第十二 危險より救に至る
危險を自覺す
此節を見ますれば、此ペテロの說敎を聞きましたものは、自分の危い事を知り、自分が今迄キリストの敵であった事を悟りました。又神は愛を以て救主を與へ給ひましたのに、自分の鈍い心を以て其救主を逐捨てて、其を殺した事をも知りました。其大なる罪を知って、心を刺されました。今でも罪人の有樣は同じ事です。神は全き愛の救主を與へ給ひました。然れども罪人は却て其を拒みました。罪人は第一に其大なる罪を感じて、心を刺される筈です。神の福音には其樣な能力があります。『我言は火のごとくならずや 又磐を打碎く槌の如くならずや』(耶廿三・廿九)。『このゆゑにわれ預言者等をもてかれらを擊ちわが口の言をもてかれらを殺せり』(何六・五)。神の言は罪人を殺し、また甦らす筈です。此人々は心を刺され、以西結書卅七章の異象の中にある八節の言のやうになりました。『我見しに筋その上に出きたり肉生じ皮上よりこれを蔽ひしが氣息その中にあらず』。未だ其衷に生命がありませんが、ペテロは聖靈の能力で、最早此罪人を殺しましたから、今聖靈の能力を以て彼等を甦らせます。
第二の集會
卅七節から第二の集會であります。その集會でペテロは皆が救はれると信じました。卅八節に『爾曹おのおの』とあります、是は英語で every one of you です。皆が信じて悔改むる事を信じて、待望みました。三章二十六節にも同じ言がありました。『なんぢら各人を其惡より引反し』。眞の傳道者の心の中にはこんな信仰があります。福音を宣傳へれば、其を聞く人々が皆救はれる事を信じて待望みます。私共は度々心の不信仰の爲に神の働を妨げます。どうか斷えずペテロの信仰を以て說明したう厶います。
三十八節を見れば救の順序が知れます。第一は悔改。第二は信仰、第三は告白、卽ちバプテスマを以て他の人々の前に、自分が救を得たと認はす事です。
又其に由ってどんな恩惠を頂戴するかと申せば、二つあります。第一は過去の爲に罪の赦を得て、神の聖前に潔き者となります。第二は未來の爲に聖靈を頂戴します。私共はコルネリオのやうに、一緖に此二つの恩惠を頂戴する事が出來る筈です。然れども普通罪人はこんな信仰を抱く事が出來ません。そうですから第一に罪の赦を得、其後聖靈御自身を得ます。ウェスレーは救はれし人々の證をよく聞きましたが、一度に此二つの恩惠を得た人に遇った事がないと申しました。何時でも此二つの恩惠を別々に戴きます。
限られざる約束
是は餘り大なる恩惠ですから、多分其を得る人々は稀であると思ふ人がありませう。然れどもペテロは卅九節に其考に答へて、此約束には限りがなく、誰でも此圓滿なる救を得る事が出來ると申しました。三十九節に『爾曹』でも、神の子を殺したひどい罪人である爾曹でも、神の救に與る事が出來ると申しました。又『爾曹の子孫』でも、物のよく解らぬ子供でも、此恩惠を得られると申しました。馬太傳二十七章二十五節に、ヱルサレムの人々が其子孫にひどい詛を願ひました。『民みな答て曰けるは 其血は我儕と我儕の子孫に係るべし』。神が若し其願を聞入れ給ひましたならば、其人々も、其子孫も全く滅びるのみであります。然れども神は却て其子孫にも、罪の赦と聖靈を與へ給ふやうに曰給ひます。又『凡の遠人』も其を得ます。異邦人の如き者、即ち神に遠ざかって、神を少しも知らぬ異邦人でも、此全き救に與る事を得ます。又此時代に遠い時代の私共も、此賜物を頂戴する事が出來ます。少しの特權のない私共も、同じ榮光を得られます。是は少しも自分の功績の爲めではありません。三十九節の終に『主たる我儕の神に召るゝ人々』とあります。即ち神の聖聲を聞きて召を受けた者は皆、此救を得る事が出來ます。
四十節を見れば、多くの言を以て證しました。多分長い話をしましたでせう。ペテロは淺い働をしたくありませんでした。どうかしてよく此人々に說明し、其危い有樣を示して熱心に導かうと致しました。路加傳十四章廿三節に『强て人々を引來り』とありますが、今ペテロは强て人々を連來りたう厶いました。
七の結果
此恩惠の結果として七の結果を見ます。
第一は四十二節です。此恩惠は急に
