第二十九 續ける大戰爭



成功と迫害

第 十 四 章

一節

 イコニオムはアンテオケから四十里くらゐ離れた所であります。又その國は當時ひらけてらず、道は大變惡うございましたから、多分その四十里の道程みちのりに六日間ほどかゝったと思ひます。六日間この山路やまみちを步いて、ほとんど休むところもありませなんだ。此邊このへんは山賊のところでありましたから、おほいなる困難の旅行でありました。どもパウロは福音のために、喜んで其處そこに旅して參りました。

 このみちを傳へ……多く信ぜしめたり』ということばは、英語ではおほくの人が信ずる事が出來た程に宣傳のべつたへたといふ意味で、すなはちもし此時このときこの二人が聖靈の智慧を用ひずして、福音を宣傳のべつたへましたならば、多分信ずる者が起らなかったでせうが、聖靈の智慧とそのたくみもっ宣傳のべつたへましたから、其爲そのためおほくの人が信じたのであります。私共わたくしどもこれによって敎へられなければならぬ事は、福音さへ宣傳のべつたへれば、どんなことばを用ひても、どんな事を語っても構はないと思ふてはなりません。聖靈の智慧に從ひ、そのわざもっむかふの人の心に當嵌あてはまことばもっ宣傳のべつたへなければなりません。醫者が病人を診察する時に、心のうちにどのくらゐ心配がありませうか。その人を療治れうぢして成功しますれば、その人の生命いのちを救ふ事が出來ますから、氣を附けて藥をこしらへ、いろいろの方法を盡して療治れうぢを致します。傳道者もその通りに、どうかして適當なことば、適當な使命を宣傳のべつたへる事が出來るやうに、始終しゞう心を用ひなければなりません。罪人つみびとは死に近づいて參りますから、どうしてその心を引き、その人を救ふ事が出來るかといふ事は、おほいに心を用ひなければならぬ事であります。うですから私共わたくしども傳道者は、何時いつでも祈禱いのりもって說敎の準備をします。訪問に出懸でかける時にも、祈禱いのりもっその人に適當な聖書のことばや、又話すべき事を示されん事を求めなければなりません。傳道之書でんだうのしょ十二章九節『また傳道者は智慧あるがゆゑつねに知識をたみをしへたり 彼は心をもちひて尋ねきは許多あまたの箴言を作れり 傳道者はつとめ佳美うるはし言詞ことばを求めたり そのかきしるしたる者は正直たゞしくして眞實まこと言語ことばなり 智者の言語ことば刺鞭とげむちのごとく會衆の師のうちたるくぎのごとくにして一人の牧者よりいでし者なり』(九〜十一)。眞正ほんたうの傳道者はこのやうに、適當なる知識とことばを神に求めます。以賽亞書イザヤしょ五十章四節しゅヱホバはをしへをうけしものゝ舌をわれにあたへことばをもて疲れたるものを扶支たすけさゝふることを知得しりえしめたまふ』。またそのために何をなし給ひますかならば『朝ごとにさましわが耳をさましてをしへをうけし者のごとくきくことを得しめたまふ』。うですから人を救ひたい人は、斷えず適當なることば、適當なるたとへ、適當なる箴言を神に求めます。

二節

 此時このときおほくの人が信じましたが、もう一度猶太人ユダヤびとために迫害が起りました。れども

三節

の英語のやくを見ますと、其爲そのために(therefore)すなはその迫害があったために、彼等は久しく彼處かしことゞま大膽だいたんに福音を宣傳のべつたへました。迫害がありましても、福音の門戸は開かれたと思ひましたから、久しく其處そことゞまり、しゅに賴ってはゞからずみちを傳へましたが、しゅは彼等と共に働いて、彼等を助け給ひました。丁度ちゃうど馬可傳マコでん十六章廿節にある通りでありました。『弟子たちあまねく福音を宣傳のべつたしゅまたかれらに力をあはせ』。これ幸福さいはひであります。弟子等でしたちが福音を宣傳のべつたへる時に、しゅは天より力をあはせ給ひました。希伯來書ヘブルしょ二章四節『神もまたその聖旨みこゝろしたがひて休徵しるし奇跡ことなるわざおよび萬殊さまざま異能ちからのわざ分予わかちあたふる所の聖靈をて彼等とともあかしせり』。私共わたくしども大膽だいたんに、迫害に頓着とんぢゃくせずしてあかし致しますれば、必ずこのやうに神は一緖にあかしし給ひます。

