第七 聖霊降りたもう



二  節

 『突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて』。これはペンテコステの言葉であります。聖書から聖霊の傾注の例を引いてみますと、いつでも俄に与えられております。マラキ書三章一節に『たちまち』という同じ意味の言葉を見ます。主イエスはこの世にいたもうたときにやはりいつも俄に祈禱に答えたまいました。盲人の目を開き、聾人の耳を開き、病人を癒し、死人を甦らせたもうことはいつでも俄でありました。今はもはや天に昇りたまいましたけれどもいつでもその通りに働きたまいます。そうですから今日も同じことを見ます。神は俄に聖霊を与えたまいます。だんだんにその経験に達するのではなくして俄にその円満なる恵みを頂戴いたします。或る兄弟は俄に新しい経験を得たと証することができませんでもやはり聖霊に満たされている者もありますが、たいがい俄に聖霊を受けまたそれを証することができます。
 『一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった』。そうですからこの弟子等はみな坐して静粛にそれを待ち望んでおりました。声を上げて祈禱を献げておった時ではなかったでしょう。もはや一生懸命に熱心に祈りました。けれどもこの時はもはや声を上げて祈ることを終わり、静粛に神の大いなる恩恵を待ち望んでおりました。十五節を見ますればこれは朝の九時頃でした。
 聖霊の下りたまいましたことは祈禱に対する神の大いなる答えでありました。神が祈禱に答えたもうことの明白なる証拠でありました。神はこのように祈禱に答えてこの一番幸福な賜物を与えたまいますならば、まして祈禱の答えとして他のものを与えたまわぬはずはありません。
 またこれは神の聖言の真実であることの大いなる証拠でありました。旧約聖書で聖霊の下ることは一番大いなる神の約束でありました。主イエスもまた繰り返してそれを誓いたまいましたが、今その約束が成就せられました。これによって神の聖言の正しいことを知ることができます。私共は人間の智慧をもって、種々の論をもって聖書の真実を確かめることができます。けれども一番明白な証拠は何であるかと申しますれば、その聖書の約束を経験することです。たとえば主イエスが『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう』と仰せたまいましたならば、重荷を負える私共は祈禱をもって彼に近づき、その安息を得ますれば、それによってその聖言の真実なることを確かめます。今この弟子等は聖霊を受けることによって旧約聖書の真実なることを確かめることができました。
 この二つのことは大切です。すなわちこれは祈禱の答えでまた聖書の約束の成就せられたことでした。そうですからどうか聖書の言葉を握って祈りなさい。或る兄弟は他の兄弟の証詞を聞いて祈ります。或いは書物を見てそれによりてその真理を知って祈ります。けれども真正に聖霊の降ることを求めとうございますなら、聖書の活ける言葉を握り、聖書によって神の聖声を聞いてそれを求めなければなりません。未だこれについて神の聖声を聞かない兄弟姉妹がありますならばどうか静かに聖書をお調べなさい。私の口より、また他の兄弟の口よりこの証を得ずしてどうぞ聖書を調べ、聖書によって神の聖声を聞いてお祈りなさい。その道を歩みますならば必ず主の御手からその賜物を頂戴いたします。
 聖霊の在したもうことの表面のしるしは何であるかと申せば、ここに三つのことがあります。第一は神の気息(いき)です。
 『突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて』。原語では風よりも人間の気息の方が正しうございます。神が気息を吹きたまいました。創世記一章二節に『神の霊が水のおもてをおおっていた』とあります。その霊は原語にてはヤハウェの気息であります。その時は神が創造したもう時でありましたが、第一に気息を吹いてその働きを始めたまいました。創世記二章七節にまた大切なる創造があります。『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた』。神が賤しい土を取ってご自分に似せて貴い人間を作りたもうた時にも、ご自分の気息を吹き入れたまいました。今ペンテコステの日には神は土のごとき賤しい人間を取って気息を吹き入れてご自分にかたどらしめたまいます。
 またヨハネ伝二十章二十二節に、甦りたもうた主イエスが弟子等の真中に立ちたもうた時に気息を吹きて聖霊を受けよと言いたまいました。その意味は何であるかと申せば、聖霊はご自分からの賜物であり、ご自分の生命であり、ご自分の性質からの賜物であることを示します。今ペンテコステの日に第一に聖霊が気息のように降りたまいて神のご性質からの賜物を与え、また神の生命を幾分か分け与えました。
 エゼキエル書一章四節を見ると、エゼキエルが神の異象を見ました時、第一にその通りに烈しき風を見ました。『わたしが見ていると、見よ、激しい風と……』。またエゼキエル書三十七章九節を見ますれば、この風によって甦りの生命と甦りの能力とを得られます。『息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ』。この息という字と風という字は原語で同じ字です。
 また雅歌四章十六節を見ますと譬えをもって神の風のことが書いてあります。『北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように』。聖霊の風が吹きたまいますならば私共の心から香が出ます。また主イエスがその心に入りたもうてその心の果を喜びたまいます。
 第二のしるしは音でした。烈しき響きの音を聞きました。『響きわたった』。聖書を調べますれば、神の異象を見ました人々がたびたびそのように響きを聞きました。エゼキエル書二章一節と四節を見ますと神はエゼキエルに聖言を宣伝することを命じたまいました。エゼキエルはその命令に従って出ました。『時に霊がわたしをもたげた』(三章十二節)。エゼキエルは喜んで神の命令に従いましたから、霊は直接にエゼキエルを感動したまいました。その時に『主の栄光がその所からのぼった時、わたしの後ろに大いなる地震の響きを聞いた。それは互に相触れる生きものの翼の音と、そのかたわらの輪の音で、大いなる地震のように響いた』(十二、十三節)。エゼキエルはそれを聞きました。それによって自分一人行くのではなく天使が自分と共に行くことがわかりました。その響きは天使が共に行く音でした。
 またエゼキエル書四十三章二節を見ますれば同じことがあります。五節に『主の栄光が宮に満ちた』とありますが、その前に二節で音を聞きました。『その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた』。神がシナイ山でご自分を顕したまいました時に同じことがありました。出エジプト記十九章十九節『ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた』。このラッパは天よりのラッパでありました。ヘブル書十二章十九節を見れば、それは人間の吹きしラッパではありませんでした。
 またダビデが神の命令に従って戦に出ました時にそのような声を聞きました。サムエル後書五章二十四節『バルサムの木の上に行進の音が聞こえたならば、あなたは奮い立たなければならない。その時、主があなたの前に出て、ペリシテびとの軍勢を撃たれるからである』。この音はちょうどエゼキエルが聞きました音と同じものであります。また神はここにその音を解説したまいます。その音は何であるかと申せば主ご自身がダビデと共に行きたもうということでした。そうですからダビデは心の中に必ず勝利を得る望みが起こりましたでしょう。神は私共が伝道に行く前にもこんな音を聞かせたまいとうございます。
 また列王紀略上十八章四十一節に、エリヤが『大雨の音がするから』と申しました。他人はこの音を聞きませんでしたが、エリヤばかりこれを聞きました。これは雨が降らんとしている兆しでした。神と交わり神に祈りし人が第一にこの音を聞くことを得ました。ただいまペンテコステの日にこんな種々の意味をもって神はその音を響かせたまいます。

