サモトラケは途中の島で、ネアポリスは向こうの港であります。またピリピは植民地でありまして、小さいローマのような町でありました。そこには官吏も多くおり、大いなる建築物もありまして、政事上の都でありました。その時代のローマの植民地はローマ政府が金を費やして飾りましたから、このピリピも繁昌な町でありました。
パウロたちはこの町に数日留まりました。この数日の間にその町の有様を尋ね、神を敬う者があるかないかを尋ね、またその町のいろいろのことを知ることを得ました。
これは女の祈禱会で、実に小さな集会でありましたが、神はこの小さい集会を初めとして大いなる働きを成就したまいました。私共は時としては小さい集会を軽んじますが、神はたびたび大いなる集会よりもかえって小さい集会を祝福し、またその小さい集会によりて大いなる火を燃え上がらしめたもうことがあります。
この祈禱会の人たちは或いは助けと光を求めていたかも知れません。心の中に満足がありませんから熱心に神の光を求めていたと思います。パウロが幻の中で見たマケドニア人の祈禱はこの人たちの祈禱であったかも知れません。パウロはこの婦人たちの祈禱の答えとしてヨーロッパに行くように神に召されたのかも知れません。
集会は川の辺でありました。神はたびたびそのような静かなところにてご自分を表したまいます。エゼキエル書三章十五節『そしてわたしはケバル川のほとりのテルアビブにいる捕囚の人々のもとへ行き、七日の間、驚きあきれて彼らの中に座した』。これも川の辺にある祈禱の場所でありました。またエゼキエル書三章二十三節『そこで、わたしは立って平野に出て行った。見よ、主の栄光が、かつてわたしがケバル川のほとりで見た栄光のように、その所に立ち現れたので、わたしはひれ伏した』。そうですからエゼキエルは川の辺にて神の栄光を見ることを得ました。ダニエル書十章四節『正月の二十四日に、わたしがチグリスという大川の岸に立っていたとき』。ダニエルも川の辺にて神の御子の栄光を見ました。かように今この女たちは川の辺において主イエスの栄光を見ることを得ました。
この使徒行伝十六章に悔改の三つの例が記されてあります。その三つの例は各自全く異なっております。第一の例は十四節からのルデヤの悔改であります。
この婦人は多忙な商人でありました。またテアテラの人でありましたから異邦人であります。けれども神を敬いましたから、もはやユダヤ教に入っておりましたので、始終ユダヤ人の小さい集会に参っておりました。
『ルデヤという婦人が聞いていた』。この婦人は神を求めました。また旧約によって幾分か光を得たでしょうが、未だ真正に心の革新と満足を得ませなんだから続いて集会に参りましたが、未だ明らかな光を得ませんでした。けれども今パウロの話を聞き、その言葉によりて光を得ました。『主は彼女の心を開いて』とありますように主は働きたまいました。霊はその心の中に働きたもうたのです。霊はその婦人に神の恩恵を受ける心を与えたまいました。けれどもそればかりでなくこの婦人は自分からそれを受け入れました。『パウロの語ることに耳を傾けさせた』。すなわちこの婦人は聖霊の働きを蒙って心を用いて聴きました。そうですから聖霊の働きもあり、またその人自身の信仰の働きもあります。この両方が見えます。
そのようにして静かにパウロの説教を聞いている時に、あまり感情はなくただそのままに主の救いを受け入れました。今でもたびたび集会においてこういう悔改があります。またこれは真正に聖霊の働きであります。
この婦人は自分の救われたことだけで満足せず、どうかしてその家族をも救いとうございました。その家族は初めの集会に出なかったでしょうから、ルデヤはぜひとも家族を導き、皆に救いの恵みを受けさせとうございました。これは救いの美わしい初めの果です。すなわち自分の救いをもって満足せず、どうかして愛する者のために同じ救いを求める心が自然に起こって参ります。またこの精神のあるところに必ず聖霊の働きがあります。またそれのみならず他の果もあります。すなわちこのルデヤはぜひ神の人を世話しとうございました。主の言葉を受け入れましたから、ぜひ神の使者を親切に取り扱いとうございます。そうですからこの婦人の持ち物もみな神の属となり神のために用いました。これは第二の美わしき結果であります。第一は愛する者の救いを願う心、第二はその家をも持ち物をも神の僕のために用いることであります。
