ピリピよりアムピポリスまでと、アムピポリスよりアポロニヤまでと、またアポロニヤよりテサロニケまでとの間はみな大概同じ道程で、十五里ほどありました。たぶん初めの晩はアムピポリスで泊まり、その次の晩はアポロニヤで泊まって、テサロニケに参りました。なぜその二箇所で留まって伝道しなかったかはよくわかりませんが、聖霊の導きがなかったことと思います。
パウロは前の晩、恐ろしい鞭刑を受けました。ふつう鞭刑を受けますとそのために一週間くらいは何もできません。パウロはその傷が一生涯身に残っていたようですから酷い鞭刑を受けたのですが、神の力によりて癒されて、翌日すぐさまピリピを去りてこの長い旅行をすることを得ました。
ピリピを去りましたけれども、そこの信者と愛の絆に繋がれて、いつでもピリピを覚え、またピリピの信者たちもパウロを覚えました。ピリピ書四章十六節『またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた』。真の愛の贈り物を送りました。
パウロがテサロニケにおった時には自ら働いて暮らしました。テサロニケ前書二章九節『兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた』。夜遅くまで自分の手をもって働きましたでしょう。ピリピでこのような迫害を受け、その背に鞭の傷も受けましたから、このテサロニケでは迫害に遭わぬように静かに休む方がよいのではないかと思われますが、それはパウロの精神ではありません。テサロニケ前書二章二節『あなたがたが知っているように、わたしたちは、先にピリピで苦しめられ、はずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである』。
そうですからパウロはテサロニケにおいてもさっそく聖書に基づき福音を宣伝しました。すなわち聖書に基づきこの三つのことを論じました。第一は『キリストは必ず苦難を受』くべきことです。普通のユダヤ人はそれを信じません。メシヤは必ず権威を持ち、栄光を受けるはずであると思いました。けれどもパウロは、必ず苦難を受くべきことを聖書の上から論じました。第二に『死人の中からよみがえるべきこと』を説きました。やはり聖書の上より、救い主は死にて後、必ず生命を得てこの世に現れたもうべきことを論じました。第三は『わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである』、すなわちナザレのイエスこそ旧約に預言せられしメシヤであると力を尽くして論じました。これは『三つの安息日にわたり』とありますから、三週間くらいの働きでありました。しかるに聖霊が働きたまいましたから大いなる結果が上がり、リバイバルが起こりました。すなわち
リバイバルが起こり、多くの人々は悔い改めてキリストを信じました。テサロニケ前書一章にこの時のリバイバルについて詳しいことが書いてあります。『わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである』(五節)。ただ三週間ばかりの働きにこのように大いなる結果が起こりましたから、これは言葉の力にあらず、聖霊の力によりて起こったリバイバルであります。また他の方面より言えば『強い確信』によりてであります。福音を聞いた人々が喜んで篤い信仰をもってこれを受け入れましたから、かようなリバイバルが起こったのです。このリバイバルの結果、この信者たちは三種類の人となりました。第一に、六節の終わりにあるように『主にならう者』となりました。これは英語でfollowers、すなわち主に従う者であります。ただ救いを得たことをもって満足せず、主に従う者となりました。第二に七節にあるように『信者全体の模範』、すなわち手本となりました。また第三に八節においてわかりますように、他の人々に主の福音を宣伝する伝令者となりました。テサロニケの信者はこういう者となりましたから、真正に救われたに相違ありません。
また同じテサロニケ前書一章の終わりを見ますれば、その悔改の順序もわかります。第一に九節にあるように神に帰りました。『あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り』。これは真の悔改でありました。断然罪を捨て、偶像を離れて神に帰りました。第二に、この神に仕える者となりました。『生けるまことの神に仕えるようになり』。神の命令に従い、神のために働く者となりました。第三に十節にあるように、キリストの再臨を望む者となりました。『イエスが、天から下ってこられるのを待つようになった』。今でも真に悔い改めた者にはこの三つのことがあるはずです。罪を捨てることと、神の僕となること、およびキリストの再臨の待望です。そうですから聖霊はこの三週間の中に実に深い働きを成し遂げたまいました。けれども五節を見ますと、聖霊が働きたまいましたから悪魔も働いて迫害を起しました。またその迫害はどこから起こりましたかならば、偶像信者からでなくして神を敬うユダヤ人から起こりました。