三  節

 霊の在したもう第三のしるしは火でありました。『炎のように分かれて現れ』とあります。ヘブル書十二章二十九節に『わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である』とあります。聖霊が降りたまいますならば必ずそのごとく焼きつくす火として下りたまいます。必ずすべての罪、すべての肉に属ける考えを焼きつくしたまいます。
 焼きつくす火! その意味は妨げることのできぬ能力をもっているもの、いつでも勝利を得るところの能力をもっているものです。小さな火を燃やしますればだんだん大火事となります。すべてのものを焼き尽くし防ぐこと能わざる大火事となります。ここで聖霊がご自分の前進する能力を示すために火を顕したまいました。
 また火ばかりでなく火の舌が現れました。火の舌は勝ちを得るところのキリスト教の表号です。またこれが各自に与えられた表面のしるしとして各自の上にとどまりました。『舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった』(三節)。これはただ教会に与えられました勢力であるばかりでなく各自に与えられた勢力でありました。
 またヨハネ一章三十三節にあるように聖霊が主イエス・キリストの上にとどまりたまいましたごとく、いま弟子等各自の上にとどまりたまいます。これはペンテコステの時代の特質たる恩恵であります。旧約聖書時代においては聖霊は或る時に或る聖徒の上に臨みたまいました。今の時代の特質は何であるかと申せば、聖霊が主イエスの上にとどまりたまいましたとおりに私共の上にもとどまりたもうことです。ノアの洪水の終わりには鳩を方舟より出しました。けれども鳩はその足のために立場を見出しませんでしたから方舟に帰りました。今まで聖霊はこの世の有様を見たまいますのにちょうどその通りでした。けれども主イエスがこの世に現れたまいました時に初めて聖霊の鳩はこの世に立場を見出したまいました。ただいま貴き血潮によって潔められましたこの弟子等が、新しく鳩の留まるところとなりました。私共もいま御血潮の効能を頂戴しますならば、そのように聖霊の留まりたもうところとなります。そのように真正に聖霊の宮となることを得ます。
 神は、私共にもこの聖霊の三つのしるしを与えたまいとうございます。すなわち神の気息、その響き、また活ける火。どうか神の聖前に出て主イエスの御手からこのような聖霊のご臨在をお受けなさい。