その時必ず他の者も救われました。或いは多くの者が救われましたでしょう。この章の終わりを見ますと『ルデヤの家に行った。そして、兄弟たちに会って』とありますから、救われた兄弟たちもありました。そうですからここに明らかに書いてありませんでもルデヤの他にも多くの霊魂が救われたことがわかります。これはピリピ教会の初めでありまして、後にこの教会は盛んになりました。パウロはこの教会を愛しました。この教会に送った書をご覧なさい。ピリピ書一章三節『わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。わたしがあなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕らわれている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、私の心に深く留めているからである。わたしがキリスト・イエスの熱愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神である』(三〜八節)。パウロとこの教会との間にはこのように親しい関係がありました。愛のつながりがありました。またこの教会はパウロの証を聞き、パウロと共に恩恵を受けました。またその時より絶えずパウロを愛し、パウロを助けとうございました。ピリピ書四章十四節をご覧なさい。『しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた。ピリピの人たちよ、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニアから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかに全く無かった。またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた』(十四〜十六節)。そうですからいつでも愛を示して愛のためにパウロを助け、また人をパウロの許に遣わしました。実に美わしい有様でありました。このピリピ人は救われたために大いなる慰めと喜びを得たに相違ないことがこれによりてわかります。そのために喜びの管となってパウロを心から愛したのであります。
次に第二の悔改の話に移ります。
『祈り場』とは川の辺でありましたでしょう。そこで『占いの霊につかれた女奴隷』に会いました。第一の悔改の例は真に神を敬い神を求める敬虔な婦人でありましたが、第二の霊は全くそれと反対で、悪鬼に憑かれて悪魔の奴隷となっていて、祈禱会など決して一度も来たことのない婦人でありました。神の言は第一の婦人をも第二の婦人をも救います。これは幸福であります。私共は神を敬う義者の救われたことを見ますれば、少しも集会に出ない悪鬼に憑かれたような者のためには或いは信仰が起こらないかも知れません。けれどもパウロはそうではありませなんだ。そういう者のためにも信仰をもって、そんな憐れな者をも救うことを得ました。
この婦人は占いをする婦人でありました。これはサタンの贋の働きです。サタンは聖霊に満たされた者の真似をします。悪鬼に憑かれて占いをする婦人を立てて聖霊に満たされし者を真似します。サタンはいつでも贋を作って神の美わしい働きを真似ます。
すなわちここで聖霊の声を真似します。その時分に救われし人々が聖霊に満たされますれば、大胆にこの婦人が言ったと同じ言葉を言ったと思います。この証をすることは誠によいことであります。ところがサタンはこんな聖霊の働き、またそんな信仰の働きを真似します。パウロはこの言葉を聞いて、それは幸いであると思ったでしょうか。そのようにこの婦人が大胆にパウロの伝道と救いの道を宣べ伝えることは幸いであると思ったでしょうか。人々がこれによりて福音を聞き、救われる者も起こるかも知れぬから、これは幸いなことであると思ったでしょうか。パウロは決してサタンの助けを願いませなんだ。パウロは神の国のためにサタンの助けを受け入れることは却って大いなる罪、大いなる間違いであると知っておりました。これによりてパウロが明らかな聖霊の光を持っていたことがわかります。もし彼の心の中に幾分にても肉に属ける考えがありましたならば、また肉の力に依り頼む心が少しでもありましたならば、必ずそんな証を拒まなかったでしょう。けれどもパウロの心の中には聖霊の光がありましたから、断然この婦人の証を拒みました。兄弟姉妹よ、私共は肉の力、この世の助けを断然断らなければなりません。神ご自身が御自分の国を建てたまいますから、この世の助け、或いは世に属ける者の助けを求めるわけはありません。
