第七 聖靈きたり給ふ



一致和合より起る祝福

一節

 此處こゝふたつの考ふべき事があります。ひとつは神の日即ちすなはち神の定め給ふた日が參りました事です。其時迄そのときまで神の聖徒がその日を遠くから見て、それを喜びました。今その日が參りました。希伯來書ヘブライしょ十一章卅九節に『彼等は皆信仰により美名ほまれを得たれども約束の所を得ざりき』。その聖徒等せいとたちは神の御手おんてから樣々の恩惠めぐみを得ましたけれどもだ約束のものを得ませんでした。れども今はなほ一層まされるものを與へらるゝ時が參りました。私共わたくしどもこのさいはひな時代に生涯を暮してりますが、どうか希伯來書ヘブライしょ四章一節のやうに畏れたうございます。『是故このゆゑ我儕われら畏るべし その安息やすみにいる約束は今もなほのこれどもおそらくはまた爾曹なんぢらのうちこれおよばざるものあらん』。

 第二はその時に聖靈を受くる事が出來た事です。最早弟子等でしたち仕度したくをしました。又神の時が參りました。さうですからペンテコステが參りました。何處いつでもさうです。神のはう仕度したくが出來てると共に、人間の側にも仕度したくが出來れば、其爲そのためにペンテコステが與へられます。『弟子等でしたちみな心をあはせて一處ひとゝころありしに』。二ヶ月前に同じへやあつまりました時、あらそひが起りました、『また彼等のうちにてをさたる者はたれなるかとたがひあらそひありき』(ルカ廿二・廿四)。れども今そんなあらそひは最早ありません。そんなあらそひたねが全くなくなりました。たれも皆おのれひくくし、人をおのれまされりと思ひ、心をあはせて神の聖前みまへひざまづきました。かういふ一致和合があれば、神は必ず祝福を與へ給ひます。たゞ二三人ばかりでも其樣そのやうに心をひとつにする事が出來ますれば、馬太傳マタイでん十八章十八節のやうに、能力ちからある祈禱いのりを献げる事が出來ます。

 又詩篇百三十三篇を見ますれば、そんな親睦したしみのある時に、神は必ず祝福を與へ給ひます。その二節のやうに、最早天に昇り給ふた私共わたくしどもの祭司のをさに注がれたると同じみたまを、そのころもの裾にひざまづいてる人々にもそゝぎ給ひます。あるひはヘルモンのやうな一番高い山にくだし給ふた露を、同じやうにその周圍まはりにある小山こやまにもくだし給ひます。たゞはらからあひ睦みてりますならば、此樣このやう御子おんこに與へ給ひました恩惠めぐみ私共わたくしどもまでそゝぎ給ひます。又歷代史略下五章十三、十四節のやうに、私共わたくしどもが心をあはせますれば必ず其處そこに神の榮光があらはれます。

 この心をあはせる事は、約翰傳ヨハネでん十七章廿一、廿二節祈禱いのりこたへでありました。『我儕われらひとつなるが如く彼等もたがひひとつにならんためなり』(廿二節をはり)。ペンテコステの日に、この祈禱いのりのやうに皆一つになりましたから、神の榮光を頂戴する事を得ました。私共わたくしどもは聖靈を求めたうございますれば、第一にこの一致和合を求めねばなりません。八年ぜんウェールスにリバイバルのあった時、格別にこの事に氣を付けました。あるあつまった者が、一つになりませんでしたから、づ祈って祈って一致和合を願ひました。又その一致和合を妨げる者の悔改くいあらためを願ひました。例へば相互あひたがひあひだあらそひがありますならば、又はあひ赦す精神がありませんならば、その兄弟等きゃうだいたち悔改くいあらためを願ひました。これは正しき順序です。私共わたくしども一致和合が出來ますれば、必ず能力ちからもって神に祈る事が出來ます。又必ず聖霊の火がくだります。

