句、真に想像に余る何たる感傷的光景ぞ! ヨセフはもはや別れた時のような少年でなく、よほど変わっていたであろうけれども、老父のこれを見たる喜びはどんなであったろうか。実に溢れるほどの喜びと感謝讃美があったに相違ない。『我汝の面を見ることをえたれば今は死るも可し』の一語は彼の極度の喜びと満足を表している。あたかも老人シメオンが神殿にて嬰児の主イエスを抱き、『主よ、今こそ御言に循ひて僕を安らかに逝かしめ給ふなれ』(ルカ二章二十九節)と言ったごとくである。この面会が終わってからヨセフが彼らの住まうべき所を定める計画を見ることであるが、これによって彼の驚くべき智慧と常識の働きが見える。ヨセフはヤコブの子孫が必ず大いに繁殖して偉大なる民となることを知っている。それゆえに彼らのために安全なる、かつ拡張することのできる住居の場所を備えておかねば、必ずエジプト人と衝突して困難を生ずるに至ると考えた。されば彼らの住むべきところを選ぶに二つの肝要なる点を注意した。すなわちその第一は、無論最もよき豊饒の地を選ぶことであったが、第二は、エジプト人を全く離れて別のところに住まわしめる計画であったのである。さてここにこの目的を達するにはなはだ便利なことは、ヤコブの子孫がエジプト人の穢らわしとする牧畜を業とする者である(四十六章三十四節)ということであった。由来エジプト人の嫌うことは第一はヘブル人と食を共にすること(四十三章三十二節)、第二に家畜を牧うこと(四十六章三十四節)、第三に出エジプト記八章二十六節(日本語訳に『エジプト人の崇拜む者』とあるが原語は『エジプト人の憎むべき物』である)にあるごとく羊であった。(ここに深い教訓が含まれている。すなわち信者と不信者との区別である。今でも不信者は真の信者と食を共にして親しむことを好まず、真の牧者と真の羊すなわち真の教役者と真の信者を忌み嫌うのである。)ヨセフはこの事実を利用して自分の兄弟等を最も善き地でまたエジプト人から離れた別の所に住まわしめるように計画したのである。今でも信者は不信者と一致せず、交わらず、全く離れて別のものとなる。されど幸いにして我等の住むところは最も善きところ、すなわち恵みの場所、安息の場所、霊魂の養わるべき豊饒の地である。
四 ヨセフ、パロの好意を取り次ぐこと (四十七章一〜十節)
これまで兄弟たちの住まいの場所についてヨセフの計画を見たが、これも非常に賢くせねばただ実行ができなくなるばかりでなく、必ずエジプト人と衝突や怨恨を生ずるに違いないと思った。もちろん幸いにしてその当時の彼らは僅か七十人の一家族に過ぎなかったから、そんなに羨望猜疑の的となるようなことはなかったけれども、ヨセフは遙かに後のことを慮って、後日困難の起こらぬために特に王の寵遇と甘諾を得るように取りはからったのである。すなわち
一、ヨセフはまず自ら王に面会して、自分の父と兄弟たちがカナンの国からエジプトに来て、ただいまゴセンの地にいる由を報告した(一節)。
二、兄弟等のうち名代として五人を伴い謁見せしめ、その時パロの問いに対して予め教えたごとく、その職業が牧畜であることを答えしめた。これは彼らをゴセンの地におらしめるようパロに承諾せしめる計画であった。
三、終わりにヨセフは父ヤコブをパロに紹介したが、パロは後日の困難など少しも考えず、極めて寛大な心をもって、エジプト全国は彼らの前に開かれているから何処でも善き地に住ませるよう、すなわちゴセンの地に彼らを住ませるように許し、かつこの老人を懇ろに取り扱って、彼に自分を祝福してもらった。無論パロは、ヤコブの子孫が神の選民で遠からず大いに蕃殖して一大国民となるというようなことは想像もできなかったから、何も懸念せずまた怪しまずして彼らを歓迎したのである。
ヨセフは賢い方法をもってパロを試みた。パロは如何に彼らを歓迎するか、如何に受け入れるか、如何に取り扱うか、ゴセンの地に住むことを赦すか如何にと、兄弟たちに対するパロの態度をば鋭い眼をもって注意していたが、今は全く満足して帰った。この時にユダヤ人の国家を建設する基礎ができたのであるから、これからこの基礎の上にヨセフが懼れなく安んじてその国民を造ることを得るようになったのである。
五 ヨセフ己の民を養い保護すること (四十七章十一、十二節)
パロの快き許しを得て、ヨセフは予め計画した通りゴセンの地にその兄弟等を住ましめた。その上に豊かな食物と一切の必要物を与えた。後に見るごとくエジプト人には穀物を価なしには与えなかったのであるが、自分の兄弟たちには無代償で一切の必要を供給したのである。既に言った通り、飢饉の間ヨセフの兄弟たちは数としてはなはだ少なかったから、この取扱方はエジプト人の注意を惹かなかったであろう。もし彼らの注意を惹いたならば怨言が起こったであろう。土地も無代、食物も無代で与えられた。これは主イエスが我々信者を取り扱いたもう面白い型ではなかろうか。我々はキリストの特別の民、愛せられる選ばれたる民である。主イエスは安息の場所も霊の糧もみな価なくして与えたもうのである。
