第 三 日  枝



 『我にありすべて實をむすばざる枝は父これを剪除きりとり』 (約十五・二

 こゝに比喩中の重要なることばの一つなる「」がある。葡萄樹ぶだうのきは枝を要する。これなくしては何事をもなす事あたはず實を結ぶ事も出來ない。葡萄樹ぶだうのきと農夫とについて知る事が必要なる如く、枝の何たるかを知る事は又至って肝要である。我等はキリストがこれについて語り給ふを聞く前に、づ枝の何たるか、又これがキリストにある我等の生活について敎ふるところの事を學ばねばならぬ。枝とはを結ぶ唯一の目的をもっ葡萄樹ぶだうのきより生じたるの一部に過ぎない。全く幹と同質のものであって、同一の生命せいめいと同一の靈とを持ってる。今暫くその暗示するところの學課を考へて見よう。

(一)これは全き献身を教へる。枝は唯一の目的をもって生存してるものであって、其爲そのために一切を献げてる。すなは葡萄樹ぶだうのきが望むまゝにを結ぶ事である。信者もまた枝たるに唯一の理由がある。彼が地上に生存いきながらふるはたゞこの一事の爲である。すなはち天の葡萄樹ぶだうのきが彼によりてそのを結び給はんが爲である。これを知りこれ嘉納け、我はあがなはれてたゞこの一事の爲に生くと云ふ者はさいはひである。我等は神によりてキリストのうちに植ゑられたのであれば、葡萄樹ぶだうのき聖旨みむねのまゝにを結ぶ爲に、自ら全く委ねゝばならぬ。

(二)これは又全き合一を教へる。枝はあらゆる形狀ありさまおい葡萄樹ぶだうのきと全く同一である。同一の性質、同一の生命いのち、同一の場所、同一のはたらきことごとくにおい相分あひわかつ事が出來ない。く信者も神の性質を分與せられしものであって、そのうちにキリストの性質と、靈とを持つ。かれの唯一のめしは、キリストに全く同化せらるゝ爲に一切を委ぬる事である。枝は全く幹と同一である。たゞその異なるところは、一は大きくして强く力の源であって、他は小さく、弱く、常に力を受けねばならぬ事である。信者もまたあたかくの如くであって、キリストに全くたるものである。

(三)これは又全き依賴よりたのみを教へる。葡萄樹ぶだうのきは液汁と力とを貯藏たくはへてるが、これはみづからの爲でなく枝の爲である。枝は幹より與へらるゝものゝほか何物も持たない。信者もまた絕えず全くキリストに依賴よりたのむいともさいはひなる生涯に召出めしいだされたものである。晝夜絕間たえまなくキリストはすべての必要に應じて其中そのなかに働き給ふのである。

(四)これは又うたがひを抱かざる全き信任を教へる。枝は少しも心を勞する必要がない。幹は一切を備へるのであれば、たゞ委ねて受けさへすればよい。この眞理が見えて來る時に信仰の安息を得、成長と力のしんの秘密を悟り得るのである。『我は我に力をあたふるキリストによりすべての事を爲得なしうるなり』(腓四・十三)。

 我等がたゞに枝たる事を承知だにせば、如何に驚くべき生涯に入り得る事であるぞ! 愛する神の子らよ、この課程を學べよ。あなたはなすべき唯一事がある。たゞ枝たれ、これよりまさらず、これよりおとらず、たゞ枝たれよ。キリストは幹として一切を與へ給ふのである。くて農夫たる大能の神は最も善き幹を造り給ひし如く、又必ずや最も善き枝を造り給ふであらう。

 しゅイエスよ、我は汝に祈り奉る。ねがはくば幹との生ける結合とその豐かなる供給とにおいて、枝たる事の天的秘密を默示し、なんぢ全能全備のしゅは、自らその枝を保ち、これを充たし、一切のはたらきをなし給ふ事を知らしめ、我をして信仰の安息に入らしめ給へ。



| 総目次 | 序文と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |