十六章は最初の分解において述べたごとく、本書の個人的部分で、終わりの挨拶である。或る人は、二千年も前に死んだ人たちに対する挨拶であれば我らに何の関係もないではないかと言うが、この挨拶を学ぶことは我らに大いに必要である。これらの挨拶の言葉といえども聖霊の霊感によって書かれたものであるがゆえに、我らは注意してこれを学ばなければならぬ。のみならず、我らはこのに名を示されてある人と来世において面と面とを合わせて遇うのであるゆえ、その人々の事蹟について注意して読むべきである。
【一】一節二節はフィベの推薦について記してある。
『我ケンクレアにある教会の執事なる
フィベはたぶん或る富豪の夫人であるが、用事があってローマに行くに際してパウロは彼女を推薦した。この婦人に関してここに三つのことを見る。(一)『我らの姉妹』、すなわち主イエスを信じ、神の子となった者であるゆえ、姉妹と呼ばれている。(二)『ケンクレヤにある教会の僕』(日本訳に執事とあるは僕である──英訳参照)、すなわち兄弟姉妹に仕える教会の僕。(三)『多くの人の援助者』(英訳)すなわち多くの人を助けた人である。かくこの婦人は模範的信者であった。(英訳にて以上三つは Sister. Servant. Succourer.)
【二】三節より十六節まではローマの教会の信者に対するパウロの問安である。
『請ふ、プリスキラとアクラに安きを問へ。かれらはイエス・キリストに
この一段において以下の数点を見る。第一、これは『皆様によろしく』というがごとき形式的の挨拶ではなくて、一人一人の名を挙げて挨拶をしている。第二、ただ名を挙げるのみならず、一人一人の特質功労を記憶していて、それを述べて感謝している。主のために特別なる奉仕をしたこと、主のために迫害に遭ったこと、パウロ自らが蒙った恩遇などを一人一人の名と共に記して感謝を表している。第三、この一段において、或る信者の家に信者の群が集合する習わしであったことを見る。そしてそれを教会と呼んでいる(五節初め、十一節後半、十四節終わり、十五節終わり)。クリスチャン・ホームは実に大切である。
七節のアンデロニコとユニヤはパウロの親戚で、パウロより先に信者となった者だとあるが、パウロが救われたのは或いはこれらの熱心なる親戚たちの祈禱の答えであったかも知れぬ。
またこれらの人名の中に婦人の名が多くあることは注意すべきことである。まずフィベを初めとして、三節のプリスキラはアポロを深き恵みに導いた天幕製造人の妻として聖書に有名な婦人である。六節のマリアも女、十二節には三人の主におりて苦労した婦人を挙げている。また十三節にも十五節にも婦人のことが出る。もっていかに当時、篤信にして主のために働いた名誉ある婦人が多くあったかを知ることができる。
またこの挨拶の一段において学ぶべきことは、神が我ら一人一人の献身的行動を照覧し、これを覚えて喜びたもうということである。これについて民数紀略七章を見よ。その章は八十九節をもって成り、イスラエルの十二支族の各支族の献げ物を記載した章であるが、各支族の献げ物がみな同じものであるにかかわらず、一支族ずつ同じことを繰り返して記してある。普通ならば誰しもかかる記事を書く時にはなるべく重複するのを避けて、初めの支族だけに献げ物を記し、他の支族についてはただその名を書き連ねるのみにして、例えばイッサカルの子孫、ゼブルンの子孫、何々の子孫、皆これに同じと書いてしまうところである。しかるに、冗長になるのをもかまわず、重複をも厭わず、一々繰り返し繰り返して書き記してあるのは、神が各支族の献げ物を一つ一つ懇ろに顧み、これを喜びたもうことを表したものである。神はかく我ら各自の献身奉仕を一つ一つ御心に留め、主のためになせし言行を一つ一つ細かに覚えて喜びたもうのである。神は決して十把一束には扱いたまわぬ。今このローマ書の最終の章においてもまた、この神の懇ろなる御眷顧と御愛を知ることができるではないか。聖霊はパウロをして一人一人の特別の功労を別々に書き記さしめ、これを永久に遺したもうたのである。
【三】十七節より二十節までは最後の警戒である。
『兄弟よ、我なんぢらに勧む、