ヤソンはパウロの親類でありました。ローマ書十六章二十一節に『同族のルキオ、ヤソン』とあります。パウロの家族はたぶん多く、処々に貴い人の中にその親戚がありました。またその親戚はパウロを信用していましたから、ほかの人々よりも早く悔い改めてパウロの信ずる宗教を信じました。この時パウロたちはこのヤソンの家に泊まったろうと思って、このユダヤ人たちは始めにまずヤソンの家に参りました。
『天下をかき回してきたこの人たち』という語は英語ではなおなお強い意味で、天下をひっくり返す者という語であります。これは神を信じない人の言ったよい証であります。三週間の間に大いなる聖霊の働きがありましたから、この人々はパウロは天下をひっくり返したと言わねばなりませんでした。どうか聖霊が私共をも用いてそんな大いなる働きをなさせたまわんことを願います。罪人をひっくり返すことは神の御業であります。詩篇百四十六篇九節『主は寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる。しかし悪しき物の道を滅びに至らせられる』。この滅びに至らせる(くつがえす=文語訳)という字はやはり同じ字であります。この主がパウロと一緒に働きたまいまして、ちょうどこの不信者が言いましたように天下をひっくり返しました。
テサロニケ書を見れば、テサロニケの信者は格別に主イエスの再臨を待ち望みました。その書の各章の中に主の再臨のことが書いてあります。その心の中に格別にその望みが輝いていたのです。すなわち主が来りたもうてその国を建てたもうことを望みました。そうですから不信者がこれを聞いて『イエスという別の王がいるなどと言っています』と申しました。
すなわちマタイ十章二十三節の主の言葉の通りにパウロたちはその地を去りました。『一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい』。パウロはテサロニケを去りましたが、いつまでもテサロニケの信者たちを愛しました。テサロニケ前書二章十七、十八節を見ますと『兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので──心においてではなく、からだだけではあるが──なおさら、あなたがたの顔を見たいと切にこいねがった。だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた』とあります。すなわちパウロは再びテサロニケに帰りとうございましたが、その途が開かれませなんだ。『実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである』(十九、二十節)。実に親しい愛の言葉ではありませんか。実にパウロはわずか三週間この人々と交わりましたが、彼の心の中には燃え立っている愛がありましたから、その短い間にもこのような愛の交際を結ぶことを得たのであります。
パウロがそこを去ってから後に、その信者たちに対して大いなる迫害が起こりました。テサロニケ前書二章十四節『兄弟たちよ。あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となった。すなわち、彼らがユダヤ人たちから苦しめられたと同じように、あなたがたもまた同国人から苦しめられた』。またテサロニケ後書一章四節『そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰につき、神の諸教会に対してあなたがたを誇りとしている』。ここからわかるように、彼らはひどい迫害に遭わねばなりませんでした。
パウロはいつでも聖書に基づいて福音を宣伝しましたが、このベレアの信者はもう一度聖書を読んで、パウロの伝えることが実際であるか否かを調べました。この人々は使徒パウロの言うことをも信用することができず、直接に聖書より光を得とうございました。永遠の生命を得るや否やという大切なる問題でありますから、使徒の教えをも信仰の土台とすることができず、自分で神の聖言を調べて、その聖言に従ってその聖言の上に信仰を立たせとうございました。神はそのために人々を祝福したまいました。罪人が私共の言葉を聞いて、これを信じ、それによって信者となりますれば、その信仰は弱く或いはまた倒れるかも知れません。けれどもその罪人が私共の言葉を聞きて聖書を調べ、神の聖言に信仰を立てますならば、その人は必ず堅い信者となります。
『そういうわけで』すなわち聖書を自分で調べて見ましたから、そのため信仰を起こした者がたくさんありました。
『そこにも押しかけてきて』。テサロニケからベレアまで二十里ほどありますが、その長い道程を旅してきて人々を騒がせました。
『海辺まで行かせ』。すなわちベレアより船に乗ってアテネに行かしめました。けれどもシラスとテモテは若い信者を助けるため、また一層福音を宣伝するためにそこに留まりました。
| 総目次 | 序文と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 |