聖靈の傾注そゝぎ



使徒行傳に於ける聖靈の傾注そゝぎよつの記事

第 二 章

一節

 使徒行傳ではよつの聖靈の傾注そゝぎのことを見ます。第一はこの二章で、ユダヤびとの上に聖靈が注がれました。第二は八章で、サマリヤびとの上に。第三は十章で、ロマびとの上に、第四は十九章で、ギリシヤびとの上に聖靈が注がれました。神はたれの上にも、このおほいなるめぐみを賜ひたうございます。今諸國くにぐにおいて、神がその人々の上に聖靈を注ぎ給ふとの音信おとづれがあります。ギリシヤびとのやうに敎育のある人々の上にも、又ない人々の上にも、ロマびとのやうに文明國の人の上にも、又文明でない人々の上にも、サマリヤびとの如く幾分か神の光を得、幾分か暗黑くらきうち彷徨さまよふてる人々の上にも、又ユダヤびとの如く今迄いまゝで神の聖言みことばってる人々の上にも、聖靈を注ぎ給ひます。神は其樣そのやうへだてなく、又何處どこの國の人の上にも聖靈を注ぎ給ひます。

なゝつの例

 使徒行傳に信者に聖靈が臨み給ふた記事が七度なゝどあります。二章四節四章三十一節八章十七節九章十七節十章四十四節十八章廿六節十九章六節。神は私共わたくしどもに見本としてこのなゝつの記事を與へ給ひました。ある人は祈禱いのりうちに、ある人は聖言みことば宣傳のべつたへられてうちに、又ある人は手をかれし時に聖霊を得ました。神は何時いつでも唯一たゞひとつの方法をもって聖靈を與へ給ひません。心が空虛からでありますならば、又信仰がありますならば、神はその人に豐かに聖靈を與へ給ひます。このなゝつの聖靈の傾注そゝぎの記事を讀みますと、この人々は各自めいめい豐かなるめぐみを得ました。私共わたくしども度々たびたび神の約束のたゞ半分ばかり、あるひは十分の一ばかりを頂戴しますが、この人々は毎度いつでも神の御約束おんやくそくの通りに、豐かに聖靈を頂戴しました。それって私共わたくしどもも、信仰とのぞみを勵まされて、丁度ちゃうどその通りにめぐみを得たいものです。

戴冠式の賜物

 しゅイエスは唯今たゞいま最早あがめを得給ひましたから、聖靈のくだる時になりました(約翰ヨハネでん七・卅九)。ペンテコステの日に至って、神は人間に、ほかの物と比べる事の出來ぬこの賜物を與へ給ひたうございます、これほかの何物よりもまされる、はるかすぐれたる賜物であります。又それってたゞ人間に愛をあらはし給ふのみでなく、その御子おんこにもそれって愛をあらはし給ひました。しゅイエスの新婦はなよめこの賜物を與へる事は、しゅイエスの服從の褒美ほうびでありました。しゅイエスが父の聖旨みむねに從って、十字架にのぼり、御自分の身體からだで全きあがなひをなし給ひましたから、今神はその服從に對して、褒美ほうびを與へ給ひました。またそれのみならず、これしゅイエスの勝利しょうりの結果でありました。しゅイエスが十字架の上でおほいなる勝利しょうりを得給ひましたから、その勝利しょうりの結果として、又その勝利しょうりを榮光あるものとするために、神は唯今たゞいま聖靈の賜物を與へ給ひました。又これは御自分の愛する御子おんこ禱告とりなし祈禱いのりの答でありました。父なる神はこれによりて御子おんこ祈禱いのりを聞き給ふた事を示し給ひました。又これもっ御子おんこの王たる事のかざりとならしめ給ひました。御子おんこは王となり、その聖座みくらゐに登り給ひましたから、その僕等しもべらみな王の僕等しもべらの如く飾らなければなりません。其爲そのために神はこの弟子等でしたちに幾分か天の榮光を與へ給ひました。又これ御子おんこの王たるめぐみの見本であります。御子おんこは王となり給ひましたから、どんな心をもっその領分を治め給ひますか、一番はじめおこなひそれを示します。すべての人は新しい王の第一の指圖さしづあるひは第一のおこなひを待って、それよって新しい王の心を知ります。其樣そのやうに王たるしゅイエスのめぐみは、このペンテコステにおいわかります。又格別にこれは王が地上で恥辱はぢを得て殺され給ひましたから、今その王がめぐみを張りてそのむごおこなひに對して、この榮光ある賜物をもって報い給ふ事でありました。王はすべて權力ちからを受け給ひましたから、此樣こんな世と此樣こん罪人つみびとを全くほろぼし給ふ事は當然であります。どもかへっその罪人つみびとに愛の福音を宣傳のべつたへんがために、今その弟子等でしたちこの賜物を與へ給ひました。羅馬書ロマしょ十二章廿節、『なんぢあだもしうゑなばこれくらはせかわかばこれのませよ なんぢ如此かくするは熱炭あつきひかれかうべつむなり』。神は今あつき火を罪人つみびとかうべに積み給ひます。御自分に對してカルバリ山でひどい罪を犯した者のかうべの上に、ペンテコステの熱火あつきひを積み給ひます。

 父なる神はういふ理由のために、今御子おんこの戴冠式をペンテコステをもって飾り給ひます。王が自分の戴冠式を盛んにするため種々いろいろめぐみを與へるやうに、父なる神は今御子おんこの戴冠式を盛んにするために、此世このよなかで一番榮光ある賜物を與へ給ひます。どうぞ深くこの事を御考へなさい。今でも父なる神は同じ心をって給ひます。神は格別にあなたを飾るためや、又あなたに榮光を與へるためでなく、御子おんこに榮光をせんがために、いやしいしもべこの榮光ある賜物を與へ給ひます。又格別に私共わたくしども祈禱いのりためではなくして、御子おんこの愛の禱告とりなしためこれを與へ給ひます。火のバプテスマを得ますれば、これしゅイエスがける救主すくひぬしである證據であります。又それのみならず、しゅイエスがあなたを愛し、格別にあなたため禱告とりなし祈禱いのりを献げ給ふた事の表面うわべしるしであります(約翰傳ヨハネでん十四章十六節)。



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