第十二章  生來の罪



 この十二章を見ますならば、十一章に示されたる罪とは異なる罪のたとへです。又罪につけたとへです。この十二章生來うまれつきの罪を敎へます。をんなが子を生みまするならばけがれを得ます。これは何故なにゆゑですかならば、その子はけがれたる罪人つみびとであるからです。人間は生來うまれつきから神の前に罪人つみびとであります。又地獄の世嗣よつぎです。さうですからそんなけがれたる者を生める者はけがれを得ます。ロマ五・十九を御覽なさい。一人の逆のために人間はことごと罪人つみびととせられました。私共わたくしどもは皆罪人つみびととしてうまれました。しへん五十一・五を御覽なさい。それを深く感ぜねばなりません。罪を知るためにそれは餘程よほど大切です。何卒どうぞ三節を御覽なさい。さうですからその時にこの子は神と契約を結ぶことを得ます。七日間なぬかかんは神との契約のほかです。けれども第八日やうかめは神の契約のうちですから、この母も漸次だんだん聖潔きよめを得ます。五節を御覽なさい。かくの如く女の子は神の契約のうちはいりませんから、その女の子のために母は尚々なほなほ永いあひだけがれのうちにあります。四節を御覽なさい。『聖物きよきものにさはるべからず 聖所きよきところにいるべからず』。母も子もけがれを得ます。神の前に人間という者はけがれたる者であるといふ事を示します。哥前コリントぜん十五・廿一、廿二を御覽なさい。私共は皆如斯このやう生來うまれつきよりけがれたる者です。生來うまれつきからの罪人つみびとです。生來うまれつきより地獄の世嗣よつぎです。八節を御覽なさい。それによりしゅの母マリアの貧しかった事がわかります(ルカ二・二十四)。主はそんな貧乏まづしき母をえらんで御自分をひくくなし給ひました(哥後コリントご八・九)。利未レビ十二・八よりて、主の貧しき事がわかります。主は私共のために貧しき者となり給ひました。



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