第 十 七 回 九章一節より五節まで 



 九章より十一章まではユダヤ人に関する問題で、記者はここにユダヤ人の奥義を説いている。(十一章二十五節に『この奥義』という言葉がある)。パウロの前に三つの難問題があった。第一、ユダヤ人は何故にキリストを信じないか。彼らは神の存在を信じ、また神を畏れ敬い、聖書を有し、特別に神の召されたる撰ばれし民なるに、何故キリストを信ぜず、かえって十字架に釘けるに至ったか。第二、ユダヤ人はキリストを信じないのみならず、非常に反対し、かつユダヤ教の間違った説がキリスト信者の中にも浸入して大いなる害を及ぼした。すなわちモーセの律法を行わずば救われないと称え、律法的分子を播いて純福音の教えの邪魔をした。パウロはこれについても説明を与えなければならなかった。第三、既にキリストを信じたるユダヤ人さえ、パウロが異邦人に伝道するのは何故かと呟いた。ゆえにパウロは九章より十一章の間においてこの三つの問題について語っている。
 九章はユダヤ人が福音を信ぜざる理由を神の方面より論じ、十章はその人間の方面の理由を述べ、十一章においてはユダヤ人の最後の運命について語っている。
 パウロはかくユダヤ人に関する問題を論ずるにあたり、まず彼のユダヤ人に対する態度についてこの章の初めに語っている。彼がユダヤ人を愛する理由に二つある。第一の理由は一節より三節。

 『我キリストにける者なれば、わが言は真にして偽りなし。かつわが良心、聖霊に感じて、我に大いなる憂ひある事と心に耐へざるの痛みあることをあかしす。もしわが兄弟、わが骨肉のためにならんには、或ひはキリストよりはな沈淪ほろびに至らんもまたわが願ひなり。』── 一〜三節

 すなわちユダヤ人はわが兄弟骨肉であるゆえ、そのために聖霊に感じて大いなる憂いを懐き、彼らのために重荷を感ずると述べている。第二の理由は四、五節。

 『彼等はイスラエルの人なり。神の子なる事、また栄光さかえ、また盟約ちかひ、また律法おきてを立てられし事、また祭儀まつりのゝり、また約束は皆かれらに属けり。列祖せんぞたちはこれかれらが先祖なり。肉体にりて言へばキリストもまた彼等より出づ。かれは万物ばんもつの上に在りて世々讃美ほまれを得べき神なり。アメン。』── 四、五節

 ここにユダヤ人の特権を説きて、彼らに冷淡なるあたわざる理由を示している。
 【一】彼らイスラエル人は神の子である。これについて次の引照を見よ。出エジプト記四章二十二節『主はこう仰せられる。イスラエルはわたしの子、わたしの長子である』。また申命記十四章一節『あなたがたはあなたがたの神、主の子供である』。
 【二】神の栄光は彼らのものであった。神の栄光は神のご臨在のあるところにある。ご臨在なくば栄光はない。サムエル前書四章二十一節に『ただ彼女は「栄光はイスラエルを去った」と言って、その子をイカボデと名づけた。これは神の箱を奪われたこと……によるのである』とある。神の契約の箱のあるところにご臨在があったのは言うまでもなく、そこに栄光があったのである。イスラエル人民は諸国民の中にありて栄光を有する民であったのは、彼らの中に神が在したもうたからである。
 【三】彼らはまた盟約を有していた。盟約はただ一つではない。少なくとも三つの盟約があった。第一はアブラハムに立てたもうた契約で(創世記十七・一、二、四、七、九参照)、これは律法的の契約ではなく、無条件の契約、恩恵の契約であった。後に民がこの契約におらなかったゆえ、別の契約が立てられた。それは条件付きの契約、律法的の契約であった。ヘブル書八章九節の『わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約』とあるのは、この契約を言ったものである。しかしその後また別の契約を与えられた。その前の節に『神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る」』(ヘブル八・八)とあるのはすなわちそれである。少なくとも以上三つの契約がある。
 【四】彼らはまた律法を与えられていた。(日本訳に『律法を立てられし事』とあるは、原語にては『律法を与へられし事』である)。神は異邦人に律法を与えたまわず、ただユダヤ人にのみこれを与えたもうた。エゼキエル書二十章十一、十二、十三、十六、十九、二十、二十一、二十四節を見れば、『わがおきて』『わが定め』『わが安息日』という言葉が何度も繰り返し繰り返し記してある。これらはイスラエル人に与えられたものであった。
 【五】彼らはまた祭儀を有していた。すなわち神の宮において神を礼拝し、神に奉仕するの特権があった。ヘブル書九章一節『初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった』。その宮の中には祭壇だの香壇だのがあり、格別に至聖所の中には契約の櫃があった。その宮において犠牲を献げたり香を焚いたりして神を礼拝することは、万国民中ひとり彼らイスラエル人民の特権であった。
 【六】彼らには約束が与えられていた。約束にはさまざまの約束があるが、その最も大いにして最も肝要なる約束は、神の子なるメシヤが来りたもうことの約束であった。使徒行伝十三章三十二節に『わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった』とある。キリストは誰に与えられるよう約束せられたかならば、まずユダヤ人に与えられるように約束せられた。
 【七】彼らは特別に祝福せられたる先祖たちをもっていた。『列祖はこれかれらが先祖なり』と特に記してある。彼らは格別にアブラハム、イサク、ヤコブの三大人物を誇りとしていたが、この人々はみなユダヤ人の先祖である。神は彼ら三大人物のゆえにその子孫を恵みたもうた。レビ記二十六章四十二節『そのときわたしはヤコブと結んだ契約を思い起し、またイサクと結んだ契約およびアブラハムと結んだ契約を思い起し、またその地を思い起すであろう』。
 【八】最後に、キリストもユダヤ人であった。されば到底ユダヤ人に対してパウロは冷淡であり得ない。パウロはここにキリストがただアブラハム、イサク、ヤコブを同じ者であるように誤解されてはならぬと思い、注意深くすぐさま『彼は万物の上に在りて世々讃美を得べき神なり。アメン』と付言している。主は肉体より言えばユダヤ人であるが、実は世々讃美を得べき神である。
 パウロはユダヤ人にはさほど伝道せず、かえってギリシャ人やローマ人など異邦人に熱心に伝道しているので、あたかもユダヤ人を捨てて顧みないように見ゆるけれども、決してそうではない。彼は到底その同胞に冷淡なるあたわざるのみか、彼らを愛することまことに熱烈なるものがあった。



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