この一段は必ずしも異端を宣べ伝える人についてではないと思う。ローマの教会内に異端を宣べ伝える者があったか否かは記していない。この人々が異端者であったか否かは知ることができぬ。しかしこの人々が入り来るに及んで教会内に分離を起し、宗派的行動を敢えてなさしめた(十七節)。彼らは言葉巧みにしてその語るところは実によいけれども、その行いは愛に反し、信者間の一致を破った。パウロは『見とめてこれを避けよ』と勧めている。積極的に反対せよとは言っておらぬ。かかる者は『イエス・キリストに仕えず』とある。信じてはいるかも知れないが、仕えない。そして『己の腹に仕うる者』だとある。すなわち自ら長とならんとする野心を有していた高慢なる者であった。昔のコラとダタンの末流である。ローマの信者は『質朴なる者』で、彼らが従順なる性質を有することは有名なもので『すべての人に聞こえ』たゆえに、欺かれないように特に注意している。彼らは質朴であったが、善にあまりさとくなかった。されば彼らが『善に智く悪に愚かならんことを願』っている。そして二十節に、平安の神がサタンを砕きたもうとある。このサタンこそ、分離または宗派的精神の創作者で、神がこれを処置したもう。されば我らは『見とめて避ける』べきである。
【四】二十一節より二十四節まではパウロと共にいた人々よりローマ教会の信者たちに対する問安である。
『我と共に勤むるテモテとわが親戚ルキ、ヤソン、ソシパテロより爾曹に安きを問へり。この
テモテの救いと召しについては使徒行伝十六・一〜三を見よ。彼は青年ではあったが、有為の材で、主に用いられたために、或いはピリピに、或いはテサロニケに遣わされた(ピリピ二・十九、テサロニケ前書三・二)。また獄窓のもとに繋がれたこともある(ヘブル十三・二十三参照)。テモテの性質および霊的経験を知りたくばテモテ前後書を見れば解る。
次にルキ(使徒十三・一のルキオ)。この人は身分ある人で、使徒たちの中にも名声ある人であった。
ヤソン(使徒十七・五以下)も身分もあり富める人にて、主のために迫害に遭った人である。ソシパテロ(使徒二十・四のソパテロと同人)および以上二人はパウロの親戚で、当時パウロと共にコリントにいた七節のアンデロニコやユニヤ、十一節のヘロデオナたちの親戚はローマにいたのである。
テリテオはパウロの書記であった。パウロは祈り深く書記すべきことを口授し、この人がそれを書き取ったのである。
ガヨスは富豪で、パウロを世話した人である。パウロはこのガヨスとクリスポという人とにだけ洗礼を授けた(コリント前書一・十四)。
エラスト(使徒十九・二十二、テモテ後書四・二十)はコリントの『邑の庫司』であった。たぶんこの人は自給にてパウロと共に伝道したと思われる。
二十四節の言葉は二十節の後半と同じ言葉である。二十節のはパウロの祝禱、この二十四節は、以上のパウロと共にいた人々の祝福である。
【五】二十五節より二十七節までは最後の頌詞である。
『世の成らざりし
十一章三十三節以下は神の知識の富に対する讃美であったが、ここは神の能力に対する讃美である。すなわち『爾曹を堅固することを得るもの』に対する讃美である。この中に次の四つのことを見る。第一、我らを『堅固することを得るもの』は言うまでもなく神ご自身である。第二、堅うするための方法は何かと言うに、一つは福音とキリストを宣伝することによってである。日本訳に『我がつたふる福音およびわが説くところのイエス・キリストの教訓を照らし』とあるのは、『わが福音とイエス・キリスト(ご自身)を宣べ伝えることによって』の意である(英訳参照)。パウロの福音は、ローマ書に記されるごとく、信仰によって救われまた信仰によって潔められることである。その福音とまたイエス・キリストご自身の恵み、力、愛などによって堅うせられるのである。今一つは、『世の成らざりし前より隠蔵れたりしかど……いま窮なき神の命に遵ひ、預言者の書に因りて顕れしその奥義に循ひて』である。この預言者とは旧約の預言者でなく、新約の預言者である。すなわちこの『預言者の書』とは新約を指す。それに顕れし『奥義』とは何かと言うに、ユダヤ人が異邦人と一体になるという驚くべきことである(エペソ書三章三節より六節までにそのことが奥義であることについて記してある)。この奥義はローマ書には記されていない。エペソ書に記してある。ローマ書において福音を了解した者は、進んでエペソ書に昇らねばならぬ。エペソ書には、救われ、潔められ、聖霊を受けた者が、キリストと共に天の処に坐することをも記してある。パウロの伝える福音を一口に言えば信仰であるが、そのようにパウロの伝える奥義を一口に言えば愛である。我ら何の価値なき異邦人が昔の聖徒と共にキリストの新婦となるとは、実に驚くべきことではないか。神はこの真理をもって我らを堅うしたもうのである。すなわち以上の二つ、信仰と愛が、我らが堅うせられる道である。
第三、堅うする目的は何かと言うに、『万国の民をして信じ服はしめんがため』である。神が我らを堅うしたもうのは信じ従わしめんがためである。これはきわめて実際的である。
第四、堅うせられし結果は、二十七節にあるごとく、栄光を限りなく神に帰し奉ることである。
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