にはか  に

二節

 『にはかに』。これはペンテコステのことばであります。聖書から聖靈の傾注そゝぎの例を引いて見ますと、何時いつでもにはかに與へられてります。馬拉基書マラキしょ三章一節に『忽然たちまち』といふ同じ意味のことばを見ます。しゅイエスは此世このよ給ふた時に、矢張やはり何時いつにはか祈禱いのりに答へ給ひました。めしひの目を開き、つんぼの耳を開き、病人をいやし、死人をよみがへらせ給ふ事は、何時いつでもにはかでありました。今は最早天に昇り給ひましたけれども、何時いつでもその通りに働き給ひます、さうですから今日けふも同じ事を見ます。神はにはかに聖靈を與へたまひます。段々だんだんその經驗に達するのではなくして、にはかその圓滿ゑんまんなる恩惠めぐみを頂戴致します。ある兄弟はにはかに新しい經驗を得たとあかしする事が出來ませんでも、矢張やはり聖靈に滿みたされてるものもありますが、大槪たいがいにはかに聖靈を受け、又それあかしする事が出來ます。

祈禱いのり答へられ、約束成遂なしとげらる

 『彼等がする所のいへに』。さうですからこの弟子等でしたちは皆して、靜肅しづかそれ待望まちのぞんでりました。聲を揚げて祈禱いのりを献げてった時ではなかったでせう。最早一生懸命に熱心に祈りました。れどもこの時は、最早聲を揚げて祈る事ををはり、靜肅しづかに神のおほいなる恩惠めぐみ待望まちのぞんでりました。十五節を見ますれば、これは朝の九時頃でした。

 聖靈のくだり給ひました事は、祈禱いのりに對する神のおほいなる答でありました。神が祈禱いのりに答へ給ふ事の明白あきらかなる證據しょうこでありました。神は此樣このやう祈禱いのりに答へて、この一番幸福さいはひな賜物を與へ給ひますならば、して祈禱いのりの答としてほかの物を與へ給はぬはずは在りません。

 又これは神の聖言みことば眞實まことである事のおほいなる證據でありました。舊約全書で聖靈のくだる事は一番おほいなる神の約束でありました。しゅイエスもまた繰返してそれを誓ひ給ひましたが、今その約束が成就せられました。これによって神の聖言みことばの正しい事を知る事が出來ます。私共わたくしどもは人間の智慧ちゑもって、種々いろいろの論をもって聖書の眞實まことたしかめることが出來ます。れども一番明白あきらかな證據はなんであるかと申しますれば、その聖書の約束を經驗する事です。例へばしゅイエスが『われきたわれ爾曹なんぢらやすません』とおほせ給ひましたならば、重荷を負へる私共わたくしどもは、祈禱いのりもって彼に近づき、その安息やすみを得ますれば、それによってその聖言みことば眞實まことなる事をたしかめます。今この弟子等でしたちは聖靈を受ける事によって、舊約全書の眞實まことなる事をたしかめる事が出來ました。

 この二つの事は大切です。すなはこれ祈禱いのりの答で、又聖書の約束の成就せられた事でした。さうですから、どうぞ聖書のことばを握って祈りなさい。ある兄弟はほかの兄弟の證詞あかしを聞いて祈ります。あるひ書物ほんを見てそれによりてその眞理しんりを知って祈ります。れども眞正ほんたうに聖靈のくだる事を求めたうございますなら、聖書のけることばを握り、聖書によって神の聖聲みこゑを聞いて、それを求めなければなりません。これついて神の聖聲みこゑを聞かない兄弟姉妹がありますならば、どうかしづかに聖書を御調べなさい。わたくしの口より又ほかの兄弟の口よりこのあかしを得ずして、どうぞ聖書を調べ、聖書によって神の聖聲みこゑを聞いて御祈りなさい。そのみちを步みますならば、必ずしゅ御手おんてからその賜物を頂戴致します。

神の氣息いき

 聖靈のいまし給ふ事の表面うはべしるしなんであるかと申せば、こゝみつの事があります。第一は神の氣息いきです。

 『にはかに天より迅風はげしきかぜ』。原語では風よりも人間の氣息いきの方が正しうございます。神が氣息いきを吹き給ひました。創世記一章二節に、『神のれい水のおもておほひたりき』とありますそのれいは、原語にてはヱホバの氣息いきであります。その時は神が創造し給ふ時でありましたが、第一に氣息いきを吹いてそのはたらきを始め給ひました。創世記二章七節に、又大切なる創造があります、『ヱホバかみ 土のちりて人を造り生氣いのちのいきその鼻に噓入ふきいれたまへり』。神がいやしい土を取って、御自分に似せてたふとい人間を造り給ふた時にも、御自分の氣息いき吹入ふきいれ給ひました。今ペンテコステの日に、神は土の如きいやしい人間を取って、氣息いき噓入ふきいれて御自分にかたどらしめ給ひます。