 うですからこの町の人々は、前に讀みましたやうに、この二人によりて動かされました。

四節

 十三章四十四、四十五節のやうな結果がもう一度あらはれました。どうぞ私共わたくしどももかういふ力を得たうございます。し子供が空氣銃をもっ其處等そこらを打ちましても、たゞ近所の人がそのおとを聞くだけで、それを聞いてもなんとも思ひません。れども獨逸軍ドイツぐんが十何インチもあるおほいなる大砲の彈丸たまこの町に打ちましたらどうでせう。町中まちぢうの人がそれを聞いて、驚き狼狽あわてませう。私共わたくしども今迄いまゝでの傳道は、丁度ちゃうどその子供の空氣銃のやうな傳道ではありませんでしたらうか。パウロの傳道はその大砲のやうな傳道でありました。此處こゝにあるやうに、まことの傳道はその町中まちぢうの人々を動かすはずであります。しかるに私共わたくしどもの傳道によりて、この神戶のうちのどれけの人々が動かされましたらうか。どうぞ神に祈って、このやうな傳道の力を求めたうございます。

 この二人は斯樣かやうおほいなるたゝかひをなしました。十三章及び十四章を見ますと、おほいなるたゝかひの起った事を見ます。彼等は眞正ほんたうたゝかひる心をもって參りまして、惡魔と罪に對して戰ひました。神に依賴よりたのんで、如何どんな迫害がありましても、大膽だいたんに進んで傳道致しました。どうぞ私共わたくしどもこのやうに、聖靈の火を得たうございます。

五節

 うですからこの町は眞正ほんたうに動かされて、だれも皆福音を聞きましたが、しかし福音を聞いた異邦人がことごとそのめぐみ音信おとづれ受入うけいれたのではありません。猶太人ユダヤびとそれを拒みましたやうに、多くの異邦人もそれを拒み、かへっその使者つかひを殺さうと思ひました。うですから一方には福音によって愛とよろこびが起りますが、うでなければ一方にはねたみ憎にくみが起って參ります。この人々は其爲そのために、殘酷にこの使徒等しとたち取扱とりあつかひたうございました。

六、七節

 し人々が福音を受入うけいれなければ、ほかところって宣傳のべつたへよといふ、しゅイエスの命令に從って、この人々は今ルカオニヤの方に參りました。この地方はまこと野蠻やばんな所であって、少しも開けず、其處そこく事は危險の事でありました。れどもこの二人は、キリストの愛に勵まされて其處そこき、生命いのちを賭けて福音を傳へました。この人々は今迄いまゝで福音を傳ふる事のために、迫害せられてくるしめられましたから、かういふ野蠻人のうちおいては、かへって休む方がよいではないかと思はれますが、しかこの二人は休む事が出來ず、其處そこおいても福音を宣傳のべつたへました。たゞルステラ、デルベのやうな町ばかりでなく、その周圍まはりの地に至るまで福音を傳へました。すなはち町をでゝ村々をもまはり、あるひは家々を尋ねてしゅイエスを傳へました。

 テモテは此邊このへんの信者でありました。十六章一節を見ますと、『かくてパウロはデルベおよびルステラに至れり』、すなはち再びその地方に參りました。『こゝにテモテといへる弟子あり』、うですからあるひは今此時このときにテモテが悔改くいあらためたのかも知れません。また二十章四節を見ますと、ほかにも此時このときから忠實にパウロに從った信者が起った事を見ます。『彼とともにアジアまでいたりし者は……デルベのガヨスとテモテ』。すなはちガヨスはこのデルベの人でありましたから、多分今此時このときの傳道によりて救はれた人と思はれます。