第二の結果は四十三節にあります。『是こゝに於おいて敬畏おそれ人々の心に生ず』。他ほかの罪人つみびとが畏おそれました。神の敬畏おそれが罪人つみびとの心を動かしますならば、其それはリバイバルの始はじめです。
第三の結果は心を合あはせる事です。四十四節『信者はみな一處ひとつところに會あつまりて』。
第四の結果は愛であります。四十四節の終をはりと四十五節。『諸物すべてのものを共にし』。是これは全き愛の果みであります。
第五は何時いつでも集會あつまりに出た事です。四十六節『日々心を合あはせて殿みやに在をりまた家に於おいてパンをさき歡喜よろこびと誠心まごゝろをもて食しょくを同ともにし』。公おほやけの集會あつまりもありました。又小ちひさい家の集會あつまりもありました。聖靈が働き給ひますならば、必ずよく集會あつまりを設けます。
第六の結果は四十六節の終をはりの喜悅よろこびと感謝です。此この暗き地上に天の如き喜悅よろこびが出來ました。
第七の結果は靈魂たましひが救はれる事です。四十七節『主しゅすくはるゝ者を日々敎會に加くはへたまへり』。其その時に於おいて大おほいなる働人はたらきびとは誰たれであったかと申せば、天の聖座みくらゐに坐ざし給ふ主しゅでありました。
一家族いっかぞく
此この有樣ありさまを見ますれば、敎會は一家族いっかぞくのやうであります。主しゅイエスが此世このよに居ゐ給ふた時、弟子等でしたちを集めて、自分の家族の如くに彼等を取扱とりあつかひ給ひました。弟子等でしたちは皆一家族いっかぞくのやうになりました。馬可傳マコでん三章卅五節『それ神の旨むねに從ふ者は是これわが兄弟わが姊妹しまいわが母なり』。其その通りに、愛に滿みたされし家族の如き敎會がありました。
三みつの新しき特質
此處こゝに三みつの新しい特質がありました。第一は新しい敎師が出來ました。今迄いまゝでヱルサレムで名高い、進步した敎師の敎をしへを得ましたが、今より無學の田舎者ゐなかものから聖なる敎をしへを受入うけいれます。
第二に新しい儀式が出來ました。其それはパンを擘さく事です。何時いつでも新しい儀式を始めることは六むつかしい事です。然けれども初はじめの弟子等でしたちは主しゅの敎をしへを得ましたから、パンを擘さく事を始めました。其その時から十字架に釘つけられし主しゅイエスが敎會の中心となり給ひました。其その時からパンを擘さく事によりて、主しゅイエスから又其その十字架から心の能力ちからと心の生命いのちと、心の滋養やしなひを頂戴する事を表あらはしました。
又第三に新しく持物もちものを共に致しました。是これは長く續きませんでした。又多分其それは神の聖旨みこゝろでありませんでした。併しかし其その時に溢あふれる愛がありましたから、其その愛が此この珍めづらしい果みを結びました。是これは間違った事であったでせうけれ共ども、必ず神の聖旨みこゝろを喜ばせたと思ひます。其その信者はキリストに在ある富と財たからを得たと感じて、喜んで自分の持物もちものを他ひとに配與わけあたへました。又敎會の一番小ちひさい者、或あるひは賤いやしい者の價値ねうちを感じて、喜んでキリストを助けると思ふて其その兄弟を助けました。
神は創世記二章に、此世このよに天の型としてエデンの園そのを造り給ひました。然けれども人は早速其それを汚けがして、其それを失ひました。今神は其その敗壞ほろびの中うちに、十字架の贖あがなひの爲ために、新しくエデンの園そのを造り給ひました。未來に於おいて默示錄廿一章 廿二章にあるやうに、神は私共わたくしどもに全きエデンの園そのを與へ給ひます。私共わたくしどもは神が私共わたくしどもの心の中うちに小ちひさい天國を造り給ひました事を、唯今たゞいま此この亡ぶる世の中なかに、又苦くるしめる罪人つみびとの間あひだに表あらはしたいもので厶ございます。其それによりて人々は神が生ける救主すくひぬしである事を感じます。どうか其爲そのために此この二章の通りに豐かに聖靈を御受けなさい。
| 総目次 | 序文と目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 |