第三十八回 ユダ家督の権を失うこと
第三十七章からはヤコブの伝で、主にヨセフの生涯の話であるが、その中にこの一章だけユダに関わる誠に不潔な物語が挿入されている。これはユダが家督の権を失った理由を説明するためである。既に学んだ通り、長子ルベンはこの権を失い、シメオン、レビもまたこれを嗣ぐことができなかったが、その次のユダが何故に家督の権を失ったかはここに記されている。すなわち次の三十九章と対照してみれば、ヨセフは恐ろしく誘惑されたけれども罪を犯さず、かえってこれがために獄につながれ苦しみを受けるに至った。しかるにユダは醜い罪を犯した。これによって神が何故にユダの受くべきはずの家督の権をヨセフに与えたもうたかがわかる。三十八章にはユダの恥辱が記され、三十九章にはヨセフの栄光が顕れている。この章のうちからも七つの点を挙げて学ぼう。
一 ユダの不幸なる結婚 (一、二節)
『當時ユダ兄弟をはなれて』とあるが、これはユダの兄弟等がヨセフを売ったその頃を指す。たぶん彼らがヨセフを売った後、互いに相争い分かれたのであろう。人々が罪を犯すとその後で互いに相争い分かれるはその常である。かくてユダはその兄弟等に別れ、アドラム人ヒラという者のほとりに天幕を張り、カナン人シュアの娘を娶ったのであるが、この結婚はヒラに親しくなるためであったか、またはヒラの勧めによったことと思われる。兄弟に離れ、父母にも謀らずして道徳の乱れた不信者と結婚したことによって、誠に悲しむべき結果を生じたのである。
二 ユダの悪しき子供等 (三〜十節)
結婚について間違いをすればその結果として必ず困難苦痛や種々の悪事を生ずるが常である。ユダの子エル、オナン、シラの三人はその母方のカナン人の感化によってみな悪い人になった。長子エルの罪は何であったか、幾分想像することはできるけれども、ここに録されておらぬ。二男オナンの罪は妊娠を避けるためであった。これは実に恐るべき罪悪であって、今でも堕落した人々のうちに行われる避妊術はオナンの名によってオナニズムと称えられている。
さてユダは自分の結婚につきては父母兄弟に謀らず自分の考えに随ってしたのであるが、長男のそれにも(六節)、二男のそれにも(八節)、三男の場合にも彼はみな責任を負わねばならぬ。されば媳タマルの身の落ちつきについてもユダは責任を負うべきである。その父の子ヨセフを失わんとしたユダが、今は自分の子を失うに至ったことは、その蒔いた種をまた刈り取ったと言うべきである。
ユダがタマルをシラに嫁がしめることを願わなかったのは、一つは長男と次男の死んだ原因につき何かタマルに不都合なことがあるであろうとの疑いと、もう一つは彼女が石女であると思ったためであるが、タマルに対してはシラがまだ年若いという理由をもって婚姻を拒んだのである。タマルはいよいよ自分がシラの妻となされぬことを見て、欺かれたことを怒り、如何にしても自らの身のあかしを立てたいと思って、娼妓の風を装ってユダを誘ったのである。
ここに録されているこの実に面白からぬ罪について、最も重い罪と思われるはタマルのそれである。被衣をもって身を蔽って、娼妓のごとくその舅を誘うというは実にはなはだしいことである。けれどもよく考えてみれば彼女には大いに恕すべき点がある。何故なれば、元来カナン人の道徳の程度は至って低く、媳が舅と結婚することなどは当然のことであった。昔エジプトでは王等の血統を続けるために兄妹の結婚さえ行われたということである。そんな風俗の間に育ったタマルであるから、このようなことを深く罪とは思わなかったであろう。かつユダには系譜の権があるからぜひユダに子を生まねばならぬと感じたことと、前に言った通り自分が石女であると思われている上に、二人の夫の死は自分のゆえであるとの疑いを受けているから、如何にもしてそうでないことを証明したいとこの手段に出たので、ちょうどアブラハムがハガルを娶ったのは子を得るためで淫欲を恣にするためでなかったように、彼女も淫欲のために舅を誘ったのでない。その証拠には、この事の後、娼妓の衣を脱ぎ、嫠の服を着てその父の家に身を慎んでいたことによってわかる(十九節)。ユダがただ自己の淫欲のために誘惑に陥ったのとは非常に違う。さればこれはタマルの罪でなくしてユダの罪である。
ユダはタマルに与えんと約束した山羊の子の質として印と綬と杖とを与えた。後にこれを取り返さんとその友ヒラに託して子山羊を送ったが、もとより娼妓を見出さなかったので、ユダは『恐くはわれら笑抦とならん』と言ってこのことを恥じた。しかしその罪を恥辱としたのでなく、かえってその罪が人に知れざるように蔽ったのである。されども真の恥辱は、これが人に知られても隠されても罪そのものである。
六 ユダの偽善と怯懦 (二十四〜二十六節)
ユダは三月ばかり経たる後、タマルの妊めるを聞き『彼を曳いだして焚べし』と言った。ここに『焚べし』とあるは額に焼き印を捺すことであった。当時女が娼妓のような行いをすれば、生涯消え去らざるよう、額に『娼婦』の文字を焼き印したのであるが、今タマルもそのように罰せられるために引き出された。その時タマルはその質物を出して、自分の妊んだのはこの人によると言ったので、ユダはこれが自分の罪の結果であることを知って、ついにはこれを罰せずして止んだ。これは実に彼の偽善と怯懦の行為である。
七 ユダの永久的恥辱と神の豊かなる恩寵 (二十七〜三十節)
歴代誌上二章三節とマタイ一章三節を見よ。ユダの第三子シラがこの系譜を嗣ぐべきにかかわらず、庶子でありしかも不道徳なる罪によって生まれたパレスにこの系譜の権が与えられた。これによってタマルは義とせられた。前に言えるごとくにタマルは決して淫欲を恣にするためにこの罪を犯したのでないが、これは永久にユダの恥辱である。ユダはこれがために当然家督の権を失い、試惑に勝ち遂げてその潔きを保ったヨセフに与えられたのである。しかしここにまた神の驚くべき恩寵が見えている。すなわちかかる不潔な罪の結果として生まれたパレスの子孫として主イエスが生まれたもうたことである。
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