あしなへいやさる

八、九節

 この十四章にはイコニオム、ルステラ、デルベの傳道が書いてありますが、今この八節以下の一段においてルステラにおいて、しゅの力ある御業みわざの起った事が書いてあります。

 九節の『きゝをりしが』といふことばの原語を見ますれば、集會あつまりごと度々たびたび來てパウロの說敎を聞いた事をあらはします。

 『パウロ目をとめて』。パウロの目の力がもう一度記されてあります。その人の顏の色によりて、幾分かその人の心がわかりました。さうして又いやさるべき信仰のある事をも視ました。多分パウロはいやしの事について說敎しませなんだけれども、この人はしゅイエスが其樣そんな力ある救主すくひぬしであれば、このわたくし身體からだをもいやし給ふ事が出來るというおもひが、起った事と思ひます。度々たびたびかういふ事があります。今迄いまゝで神を知らなかった人にても、救主すくひぬしの事を聞いて、その心のうちにこんなかんがへ、こんな信仰が起る事があります。又其時そのときその傳道者の心のうちに信仰がありますれば、神はその祈禱いのりによってその人をいやし給ひます。その人がだ洗禮を受けませんでも、又福音の知識が淺うございましても、神はその人の信仰に從って、身體からだいやしをさへも與へ給ひます。

十節

 うですから彼はほかの人が聞かないやうな靜かな聲で、此事このことを致しません。大聲でたてよと命じました。これは信仰の命令であります。パウロは惡魔に對してその力を打破うちやぶる事が出來るといふ、信仰をってりましたから、今この人を惡魔の手より救ふ事が出來ると思ひました。又彼にはしゅイエスに對して信仰がありましたから、今しゅイエスの聖言みことばに從って、此樣このやうに信仰の命令を與へました。

 此時このときこのあしなへは早速いやされ、又早速ゆたかなる生命いのちと力を得ましたから、踊る事を得ました。喜悅よろこびの餘り踊上おどりあがりて步みました。原語を見ますと、『踊上おどりあがりて』と云ふのは一度いちどの事で、其時そのときから力をもって、疲れずに步く事を得たのです。すなはち躍りあがった事は一度いちどの信仰のはたらきで、步むとはそれから引續ひきつゞいての信仰のはたらきであります。神のすくひ今迄いまゝで決して出來なかった事をも、出來るやうに致します。私共わたくしども傳道者は罪人つみびとに對して、何時いつでもかういふ信仰をってはずであります。罪人つみびとは罪のために弱うございます。たゞしあゆみをなす事も、人を助ける事も出來ません。れども救はれますれば、今迄いまゝで出來なかった事が出來るやうになります。性來うまれつきあしなへたる者が踊る事を得、又靜かに步む事をも得ました。

パウロ祭られんとす

十一、十二節

 福音をきゝ、又その力に驚かされた人々が、このやうに傳道者を敬ふのは、これは普通の事であります。十章廿五節にも同じやうな事を見ます。『ペテロの入來いりきたれる時コルネリヲ彼を迎へその足下あしもとふしをがめり』。しかしペテロは斷然それを斷りました。又默示錄廿二章八節にも同じ事があります。『われヨハネ此等これらの事を見聞みきゝせり これ見聞みきゝせしときわれにこれらの事を示せる天使てんのつかひ足下あしもと俯伏ひれふして拜せんとければ』。れども天使てんのつかひそれを拒み、かへってヨハネをいましめました。私共わたくしどもの心のうちし肉にけるかんがへがありますれば、かういふ尊敬を喜んで受入うけいれます。これ度々たびたび傳道者が倒れる原因であります。聖靈の力をもって愛の福音を宣傳のべつたへましたから、人々がこれたふとび敬ふのは自然の事でありますが、其時そのときに神にさかえせずに、自分がその尊敬を受入うけいれますれば、それは丁度ちゃうど十二章廿二、廿三節にあった事と同じ事であります。これは恐ろしい罪であります。『たみ聲をあげていひけるは は神の聲なり 人の聲にあらず ヘロデさかえを神にせざるによりしゅ使者つかひたゞちに彼をうちしかば彼はむしためかまれて氣絕いきたゆ』。私共わたくしどもこの恐ろしい罪を逃れるために、說敎をしましたのちことに傳道に成功しましたならば、早速自分の密室に歸って、靜かにもう一度いちど神を求めなければなりません。傳道に出懸でかける時にも必ず祈らなければなりませんが、傳道より歸りました時にも、再び神の聖聲みこゑを求めなければなりません。聖靈に滿みたされた傳道者は、必ずこんな禮拜、こんな尊敬を斷然ことはります。又周圍まはりにある人々の愛と尊敬が此樣このやうにまでなれば、必ずその人々に忠告致します。

