第三十一 パウロの第二傳道旅行
パウロの重荷
此時パウロの格別の重荷は何でしたかならば、救はれた信者の事でありました。最早見出され、救はれた羊の有樣を深く重荷としました。哥林多後書十一章廿八節『此に言ざる外の事ありて日々我に迫る 即ち諸の敎會の憂慮なり』。パウロは主イエスの愛に勵まされて、どうかして罪人に福音を宣傳へて、之を救出したう厶いました。然れ共其と同時に最早導きました子女等を養ひ、其信仰の有様を尋ねたう厶いました。パウロは何時でも此二の重荷を有って居りました。
彼は斷えず信者の有樣を重荷として祈りました。羅馬書一章九節を見ますれば、彼は斷えず羅馬の信者の爲に祈りました。又以弗所書一章十六節にも、腓立比書一章四、五節にも斷えず其處の信者の爲に、重荷を負ふて祈った事を見ます。パウロは其やうに神の聖前に信者の爲に重荷を負ひましたから、格別に其爲に今第二旅行を始めます。
此爭には必ず兩方に理由がありました。バルナバは若いマコの過失を赦して、もう一度連れて行きたう厶いました。是は理由に合ふ事でありましたでせう。又パウロは多分戰の大切な事、又戰の恐ろしい事を深く感じて、一度失敗して今眞正に依賴む事の出來ぬ此兵卒を伴ふ事を好まず、ギデオンの兵卒の話を思起して、かういふ兄弟は却て行かぬ方がよいと思ひ、かういふ兄弟が參りますれば傳道の妨害に爲ると思ひましたでせう。パウロは必ず此マコを愛して居たに相違ありません。然れ共其愛の爲めでなく、傳道の爲めに、主の御用の爲めに何方がよいかと考へねばならぬと思ふたのです。其處の敎會は多分パウロに同情を表したと思ひます。即ち
を見ますと、パウロは兄弟等に『主の恩に托られて出立』ったとあります。バルナバに就ては其樣な事が書いてありませんから、其處の敎會は多分パウロに賛成したと思ひます。
二十三節にスリヤとキリキヤの敎會に就いて讀みましたが、此處で始めてキリキヤに敎會のあった事が解ります。キリキヤはパウロの國で、多分パウロは其地に於て證した事と思ひますが、其事に就ては聖書は何も記してありません。パウロとシラスは共に其地方に行き、バルナバはマコを連れてクプロに渡りました。
見よテモテ
パウロは此デルベとルステラにて必ず歡迎せられたに相違ありません。其處の信者は必ず溢れる程の愛を以て歡迎した事と思ひます。又パウロは其處に行きました時、どういふ感が起りましたでせうか。必ず神の奇しき御業を記憶し、迫害と苦より救はれた事を覺えて、心の中に喜んで感謝しましたでせう。パウロが迫害せられた處に、もう一度行った事は、大膽な事であります。主イエスの爲に己の身を惜まずして、生命を賭けて喜んで其處に參りました。
『此にテモテと云る弟子あり』。英語の譯には『見よ(behold)』といふ字が入って居ます。見よ此にテモテと云へる弟子あり、即ち是は驚くべき事でありました。パウロは其處に行きて、意外にも愛するテモテを得ました。パウロは愛するバルナバに分れ、心が傷められ、寂しい心を以て其處に參りました。即ちパウロは傳道の爲に、自分の心を傷めてバルナバに分れました。而してデルベに於ても、ルステラに於ても、何處に於てもバルナバの事を記憶しましたでせう。さういふ時に神はパウロに、愛するテモテを與へ給ひました。是は實に神の恩惠でありました。神の愛の兆でありました。斯樣に神は私共を慰める爲に、愛する友を與へ給ひます。是は地上に於ける神の最もよい賜であると思ひます。
此時よりテモテはパウロの地上に於ける最も大なる喜でありました。提摩太前書一章二節に『我が眞子なるテモテ』。また提摩太後書一章二節には『我愛する子テモテ』とあります。其やうにテモテを愛し、テモテの愛を喜びました。腓立比書二章十九節から御覽なさい。『我なんぢらが事情をしり心を慰めんがため速かにテモテを爾曹に遣さんことを主イエスに賴りて望む 蓋かれの外に我と同じ心を以て爾曹の事を眞實に慮る者なければ也 多の人は皆おのが事のみを求めてイエスキリストの事を求めず 然どテモテの鍛鍊なることは爾曹の知ところなり 彼は子の父に於る如く我と共に福音の爲に勤たり』(十九〜廿二節)。然うですから、テモテはパウロの心を心とし、パウロと一緖に苦しみ、生命を惜まずに主の爲に働きました。眞正にパウロと心が一つでありました。第一の傳道旅行に於ては、パウロはマコといふ靑年を連れて參りました。パウロは何時でも靑年が共に居ることを願ひました。然れ共マコはパウロと一つ心でありませなんだ。主イエスの爲に生命を惜まぬ心がありませなんだ。其爲にパウロは心を傷められてマコと別れましたが、今神は新しい靑年を彼に與へ給ひました。是はパウロと一つ心を有って居る靑年であります。提摩太後書三章十、十一節『爾は我が敎誨、品行、志意、信仰、寬容、愛、耐忍 及び我アンテオケ、イコニオム、ルステラにて遇し窘と困苦また我が受し窘の如何なるかを知』。然うですからテモテは其時から、パウロと共に苦を得、パウロと共に迫害を受け、幸福の時にも艱難の時にも、斷えず此若い兄弟の交際によって慰められました。
