第六回 社会の始め



第四章十六節第五章


 第五章から大区分の第二段、すなわちアダムの伝記である。しかしまず四章十六〜二十六節を研究せねば第五章の霊的意味を悟りがたい故に、四章十六節より共に学ぶこととせん。

 四章において宗教の二つのみち、すなわち恵みにつける途と肉につける途、自然宗教の途と超自然宗教の途、人間の途と神の途が明らかに示されたのであるが、この二つの源から社会の二つの流れが出て来る。しかしてこの四章の終わりと五章においてこの社会の二つの流れが明らかに示されている。第一の流れはこの世に属するところの流れ、すなわちカインの子孫の社会の発達である。第二の社会はアベルの代わりに生まれたセツの子孫の社会の発達である。現今においてもこの世の中にやはりこの二つの流れが見える。すなわち一つは、神なき、救いなき未信者の社会の流れ、今一つは言うまでもなくキリスト信者すなわちキリスト教会の社会の流れである。


一 カインの子孫の流れ (四章十六〜二十四節

 一、カインは神を離れ、神のかおを逃れてこの世の中に彷徨さまようていた。けれどもなおこの世をば自分の天国となそうと思い、その長男の生まれた時に立派なまちを建て、その子の名を永久的に崇めるようにとその邑にその名を付けたことである。詩篇四十九篇を見ればちょうどカインの子孫の思いと行いが記されてある。

 かれらひそかにおもふ わが家はとこしへにのこりわがすまひは世々にいたらんと かれらはその地におのが名をおはせたり (詩篇四十九篇十一節

 これは神を敬わざる者のみちである。しかしてこれは今も後もやはりこの通りで変わらないのである(創世記四章十六、十七節)。

 二、その次に六つの代が記されているけれども、その年齢も履歴も何もしるされておらぬ。カインの代の数は七代であり、第五章に記されるごとくセツの代もエノクに至るまでで七代である。これは注意すべきことである。しかしてこのカインの七つの代とセツの七つの代は主に平行している。もちろんカインはセツよりも年上であったから、一番終わりのレメクはエノクの少し前で、レメクの三人の子等はノアと同時代の人であったろう。彼らのその後の子孫が何も録されておらぬところより見れば、彼らはみな洪水のために亡ぼされたのであろう。(十八節

 三、第三に注意すべきことはレメクはすなわちカインの子孫であって、不道徳なる多妻の習慣を始めたということである(十九節)。

 四、レメクの二人の妻の名はアダとチラであったが、この二人の名を調べてみればアダは『楽しみ』、チラは『飾り』である。これによってカインの社会の特質が現れている。すなわち奢侈、虚飾、逸楽、贅沢のそれであったのである。(十九節

 五、レメクの二人の妻によって三人の子供が生まれた。すなわちヤバル、ユバル、およびトバルカインであった。面白いことにはレメクの子供等ができるまではカインの社会の発達に関して明らかに記されておらぬが、最後の代の文明のことは詳しく記されている。この三人の履歴を見れば第一は農業、第二は音楽、美術、第三は商工業および戦の武器の製造のことが記されている。きわめて簡単ではあるが、その時代の文明をこれによって暗示している。これを見ればこの時代は文明の時代であったと言っても差し支えはない。しかし神のこと、また宗教のことは何も記されておらぬ。すなわちこの文明は神と宗教に何らの関係もなき有様であったのである。

 六、この次に特に記憶すべき点は、この七代目、すなわちカインの子孫の社会の最後の代の特質が暴虐と無恥であったということである。カインは殺人罪を犯して悔い改めなかったけれども、神の御前みまえに懼れていた。しかるにレメクはもう一度人殺しをしても何をも懼れず、かえってこれを誇りとし、嘲り笑っていることである。先祖カインは人を殺しても彼を撃つ者には七倍の罰があったということであるが、我も人を殺すとも無論何の咎めもなく、もし我を撃つ者があれば七十七倍の罰があろうと言っている。ああ何たる無恥、何たる暴虐ぞ!

 七、カインの子孫七代の歴史はちょうどこの世の文明の発達を表す簡単な模型である。これを六章のノアの時代と比較してみると、その時代の特質もやはり暴虐であった。『暴虐世につ』と二度記されている。これはノアの時代の特質であった。しかしてキリストが御再臨前のことを語りたもうた時に、その世の有様はノアの時のごとくであろうと仰せたもうた。

 レメクの家族、すなわち妻らと三人の子供等の簡単なる歴史に顕れている逸楽、虚飾と進歩したる文明と恐るべき暴虐、これはまたキリスト再臨時代の有様であるということは我々にとりて実に厳粛なる警戒ではなかろうか。

 ユダ書を見れば、この時代はただ文明的でかつ暴虐に満ちた時代であるばかりでなく、神を敬わざる時代であったことがわかる。すなわち

 これすべての人の審判さばきをなし、すべて敬虔ならぬ者の、不敬虔を行ひたる不敬虔すべてのわざと、敬虔ならぬ罪人つみびとの、しゅさからひて語りたるすべてのはなはだしきことばとを責め給はんとてなり (ユダ十五節

と言っている。これはエノクがレメクとその子等の時代の人々、すなわち非常に文明的な社会の人々に向かってなしたる説教である。その時代の社会の特質はまた不敬虔であった。しかして今の時代は如何と顧みねばならぬ。文明にして暴虐と不敬虔!