 又約翰傳ヨハネでん廿章廿二節に、よみがへり給ふたしゅイエスが、弟子等でしたち眞中まんなかに立ち給ふた時に、いききて聖霊を受けよと言ひ給ひました。その意味はなんであるかと申せば、聖靈は御自分からの賜物であり、御自分の生命いのちであり、御自分の性質からの賜物である事を示します。今ペンテコステの日に、第一に聖靈が氣息いきのやうにくだり給ふて、神の御性質からの賜物を與へ、又神の生命いのちを幾分か配與わけあたへ給ひました。

 以西結書エゼキエルしょ一章四節を見ると、エゼキエルが神の異象いしゃうを見ました時に、第一にその通りはげしき風を見ました。『われ見しにはげしき風……』。又以西結書エゼキエルしょ卅七章九節を見ますれば、この風によってよみがへり生命いのちよみがへり能力ちからとを得られます。『氣息いきなんぢ四方よもの風よりきたこの殺されし者等ものどもの上に呼吸いきふきてこれいかしめよ』、この氣息いきといふ字と風といふ字は原語では同じ字です。

 又雅歌四章十六節を見ますと、たとへもって神の風の事が書いてあります。『北風よおこれ、南風よきたれ、わがそのふきてその香氣かをりあげよ、ねがはくはわが愛する者のおのがそのにいりきたりてそのくらはんことを』。聖靈の風が吹き給ひますならば、私共わたくしどもの心からかほります。又しゅイエスがその心にり給ふてその心のを喜び給ひます。

おと

 第二のしるしおとでした。はげしきひゞきおとを聞きました。『ひゞきありて』。聖書を調べますれば、神の異象いしゃうを見ました人が、度々たびたび其樣そのやうひゞきを聞きました。以西結書エゼキエルしょ三章一節と四節を見ますと、神はエゼキエルに聖言みことば宣傳のべつたふる事を命じ給ひました。エゼキエルはその命令に從ってました。『時にみたまわれを上にあげしが』(同三章十二、十三節)。エゼキエルは喜んで神の命令に從ひましたから、みたまは直接にエゼキエルを感動し給ひました。その時に『われわがうしろおほいなるひゞきおとありてヱホバの榮光さかえのそのところよりいづる者はほむべきかなとふをきけり また生物いきものたがひにあひつらなるつばさおととそのかたはらにある輪のおとおよびおほいなるひゞきおとを聞く』。エゼキエルはそれを聞きました。それって自分一人くのでなく、天使てんのつかひの自分と共にく事がわかりました。そのひゞき天使てんのつかひが共におとでした。

 又以西結書エゼキエルしょ四十三章二節を見ますれば、同じ事があります。五節に『ヱホバの榮光えいくゎういへみちをる』とありますが、その前に二節でおとを聞きました。『そのおと大水おほみづおとのごとくにして地その榮光にてらさる』。神がシナイざんで、御自分をあらはし給ひました時に、同じ事がありました。出埃及記しゅつエジプトき十九章十九節『喇叭らっぱこゑいよいよ高くなりゆきてはげしくなりける時モーセことばいだすに神こゑをもてこたへたまふ』。このラッパは天よりのラッパでありました。希伯來書ヘブライしょ十二章十九節を見れば、れは人間の吹きしラッパではありませんでした。

 又ダビデが神の命令に從って、いくさました時に、其樣そのやうな聲を聞きました。撒母耳後書サムエルこうしょ五章廿四節『なんぢベカのの上に進行あゆみおときかばすなはち突出つきいづべし その時にはヱホバなんぢのまへにいでゝペリシテびとぐんうちたまふべければなり』。此音このおと丁度ちゃうどエゼキエルが聞きましたおとと同じものであります。又神は此處こゝ其音そのおと解說ときあかし給ひます。其音そのおとなんであるかと申せば、ヱホバ御自身がダビデと共にき給ふといふ事でした。さうですからダビデは、心のうちに必ず勝利かちのぞみが起りましたでせう。神は私共わたくしどもが傳道にく前にも、こんなおとを聞かせ給ひたうございます。

