附録(二) 創世記第六章の歴史的研究



 第六章より第九章にわたる大洪水の記事の心霊的研究は本文中に載せたれど、ここに少しく歴史的方面を研究せん。現今の地質学者間には聖書の大洪水の記事に対してその歴史的事実なることを疑う説をなす者もあるから、私はここに事実の聖書外の証拠について述べる必要があると思う。

 大洪水の事実を証明する証拠に四つの方面がある。すなわち歴史的証拠、第二は地質学的証拠、三は動物学的証拠、および天文学的証拠である。


第一 歴史的証拠

 世界のいずれの国にもこの大洪水の事実なることを暗示するところの伝説がある。南太平洋のニューヘブリデスの島にも驚くべき伝説がある。またインドにも詳しい伝説がある。すなわちインドにヴィシヌ(Vishinu)という偶像の名があるが、この名はカルデア語のイシヌ(Ishinu)と同じである。カルデア語でもヘブル語でも『イシ』は人を意味し、『ヌ』はノアというと同じで、やはりノアのことを示している。殊にアッシリアには細々こまごまと記した伝説がある。オックスフォード大学のアッシリア学の博士セイス氏は近頃発掘した記録を翻訳したるに、それが不思議にも聖書の物語に酷似しているを発見したということである。またヒズロックという学者はその著『二つのバビロン』に「ギリシャ、ローマ、ならびにアジアの神話全体にわたって誤解することのできぬほど明らかなノアの歴史とその事蹟が満ちている」と言っている。このほかなお世界の方々から見出された多くの証拠を挙げることができるけれども、今はそのいとまがない。


第二 地質学的証拠

 かつて世界を掩う大洪水があったということを証拠すべく以下のごとき事実がある。

 一、海に遠い陸地や高山の頂上に海底の沈殿物が発見されること。

 二、地質学者はいわゆる仮想の大氷結時代や地平線、水平線の変化などを説明するために、北アメリカのごとき大陸が一時数千尺の高さに高まり、更に海底に沈んで再び現在の地平線に復帰したものであると想像すること。

 三、地球の両半球ともその大部分にかつて大氷原に掩われていた痕跡のあること。また堆石によって知られるごとく、氷河のかつてあり今既に無くなりたるもの、以前よりも減少したるもの、今なお減却しつつあるもののあること。

 四、世界の所々に漂石の堆積が見出されることであるが、これは明らかに洪水と氷によって運び移されたものであること。

 五、この漂石の堆積は北米大陸では旧世界の同緯度よりもおよそ十度ばかり南方まで拡がっていること。


第三 動物学的証拠

 大洪水に関する動物学的証拠につきて、かの有名なるチャールズ・ダーウィンは以下のごとく書いている。

 「アメリカ大陸の変化したる跡は、甚大なる驚異なくしてこれを考え見ることができぬ。すなわちかつては大なる怪異の動物が群居していたということが知られるに、その後土地の形状に非常なる変化は起こらずして動物のかく多くの種属またその全類の絶滅したのはなにゆえであろう。これは或る大激変が起こったためであると信ずるほかない。しかも南パタゴニア、ブラジル、ペルーのコルジデラや北アメリカ、ベーリング海峡等を通じて、そこに棲息していた動物を絶滅するためには、どうしても地球の全構造を震動するほどの大激変があったのでなければならぬ。」

 サー・H・ハワーズ氏はその著『マンモスと大洪水』のうちに「事実は我等をして一つの避くべからざる結論に至らしめる。すなわちマンモスとその同類の獣は或る広汎な大激変によって亡ぼされたのである。これは尋常の生存競争の徐々の進行の結果ではなく、広い地域に行われたる大激変にってである。またシベリヤおよびヨーロッパにおいて我らが発見する遺残物の大部分は、非常に長い時を経て一定の規則的原因のもとに漸次蓄積したる結果でなく、極めて広い範囲に渡る自然界の大屠殺の結果、当時代の動物全部同時に死滅したために生じたものである。カブイアー氏はマンモスの屍体および骸骨の発見された種々の場合に関して次のごとく論じ、かつ他の多くの人々もこれに同意している。『彼等はその住んでいた柔らかい地中にそのまま沈んで、その姿勢のままで凍ったかのように真っ直ぐに立っている。これは浮流した屍体としては了解しがたき有様である。またマンモスや毛深きサイの或るものは非常によく保存されていて、その歯の凹みに残っているその飼料の崩砕物によって彼等が如何なる種類の物を食していたかを知ることができるが、その食物は今は北極の海に沿う所には見出されぬ』と言っている」と。ハワーズ氏はこれに附加して以下のごとく結んでいる。