四  節

 『一同は聖霊に満たされ』。主イエスはこの世にいたまいました時、何時でもそんなに働きたまいました。五千人にパンを分け与えたまいました時にもみな飽くことを得ました。その衣の裾に触ることを得ました病人はみな癒されました。復活の晩、集まっていた弟子等に主が顕れたまいました時にも皆に聖霊の気息を吹きたまいました。主は平生そんなに働きたまいとうございます。私共の集会でもこんなことを見るはずです。けれども頑固な心や不信仰がありますれば私共は平生それを見ません。
 『聖霊に満たされ』。主イエスはもはや昇天したまいましてその御栄光を受けたまいました。けれども戦いの中、また困難の中にいるその愛する弟子等を忘れたまいません。その弟子等に幾分か同じ栄光を与えたまいます。そうですから戦いの中にも、心の中に幾分か天国を経験することを得ます。
 『一同は聖霊に満たされ』。鉄の片を火の傍に置きますれば、そのために幾分か暖かくなり、触ることができぬほど熱くなるかも知れません。けれどもその鉄片を炉の中に入れておきますれば、だんだん火に満たされ火と同じ色となり、火のように他の物に火をつけることができるようになります。聖霊に満たされることもその通りです。また氷の片を火の近傍に置けばだんだん溶けて水となります。幾分か温かみを得ますでしょう。けれどもそれを器の中に入れて火の上に煮立たせますならば、だんだんその熱さに満たされて蒸気となって天に昇ります。聖霊に満たされることもその通りです。
 百五十年前に英国にフレッチャーという人がありました。その人は実に深い聖霊のバプテスマの経験をもった人でありましたが、その人の言うのに、神を離れずまた罪に陥らずして神と共に歩くことは、これは浅いことです、私はそれで満足しない、どうかして真正に満たされることを慕うと申しました。その後、神はその人に近づきたもうて格別にその愛のことを顕したまいまして、それと同時に『汝は白き衣を着て我と偕に歩まん』という約束を与えたまいました。その時フレッチャーの言いますのに、いま私は満足を得ました、私は満たされること、美わしく満たされることを経験しています、いま神は愛なりということを悟ることを得ましたと申しました。その後、或る人が聖霊に満たされることの全き経験は何でありますかと尋ねましたら、フレッチャーはそれに答えて、どうすればそれを言い表すことを得ましょうか、満たされることは何であるかと申すならば、神の御慈愛に引かれることを経験し、御子の愛に励まされることを経験し、聖霊の豊かなる喜悦と平安の傾注を経験することですと申しました。これはこの四節の良い註釈であります。
 オルガンは何時でもその鞴の中に空気があります。けれども足をもってその鞴に風を満たしますればそのオルガンから良い音楽が出ます。聖霊の盈満を頂戴しますれば、この世におる間にも、自分の心の中にもまた他人に聞かせることのできるためにも天の音楽を奏します。またそれによって真正に神に感謝することができます。こんなオルガンは黙っていることに堪えません。エレミヤ記二十章九節『主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押さえるのに疲れ果てて、耐えることができません』。この弟子等はちょうどその通りにいま神の恵みを言い表します。『御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した』。黙っていることに堪えられません。たぶんまず近くに静粛に立っている人々に恵みの証詞をしましたでしょう。けれどもだんだん大勢の人々がそれを聞いて集まって参りました。たぶんその時には珍しいことが起こり、エルサレムの町で婦人たちが路傍説教をしましたでしょう。神が働きたまいますならばこんなことを見ます。出エジプト記十五章二十節に同じことがありました。イスラエル人はみな救いの喜びを感謝し、歌をうたって神に感謝しました。二十節を見れば婦人たちまでも出て路傍で神に感謝しました。
 


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