十三、十四節

 十一節を見ますと、人々はルカオニヤの方言はうげんで申しましたから、この二人には其事そのことわかりませなんだ。ゼウスの祭司が段々準備してた事をも、彼等は知りませなんだが、今そのわけを聞きましたから、走ってました。これは決して喜ぶべき事でなく、おほいかなしむべき事である事を思ふて、かなしみしるしとしてころもを裂いて走ってました。かういふ事は神の御名みなけがす恐ろしい罪でありますから、ころもを裂いてこれかなしみました。

パウロの說敎

十五節

 『我儕われらまたなんぢらと同情おなじじゃうをもつ所の人なり』ペテロは十章おいて同じ事をいひ、天使てんのつかひ默示錄廿二章おいて同じ事をいって、それを斷りました。肉にけるかんがへってる人ならば、かういふ事を受入うけいれて、それによりて人を導かうなどと思ひませうが、パウロは自分のために少しも榮光を願はず、たゞ神にのみ榮光をしたうございます。またこの人々の救はれる事を願ひますから、今此時このときに說敎しました。少しも神のことばを知らず、たゞ偶像を敬ってる人々に對して、熱心に神の事について說敎致します。

 この說敎の題はなんですかならば、『いける神』といふ題であります。パウロは平生すくひ宣傳のべつたへますが、此時このときにはすくひでなく、いける神にいて說敎しました。これこの時に應じた說敎でありました。私共わたくしどもある時には特別にいける神について力を入れて說かねばならぬ事もあります。この說敎にみっゝの項目があります。第一は神の力です。すなはち『天と地と海および其中そのなか萬物すべてのものを造り給へる』事を說きました(十五節)。國々に色々の神があるのではなく、天地萬物ばんぶつを造り給ふた神が、すべての物を支配し給ふ事を申しました。第二の項目は神の寬容です。すなは

十六節

神は今迄いまゝでの罪を見給ひますけれども、寬容をもっ罪人つみびと取扱とりあつかひ給ひました。どうかしてその罪人つみびと幸福さいはひに導かうと思ふて、久しく忍んで給ひました。第三は神の恩惠めぐみであります。すなは

十七節

そのめぐみ外部うはべしるしなんであるかならば、あるひ食物しょくもつあるひは天氣であります。神はかういふものを與へ給ひました。なんためかなれば、人を愛し給ひますから、人に恩惠めぐみあらはすためこれを與へ給ひました。例へば收穫かりいれの時などは格別に神の恩惠めぐみを知るべき時であります。

 パウロはこのみっゝの項目について說敎して、神に歸れよと悔改くいあらためを勸めました(十五節終)。神の力とめぐみと寬容はなんためですかならば、罪人つみびとを神に歸らしめんがためであります。

