十四章と十五章は前にも述べたごとく、献身と宗教的生活との関係で、教会に対する義務である。そして十四章は信仰の強き者が弱き信者に対して忍ばねばならぬことであったが、この十五章はなお一歩進んで、信仰の強き者は弱き信者のために重荷を負うべきことが記してある。それについて以下の数点がある。
【一】一節は我らの義務を示す。
『されば
十四章において述べしごとく、弱き信者をも忍びて受け納れるのみならず、積極的にそのために重荷を負わなければならぬ。そのためには人のことをも顧み、弱き信者を躓かせないために、時には己の悦ばないこともしなければならぬ場合がある。
【二】二節は我らの義務の制限である。
『我儕おのおの隣の徳を建てんために善をもてこれを悦ばすべし。』── 二節
我らは人を悦ばすべき筈で、そのために己の心に悦ばざることをもなすべきであるが、人を喜ばせるといってもそこに制限がある。すなわちその人の『徳を建つる』ことのためにのみ悦ばせるのである。卑近な例をもって言えば、ここに肉に属ける信者があって、活動写真を見に行きたいが金銭がない、その人に金を与えれば喜ぶには相違ないが、その人の徳を建てない。されども聖書がほしいが金銭がなくて買われないというような人があれば、できるだけ補助をして買ってやるべきである。これはその人の徳を建てることであるからである。
【三】三節は我らの義務の模範である。
『キリストすら尚おのれを悦ばす事をせざりき。そはなんぢを
すなわち我らの模範はキリストご自身である。キリストすら己を悦ばせたまわざりしことを思えば、いわんや我らをやである。
【四】四節は我らの義務の動力である。
『
我らを励まして、義務を全うすることを得んがために力をあたえるものは聖書である。ここに『訓へ』『忍耐』『安慰』『望み』がある。これらはみな聖書の中にあって、我らをして義務を遂行せしめるための原動力となるものである。
【五】五節は我らの義務の助力である。
『忍耐と安慰を
我らをして義務を全うせしめるために助力を与える者は祈禱である。祈禱によって力を得、また祈禱の答えとして一致を与えられてこそ、弱き者のために重荷を負うことができるのである。
【六】六節は我らの義務の目的である。
『爾曹をして心を一つにし、口を一つにし、神すなはち我儕の主イエス・キリストの父を讃美し崇めしめ給はんことを願へり。』── 六節
すなわち皆が一致して栄光を神に帰し、父なる神を崇めんがためである。
【七】七節は我らの義務の性質である。
『このゆえにキリスト神を崇めんために我儕を
如何にしてキリストが我らを受け入れたもうたかを考えよ。何の価値もなき罪人なる我らに愛を示し、我らのために苦を受け、また我らのために己を捨てて我らを受け入れたもうた。そのごとく、我らもまた兄弟を受け入れねばならぬ。
なお以上の一段において三つの要点を見たい。第一、我らの模範はキリストである(三節、五節、七節)。キリストはユダヤ人に対しても同じ心を有したもうた。そのごとく我らも人によって差別をしてはならぬ。そしてキリストはすべての人のために犠牲となりたもうた。我らも人々のために己を捨てなければならぬ。
第二、望みを与えるものは神の言である(三節後半及び四節)。我らは兄弟姉妹に対する時、ことに弱き信者に対する義務を全うせんとする時に、望みを有しておらなければならぬ。例えば或る求道者を導かんとする時、この人はとても駄目だと望みを失ってしまえば導くことができない。望みを失えば力も失せ、忍ぶこともできない。しからばいかにしてその望みが起こるかというに、聖書の忍耐と慰めの言葉によってである。なおこの点について、コリント前書十五章五十八節を見よ。『だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである』。すなわち結果は見えずとも望みを持って忠実に働かば神は報いを与えたもう。結果はなくとも報いがある。これを思えば望みを抱くことができる。すなわち望みを持って忠実に働くならば、よしこの世においては報いがなくとも、来世において報いがある。我らはしばしば結果のない時に望みを失いやすい。しかし愛と同情をもって人のために重荷を負う時に、聖書の聖言によって望みを与えられる。
第三、終極の目的は要するにすべての者の一致である(五節六節)我らが相愛し相忍びて互いに受け入れ、強き者が弱き者のために重荷を負うのは、要するに心をも口をも合わせて神を讃美するに至らんがためである。現今、諸教派相分離してその間に全き一致のないのは実に悲しむべきことである。偏狭にして互いに批評し他を排する精神が、教会から一掃せられなければならぬ。スポルジョンの説教中にこんな話がある。或る人が夢に天国に行き、天使に案内せられて諸方を歩き廻る中、在る所に行くと、天の使いが『静かに静かに、この石垣の中にはプリマス・ブレズレン派の人々がいる。彼らは自分たちのみ天国に行くと思っていたのだから静かにせよ』と言ったという。かかる排他の精神はキリストの御心に反するものである。我らは互いに相受け入れ、強者は弱者の弱きを負うて、みな一致して神を崇めなければならぬ。
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