第廿一 サマリアのリバイバル
福音傳道の苗代
『此日ヱルサレムに在ところの敎會を大に窘迫こと起り』。此日、即ちステパノが大膽に主イエスを證しました日、其日に他の信者等が大なる迫害を受けました。然うですから始にステパノの大膽の爲に、幾分か傳道が妨げられた樣に見えました。又肉に屬ける信者等が、ステパノが大膽に證した事を殘念な事をしたと思ったかも知れません。然れ共外部から見れば、傳道の妨害であるやうでありましても、其爲に後から福音が廣められ、又其爲に神の榮光が表はれました。出埃及記五章十七節を見ますれば、モーセが始めてイスラエル人を救はんとしました時に、却てイスラエル人が其爲にひどい目に遇ひました。モーセの働の爲に、平安と自由を得ずして、却てひどい苦痛と束縛を得ました(出埃及記五章十七節より廿一節迄)。其爲にモーセが救はうとしたイスラエル人が、却てモーセを攻擊しました。此時ヱルサレムの信者等に其樣な心はありません。然れ共主を證しますれば、或は始の結果は迫害と傳道の妨害であるかも知れません。
『使徒等の外は皆ユダヤとサマリアの地に散されたり』。是は神の惠と神の導でありました。神は此信者等を諸方に福音を宣傳へる爲に遣したう厶いました。然うですから神は此迫害によりて、信者等を散し給ひました。又散されたる者等は、四節にあるやうに『徧く往て福音を宣傳』ました。丁度苗代を作るやうなものでありまして、始に稻の苗を小い處で作って、其が出來てから其を別けて、廣い處に植付けるやうなものであります。然うしますれば僅かな苗でも、廣い處に出て豐な收穫を結ぶ事が出來ます。神も其やうに始にヱルサレムの狹い處に信者を作り給ひましたが、其儘其處に皆が居りますれば餘り神の國が擴がりませんから、迫害によりて、攝理の中に彼等を廣い處に押出し其處で多くの收穫を結ばしめ給ひます。今でも神は其やうに働き給ひます。私共は神の導に從ひますれば、散されても其によりて廣く傳道する筈です。此散されし信者等はユダヤにもサマリアにも參りました。丁度一章八節の順序に段々從って居ります。八章の終の方にエテオピア人が救はれますから、福音が段々地の極に迄參ります。
巢雛の敎育
『使徒等の外は』。然うですから使徒等はヱルサレムに止りました。其處は危い處であります。迫害の時ですからどんな事が起るか解りません。然れ共使徒等は大膽に其處に止りました。
又他の點から見ますれば、是は傳道の爲によい事でありました。散された基督信者は、今から最早使徒等に依り賴む事が出來ません。他の處に散されて、是から唯神のみに賴らなければなりません。今迄ヱルサレムに於て使徒等より敎を受け、自然に使徒等に依り頼みましたが、是は神の旨に適はない事でありました。然うですから神は段々信者等を導いて、神の旨に適ふ者となさんとて、彼等を寂しい處に導き給ひました。申命記卅二章十一節、十二節を御覽なさい。『鵰のその巢雛を喚起しその子の上に翺翔ごとくヱホバその羽を展て彼らを載せその翼をもてこれを負たまへり ヱホバは只獨にてかれらを導きたまへり』。今迄此信者等は安らかに巢の中に生涯を暮しましたが、今神は此巢雛に飛ぶ事を敎へんとし給ひますから、巢を毀して寂しい處に導き給ひます。其によりて巢雛は力を得て、信仰に就て敎へられます。是は大に大切な事であります。或信者は何時迄も雛のやうに巢の中に止ります。然うですから信仰の生涯即ち飛ぶ事を學びません。神は此ヱルサレムの信者等に迫害によりて飛ぶ事を敎へ給ひました。
惡魔の傳道者としてのサウロの播種
『敬虔ある人々』。是は基督信者ではありませんが、神を敬ふ人々です。然ういふ人々はステパノに同情して『ステパノを葬り』ました。是は粗末な葬式ではありません。慇懃な葬式を致しました。『之が爲に大なる哭泣をなせり』とあります。