二 セツの子孫の流れ (四章二十五節五章

 これからセツの子孫すなわち神の選びたもうた民の簡単なる歴史が録されている。これは信者の社会すなわちキリスト教会の社会の流れである。

 一、アベルの代わりに与えられたセツがその子を生んだ時にエノスと名づけた。その名はカインの子の名とよく似ているが、彼らの行為は非常に異なっている。この二十六節の翻訳につき二つの説がある。一つは『その時人々ヱホバの名にって彼等自身を呼び始めたり』とする。これは面白い。ちょうどカインの仕方と正反対である。カインの子供の生まれた時に、その名を永久に保つために立派な邑を建てたのであるが、セツの子供が生まれた時には、彼らすなわち神の選びたもうた人々はその名を永久に保たんことを考えず、却って神の名をもって自分に名づけた。これは神の御名みなを永久に崇める目的であったのである。今一つの翻訳は日本訳のとおり『この時人々ヱホバの名を呼ぶことをはじめたり』とするのである。この通りであるとしてもまた面白いと思う。すなわち神の選びたもうた民はカインの恐ろしき傲慢を見て格別に謙り、初めて真面目に心より神の御名を呼び求めるようになったというのである。いずれにしてもカインの態度との非常なる相違に注意すべきである。

 二、次に注意すべきことは、セツの子孫の六つの代はみなしるされるばかりでなくその年齢も一々記されてあるということである。不信の徒の年齢は記される要がないけれども、神の民の代の年齢は忠実に録さるべきであった。しかしてその六つの代の各々に対して『而してしねり』という悲しい短い釣鐘の響きが記されてある。これもカインの子孫につきては録されず、ただセツの子孫に限り録されてあるのは注意すべきことである。しかるに第七代に至りてこの悲しき釣鐘の響きがない。すなわちエノクは死なずして携え挙げられたのである。これは実に面白い絵のごとくに記されてある模型である。すなわちこの世は既に六千年間神を信ずる者の死を悲しんだが、主イエスが再びきたりたもう時に、聖徒は死なずして携え挙げられるのである。その時、最後の敵なる死は主イエスによって亡ぼされるのである。

 三、このセツの子孫の七代目、すなわちエノクと、カインの子孫の七代目レメクと比較すれば、はなはだ大いなる相違がある。エノクにはもちろんレメクのごとき多妻はなく、理想的なる家庭のうちに子供を与えられ、彼は神とともに歩んだのである。聖書のうちに神と偕に歩んだと録されてある聖人はエノクとノアの二人であるが、神と偕に歩む秘訣は、言うまでもなく神に対する愛情ある信任である。すなわちヘブル書十一章六節にあるとおり、信仰をもって神に悦ばれることである。さてまた神に悦ばれる秘訣が二つある。その一つはヘブル十一章四節にあるとおり、アベルのようにまされる供え物を献げること、すなわち贖罪のための犠牲をば信仰によって献げること、今一つはエノクのごとくにける神の御臨在を信ずることである。我々に当て嵌めて言えば、我らのために死にたもうたキリストと、いま生きておいでなさるキリストとを信ずることである。これによって聖霊のあかしが与えられ、神に受けれられ、神と偕に歩み、神に悦ばれる者と証せられることができる。

 四、ユダ書を見れば、エノクという人は不思議にもキリストの御再臨について教えられていたのである(ユダ書十四節)。カインの子孫がこの世の文明と快楽と奢侈、贅沢のことのみを考えていたのにひきかえて、彼はこの世のはかなきことを悟り、主イエスが栄光のうちにこの世にあらわれておいでになることを明らかに教えられていたのである。

 五、エノクは神の審判を宣べ伝える伝道者であった(ユダ書十四節以下)。これは神と偕に歩む生涯の特質であったようである。ノアもやはり明確に、しかもきわめてつまびらかにきたるべき審判を示され、これを宣伝せざるを得なかったことであるが、アブラハムもまた神の友ととなえられ、特別にソドム、ゴモラの滅亡を示されたのである。今でもこれと異ならず、最も熱心に神と偕に歩み、神に親しく近づきおる信者は、みな神の審判の事実であることとそのはなはだしきことを実覚して、如何にもしてこれを宣伝せずしてはやまない次第である。

 六、エノクの生涯とレメクのそれとは雲泥もただならぬ相違である。レメクの生涯が自己の心のままを行い自己を喜ばすことを主義とするに反して、エノクの生涯の心髄は神を喜ばすことであった。かくて彼は神に喜ばれる者と証せられたのである(ヘブル十一章五節)。

 七、終わりに、この二つの子孫の結局を見れば、カインの子孫すなわちレメクとその子供等は自己が造ったその立派な文明と共に洪水のために全く亡ぼされてしまったけれども、エノクは幸いにして死を味わわずして携え挙げられたのみならず、自分の子は洪水の二年前に死に、孫のノアは神の大いなる矜恤あわれみによりて恐ろしき洪水をも方舟はこぶねのうちに避けて救われることができた。

 実にエノクは驚くべき預言的模型である。我ら真の信者は神の選民である。彼のごとくに神と偕に歩み、彼のごとくに不敬虔なる不信者に向かって来らんとする審判を避くべきことを警戒して、忠実に神にしたがうならば、主イエス御再臨の時に必ずエノクのごとくに空中に携え挙げられ、主イエスに会い、永遠に彼と偕におることができる。



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