 「植物のこの種類のものはそこに生長しつつあることを発見されざるに、マンモスの遺骸のある所いずこにも同一種の崩砕物はたくさんに見出され、また現今は遙かに南方に棲む蝸牛類その他陸棲貝類もこれとともに見出されることであるが、これは決裁的の証拠である」と。今一つ面白き証拠は、海面より高きこと千六百尺に及ぶバイカル湖にアザラシのいることである。この獣はカスピ海にも発見され、ローマの歴史かプリニウスの言うところによれば、彼の時代すなわち第一世紀の初めの頃には紅海の中にも発見されたということである。元来アザラシは北極のもので、氷の中に住むものであるのに、どうしてそれがバイカル湖やカスピ海また紅海に移って来たのであろうか。これは世界を掩うような大洪水のごとき出来事によってでなければ説明のできぬことである。


第四 天文学的証拠

 天文学を詳しく研究すれば三つ四つのはなはだ面白い、また説明し難きことがある。今これを挙げてみよう。

 一、地球の南北極は地理的と磁石的と両様になっているが、かつては同一であったのでなければならぬということ、すなわち他の方面から言えば地球の黄道面の傾斜は初めからかくあったのでないということである。
 アナクサゴラス(紀元前六百年)は「天体の回転は地に垂直であったが後に傾斜ができた」と言っている。この言葉は無論何ら科学的価値はないけれども、確かに驚くべき説であるのみならず、これによって太古よりかかる伝説のあったことが知られる。

 二、一般に惑星を回る衛星の軌道面はその惑星の赤道と一致するを法則とするけれども、月の地球における関係はそうでないということ。

 三、月の軌道と赤道との間隔は地球の磁石的両極と地理的両極の隔たりとほぼ同一であるということ。

 四、本来地球の赤道が黄道面と一致しており、磁石的両極と地理的両極が同一であったならば、温帯は両極の約五度くらいのところまで拡がっていたに相違ないのであるが、極地の探検は或る種の動物の発見によって、実際かつては温帯がそのくらいまで拡がっていたことを証明しているということ。

 このことにつき、かの名高い天文学者ハレー博士の説を引照しよう。(ハレー博士はかつてハレー彗星を発見し、七十年目ごとに必ず現れるべきことを予言したので、多くの人は大いなる興味をもってその予言の正否を検せんとした。彼の死後、果たしてその予言のごとくに星が現れたのである。この洪水に関する彼の説もはなはだ興味あるものである。)

 以下は『大洪水に対する科学の説明』と題する書よりこの点に関する部分の抄出である。

 「ノアの時代の大洪水の物理学上の原因は、地球の外殻の地軸が変じたためであるというハレーの説は、従来の一般普通の観念を転覆した。単にかかる説を聞いたばかりで多くの疑問が人々の心に起こり来る。すなわち

 一、地軸にかくのごとき変動を起こした原因は何か、
 二、かかる変動があったとしても何故それが外殻のみに限られたか、
 三、地球の構造はいかなるものであるか、それは単一であるか、二重になっているか。地球の内部は溶解した塊であるか、硬い核であるか、

というような問題が起こる。これらの諸問題に答えんとする前に、まず地球の表面上にかつて必ず起こったでなければならぬところの変化について考えてみよう。

 それはすなわち地球の気候が変化したということである。勇敢なる探検家は南北極を踏破してこれら凍れる地方が久しく保っていた秘密を探ったことであるが、彼等の発見した化石によって、多くの種類の動植物がかつては現今なし得るよりなお極地に近きこと数度の地まで繁殖していたということが知られる。さればかかる気候の変化をきたらせるために何事かが起こったのでなければならぬ。

