第四十 ロマに着く



第二十八章十一節以下

 かくてパウロは段々ロマに近づきました。パウロは先にロマびと羅馬書ロマしょ書送かきおくりました。格別にその十五章廿九節以下を見ますと、『われ爾曹なんぢらゆく時はキリストの福音の滿みちたるめぐみ爾曹なんぢらに至らんことをしれり 兄弟よ 我儕われらしゅイエスキリストにより聖靈の愛により爾曹なんぢらに勸む ねがはくはわれと共に力をつくしてわがために神に祈ることをそはわがユダヤにある不信者よりたすかりまたヱルサレムにおもむ供事つとめを聖徒の心にかなはせ また神のむねしたがよろこびて爾曹なんぢらいたとも安慰なぐさめを得んがためなり』(廿九〜卅二節)。このみっゝ祈禱いのりを献ぐるやうに賴みましたが、ロマの信者たちこれを祈りました。パウロがこのいのりを願った時には、この三つ共皆人間のから見ればじつづかしい事で、多分出來ない事のやうに思はれました。どもパウロも祈り、又ロマの信者も祈りましたから、神はその祈禱いのりに答へて、このみっゝの事を聞き給ひました。猶太人ユダヤびとよりも救はれ、供事つとめも首尾よく終り、又喜んでロマにく事を得ました。

 この二十八章十四節を見ますと、七日なぬかあひだプテヲリにとゞまりました。ロマの信者はパウロのる事を聞いてむかへに參りました(十五節)。このアッピーポロムはロマから三十里ほど離れたところでありましたが、其處迄そこまでパウロをむかへに出ました。其爲そのためにパウロはおほいに慰められ、このロマの信者たちの信仰に勵まされて、喜んでロマに參りました。羅馬書ロマしょ十五章祈禱いのりは答へられました。

 パウロはロマに着きますと早速、猶太人ユダヤびと尊重おもだちたる人々を集めました(十七節)。パウロは格別に異邦人いはうびとに遣はされた者でしたが、何時いつでも何處どこでも、づ愛する猶太人ユダヤびとの同胞にみち宣傳のべつたへたうございました。これは神の順序にかなふ事でありました。

 二十三節に朝から晩まで感話會のやうな集會あつまりを開きました。『既にさだめたる日におよびおほくの人パウロのやどきたれり パウロ朝早あさはやくよりくれいたるまでモーセの律法おきてと預言者のふみをひき神の國の事をときかつこれあかししイエスの事をかたりて彼等をすゝめたり』。きまった說敎をせず、聖書を開いて感話を述べ聖書の意味を說きました。ども猶太人ユダヤびとは信じません。『そのことばに感じてこれしかりとする者あり また信ぜざる者もありて たがひ相合あひあはざるによりつひ退しりぞけり』(廿四、廿五節)。その退しりぞかんとせし時、パウロは恐ろしいのろひことばを申しました。今迄いまゝでパウロは何處どこでも、力をつくして猶太人ユダヤびとを救ひたうございましたが、何處どこ猶太人ユダヤびとも信じません。最後をはりにロマにある猶太人等ユダヤびとたちに福音を傳へました。其處そこ猶太人ユダヤびと猶太人ユダヤびとが一般にってる偏見をってらぬでせうから、自由をもっ聞入きゝいれるかも知れぬといふのぞみがありました。しかるに其處そこ猶太人ユダヤびとも信じません。うですからをはりこの恐ろしいのろひことばを申しました。『その退しりぞかんとせし時パウロ一言ひとことかたりけるは まことなるかな 聖靈 預言者イザヤにより我儕われら先祖等せんぞたちかたりこと そのことばいはく なんぢこのたみゆきつげ爾曹なんぢらきけどもさとらずみれども見ず そはこのたみ目にて見耳にてきゝ心にて悟り悔改あらためわれいやされん事を恐れ その心をにぶくし耳をおほひ目をとぢたりと』(廿五〜廿七節)。しゅイエスは頑固かたくななるガリラヤびとに對して、この同じことばいひ給ふた事があります(馬太傳マタイでん十三章十四、十五節)。其後そのゝち約翰伝ヨハネでん十二章卅九、四十節おいて、しゅイエスはおほやけの傳道の終局をはりに、ユダヤの人々にこののろひことばのべ給ひました。今パウロはしゅならって、頑固かたくななる猶太人ユダヤびと全體に同じ宣告を與へました。彼等は恩惠めぐみことば聞入きゝいれませんから、つひこの恐ろしい神ののろひの宣告を聞かなければなりません。

 どもパウロは自由に異邦人いはうじんに福音を宣傳のべつたへました。『かくてパウロはその借受かりうけし家にをりしこと全く二年 すべてきたり見んとする者をむかへはゞからず神の國をのべしゅイエスキリストの事ををしへさまたげらるゝことなかりき』(卅、卅一節)。ユダヤにもヱルサレムにも、何處どこでも猶太人ユダヤびとところでは妨げる者がありました。ども今異邦人のうちにありて『さまたげらるゝことなかりき』とあります。これは不思議であります。羅馬人ロマじんは新しき宗敎を好みません。又それを許しません。羅馬ロマ法律おきてによれば、たゞきまった宗敎を宣傳のべつたへる事のみ許されてりました。ども神の攝理によりて、パウロはさまたげられずして、そのみやこなるロマにおいこの新しき宗敎を宣傳のべつたへる事を得ました。

 どうぞ私共わたくしどもこの廿一章以下のところで學びましたやうに、時をるもざるも、何時いつでもことば宣傳のべつたへたうございます。あやうい時にもくるしめらるゝ時にも、迫害せらるゝ時にも、何時いつでもことば宣傳のべつたへたうございます。訴へられて裁判を受けるやうな事がありましても、自分のために心配せず、其處そこる人々のめに重荷を感じて、福音を宣傳のべつたへたうございます。又身體からだの危險にある者のためにも、憐憫あはれみと親切をつくして彼等に愛を御示しなさい。し牢屋に繫がれるやうな事がありましても、其處そこでも福音を宣傳のべつたへたうございます。これは使徒行傳の最後のをしへ、最後のすゝめであります。


使 徒 行 傳 講 義 終


大正五年六月一日 印 刷
大正五年六月五日 發 行

不許複製

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講述者 ビー・エフ・バックストン
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  東京市赤坂區氷川町五番地
發行者 ジョージ・ブレスウェート
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印刷者 高   橋     郁
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