併しサウロは其時どう致しましたか。彼はステパノによりて明かな光を認めました。ステパノから靈の光によりて照された舊約全書の講義を聞き、又ステパノの顏に神の榮光を認めました。然うですから彼は悔改めましたでせうか。否、尚心を頑固にして迫害しました。『サウロは敎會を殘害して此處彼處の家にいり男女を曳出して之を獄に付せり』。廿章の廿節を見ますと、後にも此人は家々に入りましたが、其時は人々を救はんが爲でありました(廿・廿及卅一參照)。然れ共今此八章の始に於ては、熱心なる惡魔の傳道者として家々に入り、訪問傳道をしました。後には主イエスの爲に熱心に訪問しましたが、今此時には惡魔の爲に訪問しました。サウロは今播きました種に從って、後に收穫れました。哥林多後書十一章廿三節を御覽なさい。『鞭たれし事彼等より夥しく』。サウロは基督信者を鞭ちましたから、後に自分も鞭たれました。『獄に入れらるゝこと多く』。サウロは基督信者を獄に入れましたから、後に自分も獄に入れられました。『死に遭こと屢々なり』。サウロは又基督信者を死に導きましたから、後に自分が死に遇はねばなりませなんだ。又其廿五節には『石にて擊れ』とありますが、彼は前にステパノを石で擊殺す事に賛成しましたから、今自分が石にて擊たれました。其やうに播いた種に從って收穫れました。
福音の擴張と其力
此八章は格別に其事の話であります。又其時に何を宣傳へましたか、何卒其に就て五の引照を御覽なさい。(一)四節に『福音を』宣傳へました(英語譯には『神の言(the word)を』とあります)。(二)五節の終に『キリストの事を』示しました。(三)十二節に『神の國およびイエス、キリストの名につきて』宣傳へる事があります。(四)廿五節に『主の道』を證したとあります。又其節の終にも『福音』を傳へたとあります。(五)卅五節の終に『イエスの福音』を宣傳へました。私共は其やうに、喜の音信をも、神の與へ給ふキリストの事をも、又神の國の事をも、又キリストの言、キリストの招きをも、即ち主イエスに屬ける福音を宣傳へなければなりません。
是は大膽の事であります。今迄此弟子等は唯ユダヤに福音を宣傳へました。又猶太人はサマリア人に就てどう考へて居ましたかならば、サマリア人は神に捨てられた者ですから、必ず神の惠を得られないと思ひました。然れ共ピリポは神の愛に感じ、又福音の靈を得て、此捨られし者にも福音を宣傳へたう厶いました。是は信仰の働であります。段々神はサマリアにも福音を宣傳へさせ給ひます。又此章の終に於て、地の極に至る迄福音を宣傳へさせ給ひました。此樣に神の計畫は段々廣くなりました。又神の旨を知れる人々は、聖旨に從って大膽に廣く傳道いたしました。
又使徒行傳を見ますれば、神は唯其樣な傳道の記事許りを記さしめ給ひました事が解ります。平生の安らかなる傳道を書かせ給はず、新しい處に進擊して行って傳道する、侵略的傳道丈けを書かせ給ひました。神は其樣な働を喜び、格別に其樣な働を私共の手本となし給ひます。
神は第一にサマリアに、次にエテオピア人に福音を宣傳へさせ給ひました。弟子等が始めにサマリア人に傳道した事は、地の極に迄傳道する爲の飛石でありました。エテオピア人に傳道する等の事は、餘り突飛な話でありますから、神は先づサマリア人に傳道を試みさせて、其によりてエテオピア人に傳道せしめ給ひました。即ちサマリア傳道は異邦人傳道の爲の一の踏石でありました。神は斯樣に私共に傳道の大膽を勵まし給ひたう厶います。又六かしい傳道を爲さしむる爲に勵まし給ひます。又近い處の傳道を踏石として、六つかしい、遠い處の傳道をなさしめ給ひます。ヱルサレムの傳道も、サマリアの傳道も、六つかしい働であったに相違ありません。サマリア人は今迄六百年の間彼處に居りましたが、ユダヤ人は彼等を導きませんでした。自分の受けし惠を分與ふる事を致しませんでした。併し今基督信者が福音をサマリアに入れまして、彼等によりて神はサマリア人にも其喜を分與へしめ給ひます。
