第三十一 パウロの第二傳道旅行



パウロの重荷

三十五節

 此時このときパウロの格別の重荷はなんでしたかならば、救はれた信者の事でありました。最早見出みいだされ、救はれた羊の有樣ありさまを深く重荷としました。哥林多後書コリントこうしょ十一章廿八節こゝいはざるほかの事ありて日々われに迫る すなはすべての敎會の憂慮おもんばかりなり』。パウロはしゅイエスの愛に勵まされて、どうかして罪人つみびとに福音を宣傳のべつたへて、これ救出すくひだしたうございました。どもそれと同時に最早導きました子女等むすこむすめらを養ひ、その信仰の有様ありさまを尋ねたうございました。パウロは何時いつでもこのふたつの重荷をってりました。

 彼は斷えず信者の有樣ありさまを重荷として祈りました。羅馬書ロマしょ一章九節を見ますれば、彼は斷えず羅馬ロマの信者のために祈りました。又以弗所書エペソしょ一章十六節にも、腓立比書ピリピしょ一章四、五節にも斷えず其處そのところの信者のために、重荷を負ふて祈った事を見ます。パウロはそのやうに神の聖前みまへに信者のために重荷を負ひましたから、格別に其爲そのために今第二旅行を始めます。

三十六〜三十八節

 このあらそひには必ず兩方に理由がありました。バルナバは若いマコの過失あやまちを赦して、もう一度連れてきたうございました。これは理由にかなふ事でありましたでせう。又パウロは多分たゝかひの大切な事、又たゝかひの恐ろしい事を深く感じて、一度失敗して今眞正ほんたう依賴よりたのむ事の出來ぬこの兵卒を伴ふ事を好まず、ギデオンの兵卒の話を思起おもひおこして、かういふ兄弟はかへっかぬ方がよいと思ひ、かういふ兄弟が參りますれば傳道の妨害さまたげると思ひましたでせう。パウロは必ずこのマコを愛してたに相違さうゐありません。どもその愛のめでなく、傳道のめに、しゅの御用のめに何方どちらがよいかと考へねばならぬと思ふたのです。其處そこの敎會は多分パウロに同情をあらはしたと思ひます。すなは

三十九節

を見ますと、パウロは兄弟等きゃうだいたちに『しゅめぐみゆだねられて出立いでた』ったとあります。バルナバについては其樣そんな事が書いてありませんから、其處そこの敎會は多分パウロに賛成したと思ひます。

四十節

 二十三節にスリヤとキリキヤの敎會にいて讀みましたが、此處こゝで始めてキリキヤに敎會のあった事がわかります。キリキヤはパウロの國で、多分パウロは其地そのちおいあかしした事と思ひますが、其事そのことついては聖書は何も記してありません。パウロとシラスは共にその地方にき、バルナバはマコを連れてクプロに渡りました。

見よテモテ

第 十 六 章

一節

 パウロはこのデルベとルステラにて必ず歡迎せられたに相違さうゐありません。其處そこの信者は必ず溢れる程の愛をもって歡迎した事と思ひます。又パウロは其處そこきました時、どういふかんじが起りましたでせうか。必ず神のくすしき御業みわざを記憶し、迫害とくるしみより救はれた事を覺えて、心のうちに喜んで感謝しましたでせう。パウロが迫害せられたところに、もう一度った事は、大膽だいたんな事であります。しゅイエスのためおのれの身ををしまずして、生命いのちを賭けて喜んで其處そこに參りました。

 『こゝにテモテといへる弟子あり』。英語の譯には『見よ(behold)』といふ字がはいってます。見よこゝにテモテと云へる弟子あり、すなはこれは驚くべき事でありました。パウロは其處そこきて、意外にも愛するテモテを得ました。パウロは愛するバルナバにわかれ、心がいためられ、寂しい心をもっ其處そこに參りました。すなはちパウロは傳道のために、自分の心をいためてバルナバにわかれました。さうしてデルベにおいても、ルステラにおいても、何處どこおいてもバルナバの事を記憶しましたでせう。さういふ時に神はパウロに、愛するテモテを與へ給ひました。これじつに神の恩惠めぐみでありました。神の愛のしるしでありました。斯樣かやうに神は私共わたくしどもを慰めるために、愛する友を與へ給ひます。これは地上に於ける神の最もよいたまものであると思ひます。