パウロはマルコ九章二十五節にある主イエスの言葉を藉りて、その悪鬼の霊に出でよと命じました。そこでその瞬間に霊が女から出て行ったので、その婦人は救われました。今までこの婦人の心の中にはただ苦しみと悲しみと憂いとばかりありましたが、今その心が平安になりました。目を醒まされたように光を得て、新しい生命を得ました。鬼が追い出されて奴隷の有様から離れることを得ました。これは悔改の第二の例であります。この婦人は後にピリピ書を聞いた時、必ず慰藉を得ましたでしょう。
今まではサタンは巧みに外部を装ってパウロを助ける者と見せかけていましたが、その実はどうかしてパウロの伝道を妨げとうございました。その助けによりかえって伝道を邪魔しようと思っておりました。けれどもこの十九節からサタンは吼ゆる獅子のごとくパウロと戦います。今までは悪知恵のある蛇のごとく参りましたが、その奸策によりて成功しませなんだから、いま吼ゆる獅子のごとくパウロに反対して参ります。
そうですからパウロは偽の訴えに訴えられ、鞭打たれて牢屋に入れられました。パウロは初めトロアスにおいて幻を見て、神の導きと思い、ヨーロッパに渡ってこの町において伝道しましたが、もしそれが真正に神の導きでありましたならば初めより勝利と幸福を得るはずではありますまいか、しかるにヨーロッパに来るとさっそくこのような目に遭うのは、神の導きと思って来たことが間違いではなかったろうかと思われます。信仰の弱い人ならばそんな考えが起こるかも知れませんが、パウロはいま迫害に遭って伝道を止めなければならぬ場合にさえも神を信じ、神は必ず偕に在したもうと信ずることを得ました。こういう信仰がありましたから、この伝道を止めなければならぬ迫害においても、この身体の痛みの激しい場合にも、神は彼に勝利を与え、その禍をかえって栄えある勝利の初めとならしめたまいました。私共も神の導きを得、それに従いましたならば、決して妨げるものを恐れるわけはありません。悪魔がどんなに伝道を邪魔し、伝道者を取り除くことを得ましたところが、神はそのことをかえって栄えある勝利の初めとなしたまいます。そうですからどうぞまず第一に神の明らかな光と導きを求めとうございます。神に導きがありますれば大胆に進むことを得ます。もし或いは妨げる者が起こるような時がありましても、絶えず心の中に望みを抱いて勝利を待ち望んで主に従うことを得ます。
ローマの鞭の刑罰はよほど重い刑罰でありまして、たびたびそれを受ける者がそのために死にました。その鞭に九つの尾がありまして、その尾に金属の片が付けてありましたから、鞭打たれますならば大いなる傷を受け、その傷の痛みは甚だしいものでありました。パウロとシラスはこの酷い刑罰を受けてのち獄に入れられ、固く守られました。これは命令によってそうせられたことではありますが、このことを致しました人々はみな頑固な心をもってどうかして二人を残酷な目に遭わせとうございましたから、残酷に取り扱って一層酷い目に遭わせました。けれどもその時にさえも、この獄守はパウロとシラスの平安と柔和とを見ました。この二人が勇気と忍耐をもってその残酷な刑罰を受け、少しの怒りもなく柔和に獄に入れられたことを見て、この人らが普通の人と異なっていることを見ました。獄守はその時に必ずそう感じたことと思います。そうですから後この獄守は心配の時に彼らに救いを求めました。その時に救いを求めたのは、今この刑罰の時にパウロたちの有様を見て感じたからであるに相違ありません。私共も失望の時に、或いは苦しみのある時に、或いは迫害に遭った時に、ただキリストの霊を顕しますれば、それを見る人々が或いはそれに感ずることもなく、またそのためにその苦しみや迫害を免れることがないかも知れませんが、しかし後にいたって必ずそのために果を結びます。それを見た人々が心配に遭った時に、或いは苦しみに陥った時に、前に見たことを思い出してキリストを求めるようになりましょう。
この獄守は必ずこの二人が何のために刑罰を得たかを知っていたに相違ありません。また悪魔に憑かれし婦人の話を聞き、その婦人がこの人たちによりて癒されたことをも聞きました。そうですからこの二人は霊の力を持っている人であるとわかりました。けれどもその時にはそれについて感ぜず、冷淡な頑固な心をもって残酷に彼らを扱いました。
そうですから人の考えから見ればパウロの伝道は失敗であると思われます。もはや望みは絶たれました。その奥の獄に入れられましたからいつ出されるかもわかりません。また出されましても、それは死刑に遭うために出されるに違いないと思われる時であります。人の考えより見ればこれは全く絶望の場合でありましたが、神はそんな望みのない時からリバイバルを始めたまいました。こういう失敗と思われる時から大いなる成功を起し始めたまいました。神はその晩、この獄の奥の小さい暗い室を聖なる殿となし、栄光ある所となし、天の空気をそこで吸うことのできる処となしたまいました。またその獄全体をご自身が聖別したまいし所、またご自身が在したもうところとなしたまいました。そうですから私共信者は決して迫害を恐れるはずではありません。また獄に入れられることがあってもそれを恐れるわけはありません。神はそんな場合にそんなところからご自身の御栄光を現して、リバイバルを始めたもうかも知れません。