 又列王紀略上十八章四十一節に、エリヤが『大雨のおとあれば』と申しました。他人ほかのひと此音このおとを聞きませんでしたが、エリヤばかこれを聞きました。これは雨がらんとしてしるしでした。神とまじはり、神に祈りし人が、第一に此音このおとを聞く事を得ました。唯今たゞいまペンテコステの日に、こんな種々いろいろの意味をもって神は其音そのおとを響かしめ給ひます。

三節

 みたまいまし給ふ第三のしるしは火でありました。『ほのほごときもの現れ』とあります。希伯來書ヘブライしょ十二章廿九節に『それわれらの神は燬盡やきつくす火なり』とあります。聖靈がくだり給ひますならば、必ずその如く、燬盡やきつくす火としてくだり給ひます。必ずすべての罪、すべての肉にけるかんがへ燬盡やきつくし給ひます。

 燬盡やきつくす火! その意味は妨げる事の出來ぬ能力ちからもっるもの、何時いつでも勝利しょうりる所の能力ちからもっるものです。ちひさい火を燃やしますれば、段々だんだん大火事おほくゎじとなります。すべてのものを燬盡やきつくし、防ぐことあたはざる大火事となります。此處こゝで聖靈が御自分の前進する能力ちからを示すために、火をあらはし給ひました。

 又火ばかりでなく、火の舌があらはれました。火の舌はかちところ基督キリスト敎の表號しるしです。又これ各自めいめいに與へられた表面うはべしるしとして、各自めいめいの上にとゞまりました。『ほのほの舌(英譯)のごときもの現れ わかれて彼等各人おのおのの上にとゞまる』(三節)。これたゞ敎會に與へられました勢力ばかりでなく、各自めいめいに與へられた勢力でありました。

 又約翰傳ヨハネでん一章三十三節にあるやうに、聖靈がしゅイエス・キリストの上に『とゞまり』給ひました如く、今弟子等でしたち各自めいめいの上にとゞまり給ひます。これはペンテコステの時代の特質たる恩惠めぐみであります。舊約全書時代においては、聖靈はある時にある聖徒の上に臨み給ひました。今の時代の特質はなんであるかと申せば、聖靈がしゅイエスの上にとゞまりたまひました通りに、私共わたくしどもの上にもとゞまり給ふ事です。ノアの洪水のをはりに、ノアは鴿はと方舟はこぶねよりしました。れども鴿はとその足のために立場を見出みいだしませんでしたから、方舟はこぶねに歸りました。今迄いまゝで聖靈は此世このよの有樣を見給ひますのに、丁度ちゃうどその通りでした。れどもしゅイエスが此世このよあらはれ給ひました時に、始めて聖靈の鴿はと此世このよに立場を見出し給ひました。唯今たゞいまたふとき血潮によっきよめられましたこの弟子等でしたちが、新しく鴿はととゞまところとなりました。私共わたくしどもも今御血潮おんちしほの効能を頂戴しますならば、其樣そのやうみたまとゞまり給ふところとなります。其樣そのやう眞正ほんたうみたま殿みやとなる事を得ます。

 神は私共わたくしどもにもこの聖靈のみつしるしを與へ給ひたうございます。すなはち神の氣息いきそのひびき、又ける火。どうか神の聖前みまへて、しゅイエス・キリストの御手おんてから此樣このやうな聖靈の御臨在を御受けなさい。

聖靈の盈滿みたし

四節

 『彼等はみな……滿みたされ』。しゅイエスは此世このよ給ひました時、何時いつでも其樣そんなに働き給ひました。五千人にパンを配與わけあたへ給ひました時にも、皆飽く事を得ました。そのころもの裾にさわる事を得ました病人は、皆いやされました。復活よみがへりの晩あつまって弟子等でしたちしゅあらはれ給ひました時にも、皆に聖靈の氣息いきを吹き給ひました。しゅは平生其樣そんなに働き給ひたうございます。私共わたくしども集會あつまりでもこんな事を見るはずです。ども頑固な心や、不信仰がありますれば、私共わたくしどもは平生それを見ません。