神はピリポの大膽に報いて、サマリアに大リバイバルを起し給ひました。六節を見ますと、其地の人々は耳を傾けて福音を受入れました。其結果は七節にあるやうに、鬼に憑れたる人々も救はれ、又永い間苦める病人も癒され、又第三に八節にあるやうに大なる喜悅がありました。福音の爲に其やうに神は惡魔の工を毀ち、惡魔の手より罪人を救出し、又其人々に大なる喜悅を與へ給ひました。喜悅は福音が必ず結ぶ大なる結果であります。
惡魔の陣營に進擊す
外部から見ますれば、其時にサマリアに福音を宣傳へるのは適當でないと思はれました。九節を見ますと、魔術が盛んに行はれて居りまして、シモンといふ人は大に惡魔の爲に力を盡し、又其人によりて不思議な事が多く起って居りました。其樣な時に其處に行って福音を傳へる事は、餘りよくない樣に思はれたかも知れません。ヱルサレム敎會の傳道委員は、或は其を決議したかも知れません。然れ共神は一人の傳道者を導いて、進擊的傳道に遣はし給ひました。ピリポは其時に、其六つかしい時に、其惡魔の盛んに活動して居る時に、サマリアに行って福音を宣傳へました。是は丁度撒母耳前書十四章一節より十四節迄の、大膽な働と同じ事でありました。『其時サウルの子ヨナタン武器を執る若者にいひけるは いざ對面にあるペリシテ人の先陣に涉りゆかんと 然ど其父には告ざりき』(一節)。父に相談しましたならば、或は妨げられたかも知れません。然れ共ヨナタンはピリポと同じ心を以て、是非此ペリシテ人の先陣を取らねばならぬと思ひました。然うですから十三節を見ますれば、『ヨナタン攀のぼり』、即ち祈禱の儘に登りました。『ペリシテ人ヨナタンのまへに仆る 武器をとる者も後にしたがひて之をころす』。神は此時共に働き給ひました。十五節に『しかして野にある陣のものおよび凡ての民の中に戰慄おこり 先陣の人および劫掠人もまたをのゝき地ふるひ動けり 是は神よりの戰慄なりき』。然うですから神が大勝利を與へ給ふたのであります。是は丁度使徒行傳八章と同じ話でありました。ピリポは此處で一人でペリシテ人の先陣を攻めに參りました。又神は彼處にある人々の心を動かし給ひました。
遂に十三節に於て、シモンも悔改めました。『シモンも亦信じてバプテスマをうけ常にピリポと偕に在て彼が行ふ所の奇なる跡と休徵を見て駭けり』。此人は眞正に更生ったと思ひます。眞心を以て悔改めたに相違ありません。又福音を受納れました。是は福音の大勝利でありました。後に此人は失敗しましたけれ共、此時には眞心から主イエス・キリストを信じたと思ひます。
天より火を下す使者
十四節を見ますと、ヱルサレムに居る弟子等が此働に同情を表はし、ピリポの働を助けたう厶いましたから、二人を彼處に遣はしました。是は使徒等の大膽なる信仰と、眞の愛を表はした事であります。一體團體が出來て居る場合に、其團體を代表する委員として大膽なる行動を取る事は、一個人として行動を取る事よりも困難でありますが、此二人はヱルサレム敎會を代表する委員として、大膽な行動を取りました。私共も臆病を捨てゝ、神の聖聲を聞いて、大膽に前に進まなければなりません。
