第十四 跛者に就てのペテロの說敎
機會を捕へる傳道者
ペテロは其機會を捕へました。聖靈に滿されました傳道者は、何時でも機會を捕へる準備をして居ります。人々がよく集りましたから、ペテロは路傍說敎を始めました。使徒行傳に度々使徒の說敎の筆記がありますが、聖靈は何故私共に其說敎の綱領を與へ給ひますかならば、私共の說敎の手本の爲であります。或時には福音をまだ聞かない人々に對する說敎を見ます。或時には舊約を知って居る人々に對する說敎を讀みます。私共は其を見まして、其手本に從って、主イエスを宣傳へたう厶います。
ペテロの說敎の綱領
此說敎の綱領を御覽なさい。第一、十三節に於てキリストの榮光を宣傳へます。神はキリストを『榮給へり』。
第二、其に比べて人間の罪、又格別に『爾曹』の罪、即ち主イエスを拒み、此神の子を捨てゝ、之を殺した其罪を示しました。今の人々に對しても同じ通りに罪を表はす事が出來ます。今の人々も矢張神の御子を拒み、又捨てゝ居ります。
第三、キリストは信ずる者の爲に、如何いふ恩惠を與へ給ひますか。是は十六節です。ペテロは其癒されました人を指して、此人は主イエスを信じたから其爲に全快したと申しまして、今主が信ずる者にどういふ恩惠を與へ給ふかを示しました。
第四に、十九節からの處で、悔改めて信ぜよと勸めました。
第五に、其結果は唯卿の爲め許りでなく、全國の爲だと申しました。其は十九節から廿一節迄です。
第六に、一個人一個人に對して、救はれるやうに熱心に勸めました。廿六節に『なんぢら各人を』云々とあります。
證 人
ペテロは其爲にどういふ證人を以て參りましたかならば、第一に十五節に於て『我儕は』とあるやうに彼等自身です。唯學んだ事を證する許りでなく、實際其を見ましたから證人となる事が出來ました。
第二の證人は、其處に立って居る癒されし跛です。
第三は聖書です。私共が未だ聖書を讀まない人々に對して說敎する時にも、聖書の證は能力ある證であります。十八節『凡の預言者』、廿一節『神の古より聖預言者』、廿四節『かたりし所の預言者』。ペテロは此やうに三度聖書の言を引きました。
キリストの四の名
此處でキリストの四の名を御覽なさい。第一は『神の僕』(十三節)。此人々はイエスを、神に反對して其律法を犯した異端者であると思ひました。然れどもイエスは眞正に神に從ひ給ふた神の使者でありました。
第二に『聖者』(十四節)。舊約全書を知って居る人は、其を聞いて是はキリストは神であるといふ意味であると解りました。聖者と云ふ名は舊約全書で、度々ヱホバの名として記してあります。以賽亞書四十三章十四、十五節『なんぢらを贖ふものイスラエルの聖者ヱホバ』、『われはヱホバ なんぢらの聖者 イスラエルを創造せしもの』。是は實に面白い御名前であります。又以賽亞書四十九章七節に『ヱホバ イスラエルの贖主 イスラエルの聖者』。又哈巴谷書一章十二節『ヱホバわが神わが聖者よ』。又其三章三節『神テマンより來り聖者パラン山より臨みたまふ』。然うですから舊約聖書に度々かういふ名を見ます。而して是は何時でも神の御名前であります。ペテロは是に由りて明かにキリストが神であると宣傳へました。
第三の名は『義者』です。十四節『爾曹は聖者義者を拒み』。聖者といふ名は主ヱホバを指す言、義者といふ名は、人間としての主イエスを指す名であります。キリストは人間として罪なき者でありました。使徒行傳七章五十二節にも同じ名が記されてあります。『彼等は義者の來んことを預め語し者を殺し 爾曹は今その義者を解し』。又廿二章十四節『われらの列祖の神は爾に神の旨を知しめ彼の義者を見させ』。又此使徒行傳に於て使徒のペテロとヨハネを見ますが、彼等の書即ち彼得の書と約翰の書に於て、キリストの事を義者と申しました。彼得前書三章十八節『義者不義者の爲にせり』。又約翰第壹書二章一節の終に『即ち義なるイエスキリスト』とあります、ペテロは今此名に就て說敎しました時、唯其名を云ふ許りでなく、其名を說明し、其深い意味を言表はしたらうと思ひます。