これは決して義務的の祈禱会ではありません。溢れる心より神を讃美しました。また神の御臨在を感じましたから祈らなければなりません。これは真に美わしい祈禱会でありました。この時に感謝すべきわけがあったでしょうか。かえって涙を流さなければならぬではありませんか。否、神を知る者は、こういう時にさえも溢れる感謝の心をもって神を讃美いたします。詩篇三十二篇十一節『正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ』。神はこういう喜びを願いたまいます。心の中に神の救いを経験しておりますれば、時としては普通の礼儀にかまわずに『喜びの声を高くあげ』ます。すなわち心より溢れる喜びをもって呼ばわります。私共はたびたびあまり行儀を考えて静かに讃美をささやくのみですが、時としてはこのパウロたちのように、どこでもかまわず礼儀に頓着せずに救いの喜びを歌わなければなりません。
『囚人たちは耳をすまして聞きいっていた』。原語を見ますと囚人たちが長らく楽しんで聞いていたことを表します。その奥の獄から今までたびたび詛いの声が漏れました。しかるにいま初めて喜びの声、厳粛なる祈禱の声が聞こえますから、囚人たちは耳を傾けてそれを聞いておりました。ところが神はにわかに彼らの祈禱に答えたまいました。
この地震は祈禱の応答でありました。神はたびたび祈禱に答えて霊の地震を与えたまいます。詩篇十八篇をご覧なさい。そこにダビデは自分の経験を述べていますが、これはやはり祈禱に答えられて救いを得た経験です。四節から読みます。『死の綱は、わたしを取り巻き、滅びの大水は、わたしを襲いました。陰府の綱は、わたしを囲み、死のわなは、わたしに立ちむかいました』。そうですから真正に囚人でありました。『わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました』。そうですからかように望みのない有様においても、そのように仕方のない時においても、神は祈禱に答えたまいます。またその答えは何ですかならば、地震であります。『そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。主がお怒りになったからです。煙はその鼻から立ちのぼり、火はその口から出て焼きつくし、炭はそれによって燃えあがりました』。こういうことは目に見えず、またそれを身体に感じません。けれども神は見えざるところにこのように力を尽くして、この憐れむべき者の祈禱に答えたまいました。『主は天をたれて下られ、暗やみがその足の下にありました』(四〜九節)。その結果は何ですかならば、十六節に『主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕らえ、大水からわたしを引きあげ、わたしの強い敵と、わたしを憎む者とからわたしを助け出されました。彼らはわたしにまさって強かったからです』(十六、十七節)。神はこのように祈禱の答えとして霊の地震を与えたまいます。目に見ゆる所より申しますればただ憐れなる者が祈って救いを得たということに過ぎませんけれども、ダビデは霊の眼をもって、見えざるところにおいて神が行いたもうたことを見ました。私共が単純なる信仰をもって祈る時に、神はたびたび詩篇十八篇のようにその祈禱に答えて、見えざるところに地震を起こしたまいます。そのために陰府の縄は断たれ、死のわなは毀たれ、悪魔の力は滅ぼされて救いを得られます。
黙示録八章三節よりご覧なさい。『また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈りに加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈りと共に神のみまえに立ちのぼった。御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起こった』(三〜五節)。祈禱の答えとして神は悪魔の力を毀ち、罪の縄を切り、地震を起こしたまいました。それによりて祈禱の力と祈禱の結果を感じとうございます。