此使徒等は此働に同情を表し、又格別に新しく出來た信者に聖靈を得させたう厶いました。此サマリアの信者は眞正に救はれました者、明かに更生った者でありました。然れ共ペンテコステの聖靈を受けませんならば、堕落するかも知れません。然うですから一番大切な事は、ペンテコステの聖靈を受しむる事であります。二人は其爲に遣されて參ったのであります。路加傳九章五十四節を見ますと、ヤコブとヨハネはサマリア人の上に、天より火を呼下したう厶いました。今ペテロとヨハネは其サマリアに下りまして、天よりの靈の火を呼下しました。又靈はヱルサレムの信者等に下り給ひました如く、今喜んで此サマリア人にも下り給ひました。多分使徒等は其を見て驚きましたでせう。聖靈が丁度ペンテコステの通りに、サマリア人の上にも下った事を見ました。又今祈禱が急に答へられました。初のペンテコステの日には、十日の間聖靈を俟望まねばなりませんでしたが、今は聖靈は急に祈禱に答へ給ふて、急にサマリア人に下り給ひました。
聖靈を求めても得ざる者
十八節に於てシモンは、信者が聖靈を與へられた事を見ました。聖靈が下り給ひました爲に、其信者等は大に變りました。多分其顏も變り、又多分其祈禱も變って能力ある祈禱となり、又多分心から神に感謝しましたらうから、シモンは明かに其急な變化を見まして、自分も他の人々に聖靈を與へる力を熱心に願ひました。シモンは自分の爲に聖靈のバプテスマを願ひません。自分の爲に潔き心、又神と親しく交る事を願ひません。然れ共他の人々に惠を分與ふる力を願ひました。是はシモンの大なる罪でありました。私共は最早聖靈のバプテスマを得て潔められましたならば、他の人々に其を分與ふる力を求むる事は自然の事で、是は神の聖旨に適ふ事であります。然れ共未だ自分は潔められぬ儘で、他の人に聖潔を與へ又惠を與ふる力を求むる事は、大なる罪であります。是はパリサイ人の心であります。馬太傳廿三章三節を御覽なさい。『蓋かれらは言のみにして行はざれば也』、是は僞善者であります。私共は自分が神の聖潔を得ずして、他の人々に其を宣傳へますれば、又他の人々に其を分與へたう厶いますならば、私共も詛はれしパリサイ人のやうな者であります。是はシモンの罪でありました。
シモンの祈禱はよい祈禱でありました。『此權を我にも予よ』。是は立派な祈禱です。潔き者の祈るべき祈禱であります。然れ共其力を求むる方法によりて、自分の汚れた心を示しました。シモンが此惠を求めました其仕方を見ますれば、明かに彼の心がどれ丈け汚れて居るかを表はして居ります。ペテロは其仕方によりて、彼の心を知りました。もし其立派な祈禱によりてシモンを判斷しましたならば、大に誤ったでせうけれ共、其仕方によりて明かに其心を知りましたから、廿二節に悔改めよと命じました。此處に大に學ぶべき事があります。どうぞ皆樣、此話によりて自分の心を御悟りなさい。私共は明かに神の救を經驗したものでありましても、又幾分か神の靈の働を見物した者でありましても、又聖靈を求むる爲に立派な祈禱を献げる者でありましても、心の中に『膽の苦にをり不義の繫に在』かも知れません。然ですから格別に聖靈の力を求めますれば、どうぞ深く自分の心を御探りなさい。而して第一に赤心を以て悔改めて、先づ自分の爲に神の聖潔を御求めなさい。第一に自分の爲に聖潔を求めますれば、第二に聖靈の力を求める事は正しい事であります。
使徒等は今サマリア人に道を宣傳へます。是は面白う厶います。ピリポが始に大膽に人に福音を傳へましたから、今使徒等がピリポの手本に傚ひ、ヱルサレムに歸る途中サマリアの諸邑に福音を傳へました。輕蔑せられし人々の間にも福音を宣傳へました。此使徒等は今眞の傳道者となりました。人種を區別せず、唯靈魂を愛して傳道する者となりました。使徒の位よりも傳道者の位は高う厶います。罪人を救ふ事は何よりも貴い事業であります。神は私共も斯樣に大膽に侵略的の傳道に出る事を願ひ給ひます。おおどうぞ神の召を蒙り、又其爲に靈を求めて、聖靈の大膽を以て輕蔑せられし人々にも、喜の音信を宣傳へたう厶います。
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