第四の名は十五節の『生命の主』。是は英語の prince of life 即ち生命の皇太子といふ意味で、實に面白い名で厶います。何卒其名前をよくお味ひなさい。其に就て約翰傳十七章二節を御覽なさい。『これ爾われに賜し所の者に我永生を予へんがため凡の者を制る權威を我に賜たれば也』。主イエスは權威を有ち給へる君でありましたが、其は何の爲でありましたかならば、人々に永生を與へる爲でありました。さうですから生命の主(prince of life)と申します。何卒祈禱の中に一つ一つ此主イエスの御名前をよくお味ひなさい。其によりて主イエスの御榮光を見る事が出來ます。主イエスは神の僕です。聖者です。イスラエルの聖者です。又義者即ち罪のない御方です。又生命の君であります。
恐ろしき訴
ペテロは此人々に対してひどい言を以て訴へて居ります。聖者を拒み、又其を殺したといふ、さらにひどい言を以て會衆に訴へました。又其許りでなく、人間は主イエスに對してこんなひどい事をしましても、主イエスは勝利を得給ひまして、今救を與へ給ふ事が出來る事を述べました。
不信仰と信仰
十五節と十六節とを比べますれば、是は反對です。十五節に於て罪人はキリストを殺しました。キリストを信ぜぬ爲にキリストを殺しました。十六節に於ては、此跛へたる者はキリストを信じて、其信仰によりて新しき生命を得ました。此癒された者が主の生ける救の力の證據であります。跛へたる者が殺されたキリストを信じました事によりて、新しき力を得ました。
愛 の 勸
十三節から十五節迄に、ペテロが靈の劒を以て此人々の心を刺しましたが、十七節から却て愛と柔しい言を以て此人々を慰めました。又其心の中に信仰と望を起しました。十七節に『兄弟よ』とありますが、是は實に柔しい言です。丁寧なる言です。『兄弟よ 我は知 なんぢらが行し事は知ざるに由てなり』。是はキリストの精神であります。キリストは路加傳廿三章卅四節に『父よ 彼等を赦し給へ 其爲ところを知ざるが故なり』と言ひ給ひました。ペテロは今此キリストの靈を以て此人々に勸め、此人々に福音を宣傳へて、今でも恩惠を得る事が出來ると申しました。イエス・キリストを殺し、神の恩惠に反對した罪人でも恩惠を受ける事が出來る、其人々の爲に未だ恩惠の日が過去りません。今でも十九節の如く罪を消される事が出來ます。
又第二に『安舒日』が來る事を申しました(十九節)。
第三に廿節の如く、殺されたキリストが又來り給ふ事を申しました。
第四に萬物の改まる時が來ると申しました。今でも唯悔改めますれば此四の大なる恩惠を頂戴する事が出來ます。舊約全書に書いてあるリバイバルの時が、其約束通りに與へられます。廿二節に其を證據立てる爲に舊約全書を引きました。
新しき紀元
神は私共にモーセの如き新しき預言者を與へ給ひました。モーセの爲に新しい紀元が始りました通りに、今主イエスによりて新しい恩惠の紀元が始まりました。モーセによりてイスラエル人の中に、神の御榮光が表はれて、新しく神の光を得ましたやうに、主イエスの來り給ひました事によりて、私共が神の御榮光を拜見し、新しく其聖旨を曉る事が出來る樣になりました。然うですから廿三節に於て、主の御言に聽從はぬ者の罪の宣告は恐ろしいものであります。唯會衆を忠告する爲でなく、彼等を導く爲に此廿三節の恐ろしい言を申しました。
終りに廿六節に於て、キリストは何の爲に來り給ひましたかならば、詛ふ爲でなく、幸福を得させんが爲に來り給ふた事を申しました。恩惠を以て、先づヱルサレムに居る『なんぢら』に福を得させ給ひたう厶いました。
最後に一個人一個人に對して、悔改を熱心に勸めました。此廿六節を話しました時に、ペテロの心の中に、其言を聞いた者が皆救はれるという信仰があったと思います。私共も福音を宣傳ふる時に、神を信ずる信仰を以て參らなければなりません。又其許りでなく、罪人の爲に信じて、今福音を聞く者が皆救はれる事を望む筈です。神は說敎者の信仰の爲に自由に働き給ふて、罪人を生復らせ給ふ事が出來ます(以西結書卅七・一〜十)。神は此說敎をする爲にペテロに聖靈を與へ給ひました。何卒私共も聖靈を頂戴して、此やうにキリストを崇め、このやうに靈の劒を使ひ、又このやうに愛と熱心を以て罪人に勸めたいものであります。
| 総目次 | 序文と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 |