第二十八日  キリストの友情とその親密



 『今よりのちわれ爾曹なんぢらしもべいはそはしもべそのしゅなすことをしらざればなり 我さきに爾曹なんぢらを友とよべり 我なんぢらにわが父よりきゝし所のことをことごとつげしによる』 (約十五・十五

 眞實なる友情の最高の証拠と、その祝福の一大源泉は、何事をもかくさずして内心の秘密をその友に打明うちあくることである。キリストのしもべたることはさいはひなることである。彼にあがなはれし者は、自らかれの奴隷ととなふる事を喜ぶであらう。キリストは屢々しばしばその弟子をしもべび給ふたが今そのおほいなる愛によりてのたまふ、『今よりのちわれ爾曹なんぢらしもべいはず』と。聖靈の降臨によりて新時代は開かるべきであった。しもべはそのしゅすことを知らず、彼は主人の計画にあづかり知らずしてたゞ從ふべきである。しかし『我さきに爾曹なんぢらを友とよべり 我なんぢらにわが父よりきゝし所のことをことごとつげしによる』とふ。キリストのしもべは、父がかれに委ね給ひしすべての秘密に参加するのである。

 今その意味を考へて見よう。キリストがその父のいましめを守る事を仰せ給ふた時に、たゞ聖書に記された所のことばかりを指し給ふたのでなく、時々刻々彼に示されたすべての特別なる命令をも含んでる。『父は子を愛してすべおのれの行ふ所の事を彼に示す……更におほいなる事を彼に示さん』(約五・二十)と仰せ給ふたのはこのことである。すべてキリストのなし給ふことは神のはたらきであった。神はこれをキリストに示し、彼は父のむねそののぞみとを行ひ給ふた。それも人々が屢々しばしばなすやうな盲目的に了解なくしてすのではない。充分なる理解と承認とをもってなし給ふた。あたかも神の議會に立つ者の如く、彼は神の御計畫を知りて給ふた。

 しかしてこれは今キリストの友たる者の受くべき祝福であって、彼はしもべの如くその意義と目的とを透察とうさつする事なくしてかれむねを行ふのでない。更に親しくその密事に參與して神の隱れたる意圖を知ることを許されてるのである。

 ペンテコステの日より、キリストは聖靈によりその弟子達を導き、かつたゞ比喩によりて告げ給ふた神の國の奥義を、今は靈的實驗として認識するに至らしめ給ふた。友情はまじはりを喜ぶものである。友はたがひ相謀あひはかるものである。ほ他人の知る事を願はないこともたがひ打明うちあくるものである。神がキリストに示し給ふ事を彼より聞き受くる特權を與ふる、このキリストとのきよき親密に基督者を近づかしむるものは何であらうか。『爾曹なんぢらわがなんぢらに命ずるところを行はゞすなはわが弟子なり』(約八・三一)と。魂をきよむるのは愛の服從である。それたゞに聖書の上のいましめばかりでない。このことばを我等の日々の生涯に當篏あてはむることであって、しゅ御自身のみよく我等にこれをなし得給ふものである。我等が依賴よりたのみと謙遜とをもっこれ待望まちのぞみ忠實に服從するときに、我等は更に親密なるまじはりかなふものとせられ、『我さきに爾曹なんぢらを友とよべり 我なんぢらにわが父よりきゝし所のことをことごとつげしによる』と云ふことばが、我等の日々の生涯の絕えざる經驗となるであらう。

 『われ爾曹なんぢらを友とよべり』と。何たる云ひ難き榮譽! 又特權なるか。おお救主すくひぬしよ、ねがはくばこのことばわが魂のうちに語り給へ。『われ爾曹なんぢらを友とよべり』、すなはちわが愛するところわが信任するところ、父の語り給ふところのことをことごとく知らしむるわが友と呼べりと。



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