第三十一日 勝 利 の 祈
『爾曹をして往て實を結せ其實を存しめんが爲また爾曹の凡て我名に託て父に求ふ所の者を彼をして爾曹に賜らせんが爲に我なんぢらを立たり』 (約十五・十六)
此比喩の最初の節に於いて、キリストは自らを眞の葡萄樹とし、父を農夫として默示し、我等の心に迎へ奉るべき事を要求め給ふたが、茲に彼と父とに關する凡ての敎訓を總括して彼等を選び給ふた二重の目的を語って居給ふのである。葡萄樹たる彼御自身に關しては彼等が果を結ぶ事である。父に就いては彼等が其名によりて求むる處の事が天に於いて成されんことである。果がキリストに對する眞實なる關係にある大なる證據である樣に、祈りは父に對する我等の眞實なる關係の證據である。『爾曹の凡て我名に託て父に求ふ所の者を彼をして爾曹に賜らせんが爲なり』と、是は葡萄樹の比喩の結尾である。葡萄樹と其枝の凡の秘密は我等を導きて他の奥義、即ち凡て我等が彼の名によりて欲ふ處のものを父が與へ給ふと云ふ事に至らしむるのである。茲に祈りと祈の力の缺乏の理由を見る事が出來る。我等が枝たる生涯を送る事の少なき爲に、我等が彼に全く居り葡萄樹の中に自らを失ふ事の尠なき爲に、我等は多く祈る爲に激勵を感ずる事尠なく、祈りの應答を確信する事乏しく、從って神の寶庫の鑰として如何に彼の聖名を用うべきかを知らないのである。地上に植ゑられたる葡萄樹は天に迄届いた。魂は全く且嚴密にこれに居る事によりてのみ勝利の力を以って天に達する事が出來る。我等が此比喩の眞を信ずる信仰は祈りの力によりて試されねばならぬ。居り、從ひ、愛し、喜び、潔められ、果を結ぶ生涯は必ずや勝利の祈りをなす力を與ふるであらう。
『爾曹の凡て……求ふ所』と。此約束は他の人々の爲に葡萄樹に傚ひ、自らを與へんと待構へたる弟子達に與へられた。此約束は彼等の働きに對する一切の支度であった。彼等は此約束を文字通に受け、之を信じ、之を用ゐ、其眞なるを見出した。我等をして眞の葡萄樹の枝として彼に傚ひ、人を救ふ工と神の榮の爲に果を結ぶ爲に自らを付さしめよ。されば我等は此約束を信じて祈求むる爲に新しき奬勵と力とを見出すであらう。我等はかゝる約束を與へられたる此可驚責任を覺えて覺醒し、亡び行く人々の爲にパンと惠を受くる迄は息まざらんことを。
『爾曹をして往て實を結せ其實を存しめんが爲また爾曹の凡て我名に託て父に求ふ所の者を彼をして爾曹に賜らせんが爲に我なんぢらを立たり』。愛する弟子等よ、何ものにも超えて祈りの人たらん事を求めよ。此に卿が葡萄樹の枝たる特權を用うる最高の働きがある。此に卿がキリストの如く、自らの爲にあらず人々の爲に生くる事を示す力がある。此に卿は人々の爲に賜物を受けん爲に天に進み入る自由がある。人の爲に果を結ぶ力は神にむかふ力を以って冠らせられて居る。
『我は葡萄樹、わが父は農夫なり』。キリストが卿の衷に行ひ給ふ工は、卿を父の聖許に導き其聖言を成就せしめんが爲である。『なんぢら我名に託て求ん 我なんぢらの爲に父に求ふと曰ず 蓋父みづから爾曹を愛すれば也』(約十六・二六、二七)。人の爲に直接に父に近づく力と信仰とを以って、彼等の爲に惠を求め、又之を受くる自由は、我等が基督に結合せる生涯の最高の操用である。凡て完全に眞の枝たらんと欲ふものはよろしく仲保の工に自らを委ぬべきである。これは天の葡萄樹たるキリストの一大御職務であって、凡て其聖工の力の源泉であった。卿も亦これを卿が枝としての一大事業とせよ、さらばこれは卿が凡の力と工の源泉となるであらう。
『我名に託て』。然り主よ、汝の聖名、即ち汝が茲に與へ給ひし眞の葡萄樹たる新しき名により、絕對の獻身と深き依賴とを以って汝に居る枝として汝に在りて父に來る。彼は必ずや凡て欲ふ處を與へ給はん。願くば我生涯をして常に勝遂ぐる仲保の生涯たらしめ給へ。
眞の葡萄樹 (をはり)
昭和四年 一月 一日印 刷
昭和四年 一月 五日一版發行
昭和廿六年八月廿五日五版發行
頒布價八拾圓
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不許複製
飜譯者 澤 村 五 郎
東京都武藏野市境一四一六
發行人 落 田 健 二
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印刷所 濱 野 印 刷 所
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