 この変化は漸次であったか、突然に来たか、その原因は何であったか、これらの疑問に対して現今の科学には未だ適当の答えを与える用意ができておらぬ。

 もっと手近いところでは、英国の博物館に陳列してある化石を見ても、かつて英国がもっと暖かい気候で、トラやサイやその他の熱帯動物が珍しくなかったということがわかる。そうとすればかつて英国がもっと赤道に近い位置にあったであろうか、さては全世界の一般の温度が低下したのであろうか。

 太陽から地球に達する熱が一般に漸次減少したという仮説をもって説明するには、起こった変化があまりに不規則であるという困難がある。すなわちウィーンとジャマイカとで見出された化石を見ればこれらの地がかつて同一気候であったということを表している。されば何故に一つの地は昔より寒くなり、一つは一層暑くなったであろうか。

 地質学及び地理学の研究は、現在においてこの気候の変化に適当な説明を供することができぬ。されば我らはこの秘密を解くために『科学の相互依存』と称する主義により、地球磁気と天文学の助けを求めねばならぬ。北の磁極の位置は久しき以前から知られており、南の磁極の位置も近頃の探検によって定められたことであるが、何故に南北共に磁石的の極と地理的の極の二種の極があるか、何故にこの二種の極が一致しないか、かつてはこの二種の極が一つであったことはあり得ないことであろうか。もしかつて一つであったとすれば、いずれの方が本来の位置を離れたか、如何にしてこの変化が起こったか。これらの疑問に対して私は二百年前、エドモンド・ハレー博士によって唱えられ、近頃 W. B. カロウェイ氏によって主張される説のほかに、満足なる答えのあるを知らぬ。

 簡単に言えばそのハレーの説は次のごとくである。すなわち

 『地球は単一の球でなく、二重になっている。すなわち地球の中にまた地球がある。テラと称せらるべき内部の球、すなわち核は四千マイルの直径をもつと想像されている。しかしてこの核は二千マイルの厚さのある外殻に包まれている。かくて元来はこの外殻と内部の球と完全なる権衡を保ち、全地球単一なる地軸を廻って回転していたのである。然るに一大陸、或いは一大島が大洋の深みに陥った(プラトンやギリシャ人、エジプト人が失われたるアトランティスにつき想像せるごとく)ことのために、地球の内外球がその権衡を失い、外殻は地滑りをなし始め、ついに北極が本来の所より十八度半離れたところに来るまで滑り続けたのである。この十八度半はちょうど磁石的北極と地理学的北極との距離である。』

 また永い間繰り返して遂げられた観察によって次のごときことが証明された。すなわち磁石的極において、地面より遙か下にてちょうど数時代を通じてこの極を回って大いなる磁石を引き回すような運動があるというのであるが、この運動を起こすものは何であるか。この磁石のごときものを引き回し得るものは何であるか。ハレー博士はいわゆる内球がこれをなすのであると信じた。しかして一千六百九十二年に英国科学協会でハレー博士がその論文を読んだ時に、如何にそれが驚きをもって迎えられたかということは、その論文がその後三十年間出版されなかったということで知られる。しかし博士はその説を固持して『この説に拠らざれば地球磁気の説は説明されることはできぬ』と言った。

 彼はまた地球の内球と外殻との間に或る流動物が入って、両者の摩擦を少なからしめていると信じていた。ティルウェイ氏は比重の法則によってこの流動物は水銀であると言い、かつ地球内部の球は知られたる鉱物中最も重い鉱物、すなわち金のごときものによって成り立っているに相違ない、何となれば地球の比重は外殻のそれより遙かに重いからと言っている。現今用いられる燈台を見れば、そこに2トンの重さのある回転灯が水銀の入った盤上に置かれ、僅か指一本か二本で動かし得るようにできている。(中略)一千八百六十四年五月二十六日、英国科学協会の会長席から地球磁気学の最大権威なる故エドワード・サベイン氏は『かかる仮説を受け入れることを妨げ得る故障はもはや固執すべきものでない、されば進歩したる科学の光に照らして、固執すべからざるを発見したるは、ハレーの説にあらずしてこのハレーの説に対してなされたる故障そのものである』と言った。」