ヨセフは驚くべき先見をもって、イスラエル人は遠からず蕃殖し、強大なる民族となることを予期していたから、自分の死後、エジプト人が彼らを嫉み大いなる困難を起こす場合が来る、そんな時に特別の保護がなければならぬと考えた。それゆえに極めて大いなる智慧をもって将来における保護の方法を考えたのである。すなわちエジプト王の利益を重んじ、その利益を増進する方法を講じ、王がこれを徳として将来長くイスラエル人を保護するように計画したのである。彼はこの目的を達するために驚くべく王の権利を拡張樹立しておいた。すなわちだんだん飢饉が激しくなった時に、穀物を売ってその金をみなパロの庫に収め(十四節)、エジプトの民がもはや金が尽きたと申し出るや、彼らの家畜を代償として穀物を売った(十七節)。かくて家畜がみなパロの所有となった時、彼らはもはや身体と田地があるばかりである。されば田地を食物に換えて買い取ってくれと申し出た。かくて田地はみなパロの有となり、人民はパロの僕となった。そこでヨセフは収穫の五分の四を人足に与え、五分の一を税としてパロに収めるように制度を立てたのである。これは無理なことではなく、他の国々の法律と比較しても決して過酷な定めではなかった。エジプト人は非常にありがたく思い、『汝われらの生命を拯ひたまへり』(二十五節)と言って甘んじてパロの奴隷たることを承知したのである。ただその国の宗教の祭司の土地は購い取らなかった。これはヨセフがことさらに彼らの反抗を惹き起さぬように慮ったことにもよると思われる。かくて彼は人民をエジプトの極から極まで移し住まわせた(二十一節)。これは驚くべき政治である。この賢い仕方によりパロのエジプトにおける主権を確立し、王のために非常に功を立てた。このことはエジプト国の根本的革命のごときことであったから、国の記録に特筆して伝えられた。これによってヨセフは自分の一代、パロの恩寵に浴したばかりでなく、自分の死後、また現在の王の死後にても王等が必ずイスラエル人を尊敬し保護するように取りはからったのである。実際彼が予期した通り、ほとんど三百年の後、新しい王朝の起こるまで、イスラエル人はこのヨセフの功によって特別の保護を蒙った。後にヨセフを知らぬ王の起こるに及んで、初めて彼らに圧迫を加えるようになったのである(出エジプト記一章八節)。
この賢き取り計らいによりイスラエル人はゴセンの地に住み、そこに大いなる産業を得、その数も大いに殖えたのである(二十七節)。ヤコブはエジプトの国に移ってから十七年間生きながらえてこの世を逝ったが、その臨終の日の近いことを知った時に、ヨセフを召して、ただ一つの心に懸かることを打ち明けて彼に約束せしめた。それは自分の骨をカナンの地に携え行きて葬ることであった。ヨセフは喜んでこれを承諾し、求められるままに誓ったので、ヤコブは喜びに堪えず床の上に跪いて感謝した。この一節のヘブル語は『イスラエル床の上に跪きて拜をなせり』である。この一句はさほど大切なこととも見えぬけれども、ヘブル書を見れば(十一章二十一節)この一節の大切なることがわかる。ヤコブの生涯には様々な面白い出来事が満ちている。幸福なること、不幸なること、失敗も成功もある。また種々なる驚くべき経験もあった。けれども聖霊がヘブル書の記者を啓導してこの書を書かしめたもうた時にこれらのことの一つも憶い起させず、その生涯のうちより選びたもうた最も注意すべきことはこの一事であった。すなわち自分の死骸をエジプトに葬らずしてカナンに携え帰りて葬ることをヨセフが承諾した時、彼が安心して神を礼拝したというこのことであったのである。さてこのことが何故にかく大切であったかと言えば、これがヤコブの信仰の実際的発表であったからである。ヤコブは、自分等はエジプトの国においてただ旅人である、神の定めたもうた自分の子孫の住まいはエジプトでなくカナンであるから、神は早晩必ず彼らをエジプトより導き出し、カナンの国に帰らしめたもうと信じた、その信仰の発表であった。或いはまたこれは彼が甦りを信ずる信仰の発表であったかも知れぬ。とにかくヨセフの約束を聞き、全く安心してこの世を去るように備えたのである。この四十六〜四十七章の話を見れば、必ずここに預言的意味もあろうけれども、特にわれらの学ぶべきところは、ヨセフが聖霊に満たされて驚くべき智慧と賢い常識と聖霊の力に満たされていたことである。ヨセフはただ愛と恵みと広い寛容の心に満たされていたばかりでなく、ステパノのごとくに天来の智慧に満たされていた。また今一つの学ぶべき点は、ヤコブの子等に恐ろしき罪と過失と欠点があるにかかわらず、神の御摂理によってすべてのことが善きに変わらされ、神の予め定めたもうた御計画は幸いにも着々成就して、世界中の人に及ぶ神の恵みの目的は永遠に成就するということである。
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