パウロとシラスはこの時に信仰をもって獄守のために祈ったかも知れません。主イエスはマタイ五章四十四節にそれを命じたまいました。『しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ』。いまパウロはこの人のために大いに苦しめられましたから、たぶんこの人のために祈ったと思います。信仰をもってこの獄守の救われるために祈ったでしょう。神はその祈禱の結果として獄守の心をも震い動かしたまいました。
囚人たちを逃がしましたならば獄守はたぶん死罪に宣告せられますから自分の生命を失います(十二章十九節参照)。それよりも自殺する方がよいと思って自殺しようとしました。死んでから後のことは少しも存じません。けれども死の淵にまで参りました。その時に誰かその人を顧みてくれる懇切な声を聞きました。
たぶんこの時にみな神の御臨在を感じたでしょう。頑固なる心をもてる囚人たちでも、神の御臨在と、その地震が神の特別の働きであることを感じて、逃げずしてそこに留まっていたのでしょう。パウロの讃美と祈禱の声を聞きましたから、地震はそれと何か関係があると思ってみなパウロに目を注ぎましたろう。使徒行伝二十八章において破船した船の人々がパウロに目を注ぎましたように、今この時にもみなパウロに目を注いで逃げなかったでしょう。前の晩にはパウロは賤しい者の中の最も賤しい者でありましたが、いま神は彼を、人の眼の前にさえも高く挙げたまいました。獄守はそれを感じました。
この賤しいユダヤ人の前に俯伏し、この賤しい囚人の前に己を低くしました。
これは人が他の者に向かって発しうる最大の質問であります。誰にも必ず心の中にこういう質問があります。けれども大概の人は恥じてそれを尋ねません。けれども心配の時、或いは失望の時に、心からそれを吐き出します。この人はたぶん十七節にある『この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救いの道を伝えるかただ』という婦人の言葉を聞きましたでしょう。また幾分かそれについて感じていたかも知れません。また前の晩、刑罰を執行した時に、またただいま地震の時にパウロとシラスの平安を見ましたから、その救いは事実であると感じて自分も同じ平安と同じ確信を得とうございました。
パウロはこの時に何と答えましたか。地震は人を導くのに適当の時ではない、そんな時には種々心配や恐怖が起こるものだから、罪人を導くのに良い時でないと考え、とにかく朝まで延ばそうと思いましたろうか。またこの人は今まで何も知らない人で、一度も説教会に行ったこともなかろうし、また神を敬わない人でありましたから、あなたがそんな心をもっておいでなさるのは結構ですが、まだ何もお解りになりませんし、かつ今は地震の時で、こんな時に救いを求めるのは可笑しいことですから、とにかく私共の集会においでになりまして、だんだん解った上で救いをお求めなされた方がようございましょう、などと答えましたでしょうか。こういう風に答える人が多くあります。私共がもし真正に聖霊の力を知りませんならば、人間の常識に従ってかように返答するに相違ありません。けれどもパウロは信仰がありました。聖霊の力に依り頼みました。いま地震の時でも、この人は今まで少しも説教を聞いたことがなくとも、ただいま即座に救いを得ることができると信じました。パウロはだんだんの働きを好まず、即座に神の力を見物することを信じました。これは真正に十五章のエルサレムの議会の決議と同じことでありました。すなわち罪人は直接に神の御手より救いの賜物を得ることができることを信じたのです。どんなに不都合の時でも、またその人が今までどういう人でありましても、ただいま即座に救いが得られると信じました。そうですからパウロの答えは、こんな地震の時にも、未だ説教を聞いたことのないこの獄守に向かっても、主イエス・キリストご自身を信ぜよということでありました。
必ず後から贖いについて、また神のご慈愛や福音の土台について教えたに相違ありませんが、一番大切な福音の眼目は主イエス・キリストを信ずることでありますから、今このことを説きました。
またキリストを信ずればその家族も救われることを申しました。たぶんその時にこの獄守の家族の者も近づいて、心配そうな顔つきをしてパウロの言うところを聞いていたのでございましょう。さればパウロは、願った本人ばかりでなく家族も救われることを信じて申しました。これは真の伝道者の信仰であります。
単純なる信仰をもって救いを得ましたならば、どうかして主イエスのこと、救いの道についてなお一層学びとうございます。そうですからこの獄守は喜んでもっと教えについて聞くことを願いました。ただ彼一人でなく『その家族一同』がなお主の言葉を聞きました。たぶん主人が家族一同のために心配し、ただ自分一人救われたことで満足できず、愛する者みな、僕等に至るまで同じ救いの恵みにあずかることを願って、皆を集めて主イエスの言葉を聞かせたことと思います。これは悔改の一つの果であります。
