第十六 震動ふるひうごける祈禱會いのりくゎい



迫害のよっつ幸福さいはひなる結果

廿三、廿四節

 迫害によりてよっつ幸福さいはひなる結果がありました。第一は祈禱いのりの精神です。神に近づきたうございました。第二は新しい聖靈のバプテスマです。第三は愛の一致。第四は傳道の成功であります。このよっつ幸福さいはひなる結果がありますれば迫害は恐ろしいものではありません。又この結果によりて神はすべてを統治をさめ給ふ事が明らかにわかります。人間は此世このよける力をもって、全く傳道を消したうございますけれども、かへっそのいかりによって神は尚々なほなほ能力ちからと祝福を加へ給ひます。

信者のつどひの空氣

 『かれらゆるされてその友のもとにゆき』。これうるはしうございましたでせう。今迄いまゝで猶太人ユダヤじん宗敎會議サンヒドリムの空氣を吸ってましたが、今基督キリスト信者のうちに全く違った空氣を吸ふ事を得ました。愛の空氣、感謝祈禱いのりの空氣、かういふうるはしい事を經驗しました。多分これ祈禱會いのりくゎいの半ばでありました。祈禱會いのりくゎいは感謝會にかはりました。今迄いまゝで使徒等しとたち此世このよける有司等つかさたちの前に立ってりましたが、今その人々の前を去りて天地の王の御前みまへひざまづいて祈りました。其時そのとき詩篇四十六篇を歌ふ事は適當でありましたでせう。『神はわれらの避所さけどころまた力』、『なやめるときのいとちかきたすけ』であると經驗しました。又その三節の如く人々は『なりとゞろきて』騒ぎましたけれども其時そのときにも靜かに流れてる神の喜樂よろこび平安やすきの『かはあり』と經驗しました。うですから今十節の通りに、神の神たる事を知る事を得ました。

造主つくりぬしなる神の力

 彼等は神の力を握って祈る事を始めました。神の聖名みな依賴よりたのみて祈りました。格別にこの二十四節に神の御名前おなまへを見ます。『しゅなんぢは天と地と海と其中そのなか萬物あらゆるものつくりたまひし神なり』。この造主つくりぬしちかづく事を得ました。萬物あらゆるものを造り、萬物あらゆるものを支配し、萬物あらゆるものの上に力をって給ふ神を拜しました。私共わたくしども幾分いくぶんその信仰を失ったと思ひます。私共わたくしども私共わたくしどもあがなってくだすった神を信じます。又私共わたくしどもきよめ、又私共わたくしどもを祝福し給ふ神を信じます。れども割合に、天地萬物ばんぶつを造り給ふた造主つくりぬしなる神を信ずる信仰が薄うございます。れども造主つくりぬしなる神をあふぎますれば、信仰が強められます。詩篇百廿一篇一、二節『われ山にむかひて目をあぐ わが扶助たすけはいづこよりきたるや わがたすけは天地あめつちをつくりたまへるヱホバよりきたる』。造主つくりぬしなる神は必ずこのちひさい者を守り又助け給ひます。又詩篇百四十六篇六節より御覽なさい。六節に『あめつちと海とそのなかにあるあらゆるものを造り とこしへに眞實まことをまもり』。かういふ能力ちからって給ひますから、必ず七、八、九節恩惠めぐみを與へ給ひます。その靈的意味を考へてこれを讀みますれば、おほいに信仰のたすけとなります。これは天地萬物を造り給ふた神の恩惠めぐみであります。

 又以賽亞書イザヤしょ四十二章五節六節『天をつくりてこれをのべ、地とそのうへの產物なりいでものとをひらき、そのうへのたみいきをあたへ、そのなかをあゆむものにれいをあたへたまふ神ヱホバかくいひ給ふ いはく、われヱホバ公義たゞしきをもてなんぢをめしたり われなんぢの手をとりなんぢをまもり、なんぢをたみの契約とし異邦人ことくにびとのひかりとなし』。私共わたくしども祈禱いのりもって、神が造主つくりぬしたる神であると認める事を求めなければなりません。しゅイエス・キリストも、かういふ名をもって神に祈り給ひました。馬太傳マタイでん十一章廿五節そのとき』。これ矢張やはり人々が頑固かたくなにして聖言みことばを聞かなんだ時でありました。『そのときイエスこたへいひけるは 天地てんちしゅなる父よ』。私共わたくしどもこのことばあぢはひまして、强き信仰をもって神の御能力みちから待望まちのぞみたうございます。

