第 十 七 日 我 が 父 榮 を 受 く
『爾曹おほくの實を結ばゞ我父これに由て榮をうく』 (約十五・八)
我等は如何にして神を崇むべきであらうか。我等は彼の榮に添加へ、未だ持ち給はない新なる榮を彼に齎らす事によって彼を崇むる事は出來ない。唯彼の榮が我等の衷に又我等を通して世に顯れん爲、我等自らを彼に委ね、彼の榮をして我等より輝き出さしむればよいのである。多くの果を結ぶ葡萄樹は持主の巧妙と眷顧とを語るものとして持主に榮を歸する。かく多くの果を結ぶ弟子によりて父は崇められ給ふのである。人と天使の前に神の惠と力の榮は証據せられ、神の榮光は彼によりて輝き出づるのである。
『人もし服役を作ば神の賜ふ能と意ひて服役を作べし 是イエスキリストに由て每事に神に榮の歸せん爲なり』(彼前四・十一)とペテロの云ひしは此謂である。人が神より來る力によって工をなし服役をなす時、或ひは神の力により證をなす時に、神は其凡ての榮を取り給ふのである。是等の事を我等によりて行ひ給ふ者は神である。人々は園の果を見て其持主を判斷する。僅か斗りの果は神に榮を歸することも尠ない。夫は葡萄樹をも農夫をも崇めない。『爾曹おほくの實を結ばゞ我父これに由て榮をうく』。
我等は屢々果を結ばざる事を自己と同胞の損失であるかの如く悲しみ、然して自己の弱きを其原因として居る。然し我等は寧ろ神が我等より受け給ふべき榮を奪ひし罪として又耻として之を考へ度い。願くば我等をして神の賜ふ能によりて服役をなし神を崇むる秘密を學ばしめよ。『爾曹……何事をも行能ざれば也』と仰せ給ひしキリストの聖言を心より受け、凡ての凡てをなし給ふ神を單純に信じ、神たる農夫がよりて以って其工をなし多くの果を納め給ふところの「キリストに居る」生活は、神に榮を歸する生涯である。
神は多くの果を求めて居給ふ。神は是より劣るものを以って滿足し給ふ事が出來ない。卿も亦之なくして滿足してはならぬ。果、繁き果、多の果と仰せ給ふキリストの言をして卿の衷に居らしめ、天の葡萄樹が卿の爲に持ち給ふ處のものを受くる爲に備へせねばならぬ。
『おほくの實を結ばゞ我父これに由て榮をうく』と。此最高の要求をして卿の奬勵とせよ。これは卿の力の遠く及ばざる處であれば、更に一切を抛出してキリストに打任せねばならぬ。彼は喜びて之を卿の衷に現實となし給ふであらう。
『おほくの實』、神は之を要し給ふが故に求め給ふ。彼は其手の工を誇らんが爲に飾物として其枝より果を求め給はない。否、彼は人々の救の爲に是を要し給ふのである。彼の崇められ給ふのは此事に於てである。卿は更に多く祈らん爲に葡萄樹と農夫との前に自らを抛げ出せ。人々に與ふる爲に果を結ばしめ給はん事を父に叫べ。恰もイエスが憫に心動き給へる如く、卿も饑渴に迫れる亡び行く魂の重荷を負へよ。さらば祈にも、居ることにも力を得、父の榮の爲に果を結ぶ事は曾て經驗せし事なき程に現實となり確實となるであらう。
『我父……榮をうく』と。頌むべき待望かな。神よ、我衷に爾自らを崇め、我を通して爾の仁慈と能とを輝き出し給へ。父よ、爾自らを我衷に崇め給へ。
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