 パウロはこのやうにめぐみもって、神を知らぬ人々に神のみち宣傳のべつたへました。此時このときその罪については格別に申しません。のちに信者に對して、ほかの方面より同じ事を書いた事がありますが、其時そのときには罪を示しました。羅馬書ロマしょ一章廿節を御覽なさい。『それ人のみる事を得ざる神の永能かぎりなきちからその神性かみなることとは造られたる物により創世よのはじめより以來このかたさとり得てあきらかにみるべし』。ほかの默示がなくとも、この創造物つくられしものによりて神の力とめぐみを知るはずでした。『是故このゆゑに人々推諉いひのがるべきやうなし』。ルステラの人々も申譯まをしわけがありません。『既に神をしりなほこれを神と崇めずまたしゃする事をせずかへっその思念おもひみだそのおろかなる心蒙昧くらくなれり』。ルステラにる人々も、斯樣かやうに神を知る事をことはり、又其爲そのためそのおろかなる心は暗くなりました。『みづかさとしとなへて愚魯おろかなる者となり 朽壞くちはてざる神の榮光をかへ朽壞くちはつべき人およびとりけもの昆蟲はふものかたちに似す』(以上ロマしょ一・廿〜廿三)。これこの人々のまこと有樣ありさまでありました。ども今彼等は此事このことよりも、づ神のめぐみ宣傳のべつたへました。のち悔改くいあらためましてから、今迄いまゝでの罪のひどい有樣ありさまを示します。れども今此時このときには人々の心を引くために、かういふ事よりもづ神の恩惠めぐみ宣傳のべつたへます。

十八節

石にてたる

十九節

 パウロは舊約全書にあらはれてるヱホバを宣傳のべつたへ、偶像を敬ってる人々には偶像を捨てゝ、このけるヱホバを敬ふべきである事を說敎しました。これはヱホバを敬ふ猶太人ユダヤびとが喜ばねばならぬはずでありますが、おほく猶太人ユダヤびとは諸方より來て、パウロに反對しこれを殺さうと思ふて迫害致しました。

 石にてたれる事はひどい事で、これを受ければ當然死ぬるはずであります。パウロはその生涯のうち一度いちど石にてたれました。哥林多後書コリントこうしょ十一章廿五節その事をってります。石にてたれる事は、殘酷な事のうちで最も殘酷の事で、パウロは今このルステラで石にてたれた事を、何時迄いつまでも覺えてりました。私共わたくしどもいたたねを必ず收穫かりいれなければなりません。パウロは先に本心にさからって、ステパノが石にてたれる事に賛成しました。神はその罪を赦し給ひましたけれども、今パウロは先に自分がいたたね收穫かりいれを得て、自分もまた石にてたれました。

 れども神は其時そのときに確實な恩惠めぐみを彼に與へ給ひました。前にも申しましたやうに、迫害の時は特別に恩惠めぐみの時であります。此時このときに神は石にてたれし愛するしもべに、特別なる恩惠めぐみを與へ給ひました。すなは哥林多後書コリントこうしょ十二章二節以下に書いてある、彼が第三の天に携上たづさへあげられた經驗は、多分此時このときに經驗した事であります。此時このとき石にてたれてほとんど死んだ有樣ありさまた時に、天が開かれて神の御前おんまへました。『われキリストにある一人の者をしれり(これはパウロ自分の事であります) この人十四年さきに(これ丁度ちゃうどルステラに傳道した、今此時このときあたります)たづさへられて第三の天に至る あるひは肉體にありしかわれ知らず あるひは肉體のほかありしかしらず 神しり給ふ』。此時このときパウロは死んだのか、あるひは死んだのでないか、だれも知りません。ある人はこの使徒行傳十四章について、此時このとき一旦いったん死んだのですが、のちよみがへったと申します。パウロはそれを自分は知らぬと申します。『かれたづさへられて樂園パラダイスに至りいふべからざることばすなはち人の語るまじきことばきけり』(以上哥後コリントこうしょ十二・二〜四)。多分パウロは其時そのとき死人となって、こんなめぐみを經驗しましたでせう。かく新しく神の榮光を見る事を得ました。ステパノのやうに石にてたれ、ステパノのやうに神の榮光を見ました。おお私共わたくしども神のしもべ身體からだくるしみを恐るべきはずではありません。

 うですから八節から此處迄こゝまでを見ますと、サタンはふたつの方法をもっはたらきを妨げたうございました。第一は傳道者を高く上げる事によりて妨げたうございました。どもパウロは斷然それを拒んで、その試誘こゝろみ勝利かちを得ました。うですから第二にサタンは、神のしもべを苦しめる事によりて、そのはたらきを妨げたうございました、其爲そのために神のしもべを殺しでも致します。このふたつの事はいづれもあぶない事であります。私共わたくしどもは今格別にこの第一の方法によりて試みられます。今の時代には惡魔は神のしもべを殺さうとは餘り致しません。かへって傳道者を高く上げる事によりておとしいれたうございます。うですからどうぞ此事このことを常に覺え、人間のほまれを恐れて、惡魔の試誘こゝろみ勝利かちを得たうございます。

