アンドリウ、マーレー著
澤 村 五 郎 譯
眞 の 葡 萄 樹
────────
The Mystery of The True Vine
By
Rev. Andrew Murray
信仰修養叢書第一集
バックストン記念靈交會
原 著 者 序 文
拙著『基督に居れ』が、出版せられて久しからざる後、主にある若子等のために、更に短かくして簡単なるものを出版する樣にとの要求に接したが、この事を果し得べくも思はれなかった。然し、爾來此書の標題たる眞の葡萄樹の可驚比喩中に藏されたる單純なれども無盡藏の眞理は、いよいよ貴くなって來た。余は此比喩がキリストとの我等の結合に於て、又其全き獻身に於て、又其大なる確信や其無限の喜に於て、豊かに實を結ぶことに於て、勝遂ぐる祈に於て、かくまで明白に又力强く敎うる聖言は、聖書中他になき事を感ずるに至った。かくて余は、若き信者達が、其の基督者生活に於て、勝利者たる爲に當然留まるべき立塲を容易に體得し得るため、一書を認むる樣に導かれて來た。此比喩の中には、基督者生活の重なる誘惑や、又失敗に就て解決を與へない一事だもない樣に思はれる。主イエスの親近、其一切の供給者で在すこと、其御忠實、又一面に於ては信仰生活の自然にして、又結實豊かなるべき事の眞理が、極めて明白に披瀝せられ、一度此聖言に接したるものは、「此比喩を我心に會得せしめよ、さらば萬事足れり」と、云ふ事を憚らないに至であらう。
願くば頌むべき主、惠を賜ひて、我等をして、禮拜の靈と、主の敎導を俟望む心とを以て、此葡萄樹の秘義を學ばしめ給はんことを。
一八九七年十一月十八日 アンドリウ、マーレー
譯 者 序 文
此小册子は、私の信仰生活の始に於て、大なる祝福を齎らした處のものであります。一言一句讀む丈血となり肉となるを覺えます。私自ら受けし祝福を頒たんものと、曾つて雜誌『靈の糧』に譯載したのでありますが、單行本として信者の方々に廣く味って戴くことが出來れば、どんなに幸であらうかと豫て願って居たのであります。今聖許を得て出版するに至った事は感謝に堪へない次第であります。
此書は、元來一氣に讀過すべきものでなく、默想玩味して生命の糧とすべきものであって、一日に一章づゝ、一ヶ月卅一日に分けて味ふ樣に仕組まれてあります。どうか私共の信仰が單に頭でなく、感情でなく、眞に生命に織込まれた實質ある信仰であり得るために、神が此書の原本を大いに用ひ給ひし如く、又此譯本をも用ひ給はんことを切に祈るものであります。
譯文は極めて流暢でありません。元來英文の原書其ものが已に譯本で二重の譯になって居りますので、文章として無理な点もあると思ひます。然し言々句々金玉の如き此書の原意を取失はない樣に、出來る丈文字通りに譯した積りであります。
昭和三年十一月二十七日
御影聖書學舎にて、
澤 村 五 郎
眞 の 葡 萄 樹 目 次
第 一 日 葡萄樹
第 二 日 農夫
第 三 日 枝
第 四 日 果
第 五 日 多の果
第 六 日 潔
第 七 日 剪枝刀
第 八 日 我に居れ
第 九 日 爾曹我に居らざれば
第 十 日 我は葡萄樹
第 十 一 日 爾曹は其枝
第 十 二 日 多の果
第 十 三 日 何事をもなす能はず
第 十 四 日 枯れたる枝
第 十 五 日 凡て願ふところ
第 十 六 日 爾曹我に居らば
第 十 七 日 我が父榮を受く
第 十 八 日 眞の弟子
第 十 九 日 驚くべき愛
第 二 十 日 我愛に居れ
第二十一日 從ひ居れ
第二十二日 我如く
第二十三日 喜
第二十四日 互に相愛すべし
第二十五日 爾曹
| 総目次 | 序文と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |