第廿五 ヱルサレムの批評
放蕩息子の兄の精神
『異邦人も神の道を受たり』との噂は、早く廣がりました。又多分此使徒等や信徒等は、其を聞いて喜びましたでせう。然れ共反對者もありました。
是は使徒等ではありません。『割禮ある者ども』がペテロと爭ひました。此人々は儀式的の信仰を有って居る人でした。今でも斯ういふ人は、罪人の救はれる事を聞いて喜びません。丁度放蕩息子の兄の如に、放蕩息子が歸って參りましても喜びません。どうぞ私共は此精神を全く追出し、罪人が救はれますならば、神の恩惠を感謝して、其を喜びたう厶います。
ペテロの經驗談
ペテロは何と答へましたかならば、神の導を證し致しました。ペテロの答は唯自分の經驗談でありました。四節からの處に、如何して神が自分を導き給ふたかに就て、繰返して申して居ります。又此經驗談は全く其爭ひを消しました。十八節『彼等この事を聞て答ふる所なく惟神を崇いひけるは』。是は幸福でありました。神は異邦人の爲に傳道の門戸を開き給ひましたが、又其のみならず、今猶太に居る信者の心を開き給ひました。神は尚廣く傳道させ給ひましたが、其許りでなく、ヱルサレムにある人々の心を廣く開き給ひました。神はヱルサレムにある人々に、新しい光を與へ給ひました。『惟神を崇いひけるは 實に然らん 異邦人の生を得ん爲に彼等にも悔改を予給へる事』(十八)。主イエスは未だ昇天し給はぬ前に、明かに其を言ひ給ひました。然れ共ヱルサレムの信者は今始めて、其聖言の深い意味を知りました。子供らしい信仰を以て、其聖言を聞きますれば、よく解る筈でありました。其言は解り易い言でありました。然れ共此人々の心の中には、偏見がありましたから、其言を其儘信ずる事が出來ませなんだが、今神は其言を其儘信ずべき事を教へ給ひました。
繰返されたるペンテコステ
今讀みました話は、眞のペンテコステであります。十五節を見ますれば、『斯て我かたり始しとき聖靈はじめに我儕に降し如く彼等にも降れり』。然うですからペンテコステの恩惠と同じ事でありました。神は繰返してペンテコステの恩惠を與へ給ふたのであります。ペンテコステの日に與へられた恩惠は、唯一度丈け與へられた恩惠ではありません。神は喜んで其を繰返して、同じ恩惠を誰にでも與へ給ひます。ペンテコステの日の恩惠は、唯神の恩惠の見本に過ぎません。ペンテコステの日は、今此聖靈の時代に度々起るべき日の、見本の日であります。然うですから此時代に於て、私共は度々ペンテコステの恩惠を頂戴する筈であります。ペテロが此時に言ひましたやうに、其時も同じ恩惠を度々得て、同じ經驗を得る筈であります。神は同じやうにもう一度、天より私共に聖靈を注ぎ給ふ筈です。どうぞ此話を深く深く調べて、如何すれば神は今でも、ペンテコステを與へ給ふかに就て學びたう厶います。又どうぞペテロが神と交りて、神の導に從ひ、神の御力に與りましたやうに、私共も其樣な精神を以て、傳道に出懸けたう厶います。然うすれば必ずもう一度、同じペンテコステを見る事を得ます。
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