 此時このときに人々はパウロは『既にしにたりとおもまちの外に曳出ひきいだ』しました。賤しい死體でありますから、死にし犬の如く町の外に逐出おひだしました。又弟子等でしたちもパウロは最早死んだと思ひ、その愛する使徒の死體を葬るために參りまして、その周圍まはりに立ちました。其時そのときあるひは淚のうちにパウロのために感謝したかも知れません。所が弟子等でしたちその死體の周圍まはりに立ってる時に、驚くべき事が起りました。

二十節

 すなはちパウロは起きあがりました。死んでまちの外に曳出ひきいだされたパウロが目をさましてちました。弟子等でしたちおほいに喜びました。喜悅よろこびために神を讃美し、皆一緖に聲を揚げて感謝しましたでせう。これ眞正ほんたうに神の奇跡でありました。此時このときにパウロが眞正ほんたうに全く死んで仕舞ったのでありますれば、元よりこれおほいなる奇跡です。ども死んだのではなかったのでありましても、斯樣かやうに起きあがってみづから町まで步む事の出來たのは、これは必ず奇跡に相違さうゐありません。又その翌日あくるひあさ、十里の道をみづから步いて旅を致しましたが、これまことに奇跡ではありませんか。

第一傳道旅行のをはり

廿一、廿二節

 パウロは生命いのちけて熱心に福音を宣傳のべつたへ、又新しく神の榮光を見ましたから、なほ一層力と熱心をもっその福音を宣傳のべつたへ、『おほくの人を弟子となし』ました。

 さうしてルステラに返りました。先に其處そこで迫害を受け、殺されんとしましたが、其爲そのためなほ一層重荷を負ひ、又其處そこに迫害のうちる愛する信者等しんじゃたちにもう一度面會したうございましたから、もう一度生命いのちけてその地に歸ってきました。又イコニオム、アンテオケにも參りました。先にこの三ヶ處において迫害を受け、何處どこおいても殺されんとした所でありますが、大膽だいたん其處そこに歸って、弟子等でしたちの信仰を堅うしました。

二十三節

 この『えらび』といふ字は原語では敎會の選擧でえらばれる事をあらはします。

 此時このときにもう一度斷食して時をつひやして祈禱いのりをしました。もう一度祈禱いのりもって聖靈のくだらん事を願ひました。其處そこまった傳道者を置く事が出來ませんけれどもしゅ其處そこの羊を養ひ給ふ事を信じて、『しゅこれゆだね』ました。

廿四〜廿六節

 これはパウロの第一傳道旅行のをはりであります。この傳道旅行は多分五年間の旅行でありました。今十三章二節三節おいて命ぜられたはたらきをはりましたから、滿足をもって歸る事を得ました。どうか私共わたくしどもも命ぜられたはたらきをはったといふ滿足を得るまで、堪へ忍んで傳道者のわざをなしたうございます。ども最早命ぜられたはたらきをはったといふ確信がありますれば、どうか靜かに神の前に俟望まちのぞんで、新しいはたらきを御求めなさい。以西結書エゼキエルしょ一章十四節を御覽なさい。『その生物いきものはしりて電光いなびかりの如くに往來ゆきゝす』。この生物いきものとは聖靈に滿みたされた働人はたらきびとを指します。それ電光いなづまの如く神の命令を成就して、電光いなづまの如く神に歸ります。今この二人はその如く歸る事を得ました。

廿七、廿八節

 うですから神のほまれために、今迄いまゝでの傳道の事をいひあらはし、又信仰の門戶が開かれた事、神が喜んで異邦人を救ひ給ふ事、何處どこでも異邦人をひきつけ給ふ事を、アンテオケにある信者等しんじゃたちに話しました。



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