『斯てパウロは……ルステラに至れり 見よ此にテモテと云る弟子あり』。先にパウロがルステラに參りました時には、殆んど生命を失はんとしました。然れども其時にテモテが救はれましたでせう。即ちパウロが生命を惜まずに主の爲に働いた報として、神はかういふ美しい賜──テモテといふ靑年──を與へ給ひました。
今基督信者は餘り友達を重んじないやうでありますが、是は大に殘念な事であります。若し私共は神と交る事を得ますから、友達の愛を餘り重んじませんならば、其は贋の信仰であります。眞正に神を愛する人は、神を愛すれば愛する丈け其だけ、兄弟を愛し又兄弟の交際を求めます。神と交りましても兄弟と交りませんならば、寂しい心があります。私共は兄弟の友達を與へらるゝやうに、神に求むる事は善い事であります。是は神の最上の恩惠であります。神が其を與へ給ひますれば、其爲に大なる力を得ます。二人心を合せて主に事へますならば、其爲に尚大なる力を以て働く事を得ます。どうか神がパウロにテモテを與へ給ひましたやうに、私共にも其やうに大なる恩惠の賜を與へ給ふやうに、祈り求めたう厶います。
テモテはどういふ人でありますかならば、『其母はユダヤの婦』、即ち亞細亞人、『其父はギリシヤ人』、即ち歐羅巴人でありまして、嚴重にモーセの律法を守りますれば、かういふ人を捨てなければなりません。尼希米亞記十三章を見ますれば、ネヘミヤは其樣な人を捨てました。『當時われアシドゞ、アンモン、モアブなどの婦女を娶りしユダヤ人を見しに その子女はアシドゞの言語を半雜へて言ひユダヤの言語を言ことあたはず各國の言語を雜へ用ふ』(廿三、廿四)。然うですから此神の人はそんな人々を捨てました。以士喇書九章十章にも同じ事があります。然れ共パウロは今律法的の心なく、愛を以て此人を受入れました。テモテは眞正に悔改め、眞正に献身したと思ふて、熱い愛を以て受入れ、此合の子をも神の僕と致しました。
前に申しましたやうに、パウロはテトスに割禮を許しませなんだ。然れ共唯今他の猶太人に捨てられた猶太人に、割禮を授けます。然れ共是は同じ心です。自由を以てテトスに其儀式を授けませなんだが、他の人々に輕蔑せられたテモテの爲には割禮を施しました。
此條規は何ですかならば、純粹なる福音を守る事でありました。儀式的の精神でなく、福音に合ふ誡命でありました。
『之に由て』、即ちパリサイ人のパン種を捨てましたから、儀式的の心を捨てましたから、其爲に『諸敎會の信仰堅なり其數も日々に增』ました。每日新しい信者が出來、每日敎會が果を結びました。純福音を傳へますれば、必ず其やうに多の果を結びます。
神の案外なる導
彼等はアジアの諸方の町々に於て傳道し、フルギヤとガラテヤの地を經て、尚西南の方に行って伝道しやうと思ひましたが、神の靈が是を許しません。然うですから南の方に行く事を許されませんから、北の方に行ってビテニヤに伝道しやうかと思ひました(地圖參照)。其地方は誠に野蠻の國でありましたから、神は其野蠻人に救を宣傳へさせ給ふ聖旨ではなからうかと思って祈りましたが、矢張導きを得ません。南の方に行く事を禁められ、又北の方に行く事も出來ません。併し東の方は最早傳道が濟んで居りますから、是非西の方に行かなければなりません。然うですから段々とトロアスに參りました。
神は此アジアに傳道する事を禁じ給ひましたが、十九章十節を見れば、後にアジアに傳道せしめ給ひます。又ペテロは後にビテニヤに書を送りましたから(彼前一・一)、神は後に其處にも福音を宣傳へさせ給ふた事を知る事を得ます。然れ共此時には許されませなんだ。
彼等はさういふ風で今トロアスの方に參りましたが、其時に未だパウロの心に確實な光がありませんから、惑の中に戰いて、神の光を熱心に求め乍ら進んで居たと思ひます。神は必ず導を與へ給ふ事を信じて段々進み、遂にトロアス迄參りました。
助を求むる叫
神は遂に光を與へ給ひました。神は大切なる歐羅巴傳道を始め給ひたう厶いました。今歐羅巴の諸方に基督の救が傳はって居りますが、其初は此處でありました。パウロは神の導を求め、右にも左にも曲らずして其導に從ひましたから、遂に明らかな光を得ました。神は私共をも或時には其やうに扱ひ給ふ事があります。熱心に光を求めても光を得ず、唯右或は左に行く事を許されぬ事許りが解る事があります。然れ共神の光を求めて進んで參りますれば、神は必ず遂には明らかな光を與へ給ひます。
パウロは此時幻の中に一人のマケドニヤ人を見ました。又其マケドニヤ人の叫をきゝました。聖靈に滿された人は、神の聖聲をきゝますが、又罪人の叫をもきく事を得ます。聖靈に滿された人は、或は夜の夢によりて神の導を得るかも知れません。パウロが幻を見た此時にさへも、明らかに行けといふ命令はありませんが、其マケドニヤ人の叫を聞いて心の中に確信を得、其地に行く事が聖旨であるといふ事を疑はずに知る事が出來ました。
パウロは神の聖旨が解りましたから『直に』其處に往かんと出立致しました。
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