またこの節にあるように、悔改の他の果もありました。すなわち『彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった』。これは真に美わしいことです。四、五時間ほど前には、この同じ人は頑固な心をもって、なるべくこの二人を苦しめとうございました。しかるにただいまその人が愛の心をもって、また婦人のごとき柔らかな手をもって自分が付けた傷を親切に洗いました。その顔色もたぶん変わっておりましたろう。今は前とは違い、心配そうな顔をもって気遣い、愛の顔つきをしてできるだけこの二人を親切に扱いとうございました。これによりても必ずこの人は救いを得たということがわかりますでしょう。これは確かに救いの果であります。もはや更生しましたから即座に救われて心が変わって参りました。
この節の終わりにはもう一つの救いの結果が見えます。ぜひなるべく早く自分の信仰を表しとうございました。今までの生涯に対しては死に、今までの関係を全く断ちきって、できるだけ早く新しい生涯を始めとうございました。
ここにももう一つの救いの結果が見えます。二人を自分の家に招いて一緒に食事を致しました。真の交際ができました。パウロとシラスの兄弟となって共に交わりました。パウロはこの時に、たぶん長い間食事をしていなかったでしょう。たぶん飢えたままで獄に入れられたでしょうが、いま楽しく一緒に食事をすることを得ました。
『神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ』。これも救いの結果であります。その晩は心配の晩であるはずでした。名誉を失った恥の晩であるはずでしたけれども、救いを得ましたからそんなことを思わずして喜びました。喜ぶことは救われたことの確かな証拠であります。パウロは二十五節において喜びましたから、いま悔い改めた者も喜びに与りました。またこの時より喜びはこの教会の特質であったと思います。ピリピ書を見ますと、四章四節に『あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい』とあります。たぶんパウロがこの言葉を書く時に、今この夜半の喜悦を覚えていたことでしょう。たぶんその晩からパウロはたびたび喜びについて言いましたでしょう。
この命令は獄守にとって大いに喜ばしきことでございましたでしょう。
けれどもパウロは賛成しません。福音のために、また今ここの小さい教会のために、また神の御栄光のために、それはいけないと思いました。福音の使者は必ず謙るべきはずであります。けれども時としては伝道のためにその特権を要求いたします。前の晩にピリピにいる多くの人々の眼の前で迫害せられ、また賤しめられました。そうですからそのまま静かに退きますれば、ピリピにいる人々はそれを知らずに、いつまでも福音の使者を賤しい者と思うでしょう。伝道のためにこれを許すことができませんから、
たぶんパウロたちはその前の日にルデヤの家を出ました。ところがいま読んだような迫害が起こりましたから、そこの若い信者たちはみなルデヤの家に集まって祈っていたことでしょう(十二章五節のように)。この信者たちは、三十六節にある、上官がパウロたちを赦せと命じたことを少しも知りませなんだでしょう。そうですからそこに集まって祈っている時に、にわかにパウロがその家の門の前に現れました。これはちょうど十二章の話のようであります。信者たちの祈禱は答えられ、パウロたちは無事に獄を出てその家に入ることを得ました。そうして愛の言葉と慰めの言葉を与え、また勧めをなして出で去りました。
この使徒行伝を書いたルカは、たぶんこの時までパウロと一緒でありました。十六章十節に初めて『わたしたち』という言葉を見ますから、ルカはその十節よりパウロと一緒になり、ピリピにも一緒に参りましたが、ルカは獄に入れられませんでした。十七章から『わたしたち』という言葉がありません。二十章五節に再び『わたしたち』と書いてあります。そうですから今パウロはピリピを去りましたが、ルカはたぶんピリピに留まりましたでしょう。またたぶんテモテと一緒に留まったと思います。そこの伝道はだんだん広まり、教会は恵まれて神の聖旨に適う教会となりました。この章において悔い改めた三人は必ず始終教会に出て、神の恵みにあずかって神の栄えを顕しましたでしょう。
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