 ペテロは今造主つくりぬしなる神に自分を委ねました。のちに彼が信者に書翰てがみを送りました時に、矢張やはり同じ事を勸めました。『是故このゆゑに神のむねしたがひてくるしみあふものは善を行ひてその靈魂たましひを信ずべき造物者ざうぶつしゃまかすべし』(彼前ペテロぜん四・十九)。

戰爭に於ける大膽だいたん

廿五〜廿八節

 弟子等でしたち此處こゝで舊約全書のことばを借りて祈りました。それ依賴よりたのんで祈りました。今神は詩篇二篇の通りに働き給ふ事を信じました。又今は戰爭の時であると深く感じました。私共わたくしどもそれを深く感じなければなりません。一方において神及びキリストがいまし給ひます。の一方には此世このよにつける人々が、此世このよける能力ちからもって戰ひます。この詩篇二篇たゝかひの時のでありますが、この詩篇によりて神は人間の力と人間の迫害を嘲り笑ひ給ひます。神はだ何もなし給はず、御力みちからあらはし給ひません時にも、天のくらゐに坐して笑って給ひました。この神と共に働く者は、神と共に信じて迫害の時にも笑ふ事が出來ます。その信仰の原因もとなんでありますといふに、六節に神はその王たるしゅイエスを立て給ひましたから、必ず神は御自分が立て給ふた王のかたきほろぼし給ひます。又必ずこの八節のやうに、しゅイエスの國がひろめられまして、地のはてまで及びます。弟子等でしたちこの詩篇二篇を信じて、今迫害が無くなる事を願はず、大膽だいたんたゝかひる事が出來るやうに願ひました。又巧みに聖靈のつるぎを用ふる事が出來るやうに願ひました(卅節=英譯では廿九節)。以弗所書エペソしょ六章十九節おいて、たゝかひの時はゞからずして福音の奥義おくぎ大膽だいたんに傳へる事が必要である事を見ます。腓立比書ピリピしょ一章廿節にも『臆せず』とあります(英譯は以上みつの引照共大膽だいたん(boldness))。私共わたくしどももかういふ大膽だいたんを願はねばなりません。

震動ふるひうごかし給ふ神の能力ちから

廿九〜三十一節

 弟子等でしたちは自分の利益、又は自分の幸福さいはひ、又は自分の安逸を全く捨てまして、たゞ神の榮光さかえあらはれる事を願ひました。神は必ずかういふ祈禱いのりに答へ給ひます。今神は御自分が全地の王である事を示して、そのあつまれるところふるひ動かしめ給ひました。これ造主つくりぬしかな祈禱いのりの答であります。詩篇百十四篇一節より七節までを御覽なさい。神は今集會あつまり震動ふるひうごかしめ給ひました事によりて、此樣このやうに必ず聖前みまへすべての物がふるひ動く事、又必ず反對者が退しりぞく事を示し給ひました。詩篇九十七篇四節にも『ヱホバのいなびかりは世界をてらす 地はこれを見てふるへり』とあります。今神は弟子等でしたちに、御自分は詩篇九十七篇の神で、其樣そのやう榮光さかえ能力ちからとをって給ふ事を示し給ひます。又哈基書ハガイしょ二章六、七節をも御覽なさい。『萬軍ばんぐんのヱホバかくいひたまふ いま一度ひとたびしばらくありてわれ天と地と海とくがとを震動ふるはん 又われ萬國ばんこく震動ふるはん、また萬國ばんこくの願ふところのものきたらん』。すなはちキリストと、キリストの國が參ります。神はまだそれを成就し給ひませんけれども、必ず未來においてもその通りに全地を震動ふるひうごかしめ給ひます。今祈禱いのりの時に、そのあつまれるところ震動ふるひうごかし給ひました事によりて、御自分が未來の審判主さばきぬしである神たる事を示し給ひます。未來においすべての人の心を恐れしめ給ふ神が、その祈禱いのりを聞き給ふ事を、明らかに示します。又以賽亞書イザヤしょ六十四章一節二節を御覽なさい。『ねがはくはなんぢ天をさきてくだり給へ、なんぢのみまへに山々ふるひ動かんことを 火の柴をもやし火の水をわかすがごとくしてくだりたまへ、かくてみなをなんぢの敵にあらはし、もろもろの國をなんぢのみまへに戰慄ふるひをのゝかしめたまへ』。神はこの時の祈禱いのりの答によりて、御自分がその敵にみなあらはす事が出來る事を示し給ひました。私共わたくしども私共わたくしどもの周圍にある人々の心が、動かされるやうに願ひますなれば、この能力ちからある神に祈らなければなりません。詩篇十八篇を御覽なさい。この篇はじつうるはしい祈禱いのりついをしへを見ますが、その四節五節を御覽なさい。『死のつなわれをめぐり惡のみなぎるながれわれをおそれしめたり 陰間よみのなはわれをかこみ死のわなわれにたちむかへり』。これ患難なやみる者の祈禱いのりでありますが、六節を見ますれば、神は其樣そのやうな人の祈禱いのりを聽き、七節おいその祈禱いのりに答へんがために、御自分の力を延ばし、天地を動かしめ給ひます。『われ窮苦なやみのうちにありてヱホバをよび又わが神にさけびたり ヱホバその宮よりわが聲をきゝたまふ そのみまへにてわがよびし聲はその耳にいれり このときヱホバいかりたまひたれば地はふるひうごき山のもとゐはゆるぎうごきたり』(六、七)。この祈禱者いのりてそれを見ませなんだけれどもつひ十六、十七節おいその祈禱いのりの答を經驗しました。『ヱホバはたかきより手をのべわれをとりて大水おほみづよりひきあげ わがつよきあたとわれを憎むものとよりわれをたすけいだしたまへり』。私共わたくしどもは信仰の祈禱いのりを献げる時に、見えぬところおいて天地が動かされるかも知れません。私共わたくしども祈禱いのりが答へられ、この地上においその驚くべき結果が表はれる前に、づ見えざる世界すなはち天において、驚くべき變動が起る事を、この詩篇において見ます。私共わたくしどもこれを認めて置かねばなりません。