 此時このときよりテモテはパウロの地上に於ける最もおほいなるよろこびでありました。提摩太前書テモテぜんしょ一章二節に『眞子まことのこなるテモテ』。また提摩太後書テモテこうしょ一章二節には『わが愛する子テモテ』とあります。そのやうにテモテを愛し、テモテの愛を喜びました。腓立比書ピリピしょ二章十九節から御覽なさい。『われなんぢらが事情ありさまをしり心を慰めんがためすみやかにテモテを爾曹なんぢらつかはさんことをしゅイエスにりて望む そはかれのほかわれと同じ心を爾曹なんぢらの事を眞實しんじつおもんばかる者なければなり おほくの人は皆おのが事のみを求めてイエスキリストの事を求めず されどテモテの鍛鍊たんれんなることは爾曹なんぢらしるところなり 彼は子の父における如くわれと共に福音のためつとめたり』(十九〜廿二節)。うですから、テモテはパウロの心を心とし、パウロと一緖に苦しみ、生命いのちをしまずにしゅために働きました。眞正ほんたうにパウロと心が一つでありました。第一の傳道旅行においては、パウロはマコといふ靑年を連れて參りました。パウロは何時いつでも靑年が共にることを願ひました。どもマコはパウロと一つ心でありませなんだ。しゅイエスのため生命いのちをしまぬ心がありませなんだ。其爲そのためにパウロは心をいためられてマコと別れましたが、今神は新しい靑年を彼に與へ給ひました。これはパウロと一つ心をってる靑年であります。提摩太後書テモテこうしょ三章十、十一節なんぢ敎誨をしへ品行おこなひ志意こゝろざし、信仰、寬容、愛、耐忍しのび 及びわがアンテオケ、イコニオム、ルステラにてあひせめ困苦くるしみまたうけせめ如何いかなるかをしる』。うですからテモテは其時そのときから、パウロと共にくるしみを得、パウロと共に迫害を受け、幸福さいはひの時にも艱難なやみの時にも、斷えずこの若い兄弟の交際まじはりによって慰められました。

 『かくてパウロは……ルステラに至れり 見よこゝにテモテといへる弟子あり』。先にパウロがルステラに參りました時には、ほとんど生命いのちを失はんとしました。れども其時そのときにテモテが救はれましたでせう。すなはちパウロが生命いのちをしまずにしゅために働いたむくいとして、神はかういふ美しいたまもの──テモテといふ靑年──を與へ給ひました。

 今基督キリスト信者は餘り友達を重んじないやうでありますが、これおほいに殘念な事であります。私共わたくしどもは神とまじはる事を得ますから、友達の愛を餘り重んじませんならば、それにせの信仰であります。眞正ほんたうに神を愛する人は、神を愛すれば愛するそれだけ、兄弟を愛し又兄弟の交際まじはりを求めます。神とまじはりましても兄弟とまじはりませんならば、寂しい心があります。私共わたくしどもは兄弟の友達を與へらるゝやうに、神に求むる事はい事であります。これは神の最上の恩惠めぐみであります。神がそれを與へ給ひますれば、其爲そのためおほいなる力を得ます。二人心をあはせてしゅつかへますならば、其爲そのためなほおほいなる力をもって働く事を得ます。どうか神がパウロにテモテを與へ給ひましたやうに、私共わたくしどもにもそのやうにおほいなる恩惠めぐみたまものを與へ給ふやうに、祈り求めたうございます。

 テモテはどういふ人でありますかならば、『その母はユダヤのをんな』、すなは亞細亞人アジアじん、『その父はギリシヤびと』、すなは歐羅巴人ヨウロッパじんでありまして、嚴重にモーセの律法おきてを守りますれば、かういふ人を捨てなければなりません。尼希米亞記ネヘミヤき十三章を見ますれば、ネヘミヤは其樣そんな人を捨てました。『當時そのころわれアシドゞ、アンモン、モアブなどの婦女をんなめとりしユダヤびとを見しに その子女こどもはアシドゞの言語ことばなかばまじへて言ひユダヤの言語ことばいふことあたはず各國くにぐに言語ことばまじへ用ふ』(廿三、廿四)。うですからこの神の人はそんな人々を捨てました。以士喇書エズラしょ九章十章にも同じ事があります。どもパウロは今律法的おきててきの心なく、愛をもっこの人を受入うけいれました。テモテは眞正ほんたう悔改くいあらため、眞正ほんたうに献身したと思ふて、熱い愛をもっ受入うけいれ、このあひの子をも神のしもべと致しました。