 かかる地球均勢の攪乱が大洪水の時に起こったと仮定し、しかしてハレーの説を講究の価値ある仮説とするならば、如何に多くの問題が解決され、如何に多くの一致する証拠がこの説を支持するかは驚くべき事実である。すなわち

 一、これによって地理学的両極と磁石的両極の相違の起こった理由がわかること、

 二、月の軌道は、一般に衛星を支配する規則によれば地球の赤道面にあるべきに、その然らざる所以がまたこれによって説明される。何となれば、地球の地軸に異動が起こった時にも、月はやはり本来の軌道を離れなかったので、その進路は元の通り磁石極を地軸とする地球の赤道面とほとんど一致しているのであると考え得るからである。

 三、このハレーの説は、これまで説明されなかった地球磁気の秘義および地球の磁石的極が地理学的極の周囲を永続的に回転しつつあることの理由をも説明することができる。地球の内部においてかかる徐々の運動が現に進行しつつあるということは科学の確かなる事実の一つである。

 四、地軸の変化は世界の各地、格別に両極地方に気候の大変化の起こった理由を説明するのである。地球の黄道が赤道面にあり、地理学的極が磁石的極と一致していた時──地球の内外球が同一の軸によって回転していた時──には、温帯は両極のおよそ五度以内くらいの所まで拡がっていた。かくて南北極の氷結地方は地軸の変化のあった後よりも遙かに局限せられ、また赤道の方にても熱帯地方は現在におけるよりも遙かに狭かったのであろう。されば地球表面の大部分は完全なる気候であったことであろう。が、この四季の変化もなく、しばしば温度の激変を来すようなこともなかったであろう。かく好適なる気候は或る程度までは洪水前の族長等のよく長寿を保った理由であったろう。(聖書にかく詳細にしるされている彼等の驚くべき長寿は、完全な気候よりも神が初めて完全に造りたもうた始祖よりの遺伝によることは言うまでもなきことである。)

 五、科学者、発見家によってしばしば気付かれ、しかもなお説明されざる他の現象は、世界の多くの部分に海陸の相関係する平準点の変更したことであるが、これもまたハレーの地軸の変更に関する説が認められるならばよく解釈される。

 六、漂石の堆積は世界の種々の部分に見出されることであるが、北アメリカにおいてはヨーロッパにおいてよりも十度くらい南まで拡がっているということもまたよく知られたる現象である。これは地軸の変動が大洪水を起こしたということのほかには説明しがたいことである。漂石の堆積は大洪水に必然相伴いきたるものである。

 七、詩的に『大氷結時代』として描写される氷に覆われてあった時代のことについても同様のことが言われるのである。すなわち地軸の変動は、大洋の深みから陸地のすべての所に溢れる厖大な大海潚だいかいしょうを起し、南北極における氷の巨大なる堆積をば押し流したのであろう。この時に当たって、以前に極に最も近い所は反対側の同緯度の所よりも一層多く氷をもって掩われていたに違いない。さればこれによって地質学者が今なお説明に苦しむところのこと、すなわち北アメリカにおいてはかつて一マイルの厚さにも達する氷に掩われていた形跡があるに、アジアは同緯度においても海水の氾濫のあった跡が見られるのみで、かかる氷に掩われた形跡のないことを説明し得られるように思う。

 この仮説によりて氷結時代は大洪水に必然伴いきたることであり、その影響と形跡が今日なお我等にまで続いているのであるということが分かる。

 かくのごとく天文学、地質学、地球磁気学、気象学等の科学はみな、或る時に或る激変が地球に大影響を及ぼしたる結果に前掲のごときものがあったということを証明している。


創世記講演附録 終


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昭和十一年六月二十日印刷
昭和十一年六月二十五日発行

定価金壹圓貳拾銭
   送料拾貳銭
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不許複製

著作権者  日本伝道隊聖書学舎出版部
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発行人   沢  村   五  郎
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印刷社   落  田   健  二
    兵庫県明石郡垂水町盬屋八十七
印刷所   日本伝道隊聖書学舎出版部
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