 『聖靈に滿みたされ』。しゅイエスは最早昇天し給ひまして、その御榮光を受け給ひました。れどもたゝかひうち、又困難のうちにあるその弟子等でしたちを忘れ給ひません。その弟子等でしたちに幾分か同じ榮光を與へ給ひます。さうですからたゝかひうちにも、心のうちに幾分か天國を經驗する事を得ます。

 『みな滿みたされ』。鐵のきれを火のそばに置きますれば、そのために幾分か暖かくなり、さわる事が出來ぬ程熱くなるかも知れません。れどもその鐵片てっぺんなかに入れて置きますれば、段々だんだん火に滿みたされ、火と同じ色となり、火のやうにほかの物に火をつける事が出來るやうになります。聖靈に滿みたさるゝ事もその通りです。又氷のきれを火の近傍ちかくに置けば、段々だんだん溶けて水となります。幾分か温味ぬくみを得ますでせう。れどもそれうつはなかに入れて、火の上ににえ立たせますならば、段々だんだんその熱さに滿みたされて蒸氣となって天にのぼります。聖靈に滿みたさるゝ事もその通りです。

フレッチャーの經驗

 百五十年前に英國にフレッチャーといふ人がありました。その人はじつに深い聖靈のバプテスマの經驗をった人でありましたが、その人の言ふのに、神を離れず又罪におちいらずして神と共に步く事は、これは淺い事です。わたくしそれで滿足しない。どうかして眞正ほんたう滿みたさるゝ事を慕ふと申しました。其後そののち神はその人に近づき給ふて、格別にその愛の事をあらはし給ひまして、それと同時に『なんぢは白きころもを着てわれと共に步まん』といふ約束を與へ給ひました。その時フレッチャーの言ひますのに、今わたくしは滿足を得ました。わたくし滿みたさるゝ事、うるはしく滿みたさるゝ事を經驗してゐます。今神は愛なりといふ事を悟る事を得ましたと申しました。其後そののちある人が聖靈に滿みたさるゝ事の全き經驗はなんでありますかと尋ねましたら、フレッチャーはこれに答へて、どうしてそれいひあらはす事を得ませうか、滿みたさるゝ事とはなんであるかと申すならば、神の御慈愛に引かれる事を經驗し、御子おんこの愛に勵まされる事を經驗し、聖靈の豐かなる喜悅よろこびと平安の傾注そゝぎを經驗する事ですと申しました。これこの四節のよい註釋であります。

 オルガンは何時いつでもそのふいごなかに空氣があります。れども足をもっそのふいごに風を滿みたしますれば、そのオルガンからよい音樂がます。聖靈の盈滿みたしを頂戴しますれば、此世このよあひだにも、自分の心のうちにも又他人ひとに聞かせる事の出來るためにも、天の音樂を奏します。又それによって眞正ほんたうに神に感謝する事が出來ます。此樣こんなオルガンはだまってる事に堪へません。耶利米亞記エレミヤき廿章九節『されどヱホバのことばわが心にありて火のわが骨のうちとぢこもりてもゆるがごとくなれば忍耐しのぶにつかれて堪難たへがたし』。この弟子等でしたち丁度ちゃうどその通りに、今神のめぐみいひあらはします。『その聖靈のいはしむるに從ひて……いひはじめたり』。默ってる事に堪へきれません、多分づ近くに靜肅しづかに立ってる人々にめぐみ證詞あかしをしましたでせう。れども段々だんだん大勢の人々がそれを聞いて集まってまゐりました。多分その時にめづらしい事が起り、ヱルサレムの町で婦人等をんなたちが路傍說敎をしましたでせう。神が働き給ひますならば、こんな事を見ます。出埃及記しゅつエジプトき十五章廿節に同じ事がありました。イスラエルじんは皆すくひ喜悅よろこびを感謝し、歌を歌って神に感謝しました。廿節を見れば婦人等をんなたちまでもて、路傍で神に感謝しました。



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