二、三節

 前に申しましたやうに、パウロはテトスに割禮かつれいを許しませなんだ。ども唯今たゞいまほか猶太人ユダヤびとに捨てられた猶太人ユダヤびとに、割禮かつれいを授けます。どもこれは同じ心です。自由をもってテトスにその儀式を授けませなんだが、ほかの人々に輕蔑せられたテモテのためには割禮かつれいを施しました。

四節

 この條規いましめなんですかならば、純粹なる福音を守る事でありました。儀式的の精神でなく、福音にかな誡命いましめでありました。

五節

 『これよりて』、すなはちパリサイびとのパンだねを捨てましたから、儀式的の心を捨てましたから、其爲そのために『諸敎會の信仰かたくなりそのかずも日々にまし』ました。每日新しい信者が出來、每日敎會がを結びました。純福音を傳へますれば、必ずそのやうにおほくを結びます。

神の案外なるみちびき

六〜八節

 彼等はアジアの諸方の町々において傳道し、フルギヤとガラテヤの地を經て、なほ西南にしみなみの方にって伝道しやうと思ひましたが、神のみたまこれを許しません。うですから南の方にく事を許されませんから、北の方にってビテニヤに伝道しやうかと思ひました(地圖參照)。その地方はまことに野蠻の國でありましたから、神はその野蠻人にすくひ宣傳のべつたへさせ給ふ聖旨みこゝろではなからうかと思って祈りましたが、矢張やはり導きを得ません。南の方にく事をとゞめられ、又北の方にく事も出來ません。しかし東の方は最早もはや傳道が濟んでりますから、是非西の方にかなければなりません。うですから段々とトロアスに參りました。

 神はこのアジアに傳道する事を禁じ給ひましたが、十九章十節を見れば、のちにアジアに傳道せしめ給ひます。又ペテロはのちにビテニヤにふみを送りましたから(彼前ペテロぜん一・一)、神はのち其處そこにも福音を宣傳のべつたへさせ給ふた事を知る事を得ます。ども此時このときには許されませなんだ。

 彼等はさういふふうで今トロアスの方に參りましたが、其時そのときだパウロの心に確實な光がありませんから、まどひうちおのゝいて、神の光を熱心に求めながら進んでたと思ひます。神は必ずみちびきを與へ給ふ事を信じて段々進み、つひにトロアスまで參りました。

たすけを求むるさけび

九節

 神はつひに光を與へ給ひました。神は大切なる歐羅巴ヨウロッパ傳道を始め給ひたうございました。今歐羅巴ヨウロッパの諸方に基督キリストすくひが傳はってりますが、そのはじめ此處こゝでありました。パウロは神のみちびきを求め、右にも左にもまがらずしてそのみちびきに從ひましたから、つひに明らかな光を得ました。神は私共わたくしどもをも或時あるときにはそのやうに扱ひ給ふ事があります。熱心に光を求めても光を得ず、たゞあるひは左にく事を許されぬ事ばかりがわかる事があります。ども神の光を求めて進んで參りますれば、神は必ずつひには明らかな光を與へ給ひます。

 パウロは此時このときまぼろしうちに一人のマケドニヤびとを見ました。又そのマケドニヤびとさけびをきゝました。聖靈に滿みたされた人は、神の聖聲みこゑをきゝますが、又罪人つみびとさけびをもきく事を得ます。聖靈に滿みたされた人は、あるひよるの夢によりて神のみちびきるかも知れません。パウロがまぼろしを見た此時このときにさへも、明らかにけといふ命令はありませんが、そのマケドニヤびとさけびを聞いて心のうちに確信を得、その地にく事が聖旨みむねであるといふ事を疑はずに知る事が出來ました。

十節

 パウロは神の聖旨みむねわかりましたから『たゞちに』其處そこかんと出立しゅったつ致しました。



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