人の心を動かすみっつの方法

 私共わたくしども祈禱會いのりくゎいの時にも、この弟子等でしたち祈禱會いのりくゎいの時のやうに神の榮光さかえあらはれるはずであります。此處こゝでは祈禱いのりによりてふるひ動きます。使徒行傳十六章廿五、廿六節を見ますれば、感謝によりてふるひ動きます。又以西結書エゼキエルしょ卅七章七節では、說敎によりてふるひ動きます。このつの方法によりて、人の心を動かしてリバイバルを起すはずであります。

燃立もえたほのほの如き愛

 この弟子等でしたちは迫害せられましても、心のうち燃立もえたほのほのやうな熱心をってりました。又其許そればかりでなく、卅二節を見ますれば、人間に對しても燃立もえたほのほのやうな愛をってりました。神に對しても消すべからざる熱心と愛をち、又人に對しても消すべからざる愛をってりました。うですから三十三節のやうに、おほいなる力ってりました。又同じ節おほいなる恩惠めぐみを蒙りました。又其爲そのため五章十一節に人々におほいなるおそれが起りました。

 今迄いまゝで使徒行傳にりて、聖靈に滿みたされし者が能力ちからある事を學びました。此處こゝで聖靈に滿みたされました者は、能力ちからある祈禱いのりを献げる事を學びました。どうぞ祈禱いのりによりてふるひ動かす力をために、聖靈を御求めなさい。

ペンテコステの祈禱會いのりくゎいの順序

 この四章をはりに、ペンテコステの祈禱會いのりくゎいの記事があります。今槪略あらましペンテコステの祈禱會いのりくゎいの順序について見たうございます。第一、心をあはせる事(廿四節)。第二、神の存在とその御力みちからに依り賴む事(同節、又希伯來書ヘブライしょ十一章六節を參照)。第三、聖書のことばを引く事(廿五節)。第四、このたゝかひが自分のものでなく、神のたゝかひであると知る事(廿六節)。第五、神はそのくはだて給ひし事を必ず成就し給ふと信ずる事(廿八節あらかじめ定め』)。第六、あきらかなるあかしをするため大膽だいたんを願ふ事(卅節)。第七、神はイエスの名に榮光さかえし給ふ事を願ふ事(同節)。神はかういふ祈禱會いのりくゎいに、必ず新しきペンテコステを與へ給ひます。

神のことば

卅一節

 『神のことば』。舊約全書においても、新約全書においても、度々たびたびこのことばを讀みます。福音は神のことばであります。うですから嚴肅にそれ宣傳のべつたへなければなりません。それ宣傳のべつたへますれば、必ず以弗所書エペソしょ六章十七節のやうに、聖言みことばつるぎとなります。『聖靈のつるぎすなはち神のことばとり』。又これには生命いのちがありますから、必ず路加傳ルカでん八章十一節の通りにを結びます。『たねは神のことばなり』。うですから、私共わたくしどもが說敎する事は、聖靈のつるぎを使ふ事です。又他方より見れば、いけたねく事であります。

 使徒行傳において神のことばついて書いてあるところを御覽なさい。六・二八・十四十一・一十二・廿四十三・五四十四四十六十七・十三十九・二十(原語ではこれも神のことばです)。



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