第三十二 歐羅巴ヨウロッパ傳道のはじめ



婦人の小祈禱會せうきたうくゎい

十一、十二節

 サモトラケは途中の島で、ネアポリスはむかふの港であります。又ピリピは殖民地しょくみんちでありまして、ちひさ羅馬ローマのやうな町でありました。其處そこには官吏やくにんも多くり、おほいなる建築物たてものもありまして、ちひさい政事上の都でありました。その時代の羅馬ローマ殖民地しょくみんちは、羅馬ローマ政府がかねつひやして飾りましたからこのピリピも繁昌な町でありました。

 パウロたちこの町に數日とゞまりました。この數日のあひだその町の有樣ありさまを尋ね、神を敬ふ者があるかないかを尋ね、又その地のいろいろの事を知る事を得ました。

十三節

 これは女の祈禱會いのりくゎいで、じつちひさ集會あつまりでありましたが、神はこのちひさ集會あつまりを初めとして、おほいなるはたらき成就なしとげ給ひました。私共わたくしどもは時としてはちひさ集會あつまりを輕んじますが、神は度々たびたびおほいなる集會あつまりよりもかへっちひさ集會あつまりを祝福し、またそのちひさ集會あつまりによりておほいなる火を燃上もえあがらしめ給ふ事があります。

 この祈禱會いのりくゎい人等ひとたちは、あるひたすけと光を求めてたかも知れません。心のうちに滿足がありませんから、熱心に神の光を求めてたと思ひます。パウロがまぼろしうちに見たマケドニヤびと祈禱いのりは、この人等ひとたち祈禱いのりであったかも知れません。パウロはこの婦人たち祈禱いのりの答として、歐羅巴ヨウロッパくやうに神に召されたのかも知れません。

 集會あつまりかはほとりでありました。神は度々たびたびそのやうなしづかところにて御自分をあらはし給ひます。以西結書エゼキエルしょ三章十五節『こゝわれケバルがはほとりにてテラアビブにるかの擄移とらへうつされたる者に至り驚きあきれてそのする所に七日なぬかともせり』。これかはほとりにある祈禱いのりの場所でありました。又以西結書エゼキエルしょ三章廿三節『われすなはちたち平原はらゆくにヱホバの榮光さかえわがケバルがはほとりにて見し榮光さかえのごとく其處そこたちければ俯伏ひれふしたり』。うですからエゼキエルはかはほとりにて神の榮光さかえを見る事を得ました。但以理書ダニエルしょ十章四節『正月の二十四日にわれヒデケルといふ大河おほかはほとりり』。ダニエルもかはほとりにて神の御子みこ榮光さかえを見ました。斯樣かやうに今この女等をんなたちかはほとりおいしゅイエスの榮光さかえを見る事を得ました。

悔改くいあらための第一の例

 この使徒行傳十六章悔改くいあらためみっゝの例が記されてあります。そのみっゝの例は各自おのおの全く異なってります。第一の例は十四節からのルデヤの悔改くいあらためであります。

十四節

 この婦人をんなせわしい商人あきうどでありました。又テアテラの人でありましたから、異邦人であります。ども神を敬ひましたから、最早猶太敎ユダヤけうはいってりましたので、始終猶太人ユダヤびとちひさ集會あつまりに參ってりました。

 『ルデヤとなづくるをんなきゝゐたり』。このをんなは神を求めました。又舊約によって幾分か光を得たでせうが、眞正ほんたうに心の確信と滿足を得ませなんだから、續いて集會あつまりに參りましたが、だ明らかな光を得ませんでした。ども今パウロの話を聞き、そのことばによりて光を得ました。『しゅその心をひらきて』とありますやうに、しゅは働き給ひました。みたまその心のうちに働き給ふたのです。みたまその婦人をんなに神の恩惠めぐみを受ける心を與へ給ひました。どもそればかりでなく、このをんなは自分からそれ受入うけいれました。『パウロの語る事に心をもちゐしめ給ふ』。すなはこのをんなは聖靈のはたらきを蒙って、心を用ひて聞きました。うですから聖靈のはたらきもあり、又その人自身の信仰のはたらきもあります。この兩方が見えます。

 そのやうにして靜かにパウロの說敎を聞いてる時に、餘り感情はなく、たゞ其儘そのまゝしゅすくひ受入うけいれました。今でも度々たびたび集會あつまりおいてかういふ悔改くいあらためがあります。又これ眞正ほんたうに聖靈のはたらきであります。

十五節

 このをんなは自分の救はれた事だけで滿足せず、如何どうかしてその家族をも救ひたうございました。その家族ははじめ集會あつまりに出なかったでせうから、ルデヤは是非共ぜひとも家族を導き、みなすくひめぐみを受けさせたうございました。これすくひうるはしいはじめです。すなわち自分のすくひもって滿足せず、如何どうかして愛する者のために同じすくひを求める心が自然に起って參ります。又この精神のあるところに必ず聖靈のはたらきがあります。

 又それのみならずほかもあります。すなわこのルデヤは是非神の人を世話したうございました。しゅことば受入うけいれましたから、是非神の使者つかひを親切に取扱とりあつかひたうございます。うですからこのをんな持物もちものも皆神のものとなり、神のために用ひました。これは第二のうるはしい結果であります。第一は愛する者のすくひを願ふ心、第二はその家をも持物もちものをも神のしもべために用ふる事であります。

 其時そのとき必ずほかの者も救はれました。あるひおほくの者が救はれましたでせう。この章のをはりの節を見ますと、『ルデアの家にいり兄弟等きゃうだいたちあひ』とありますから、救はれた兄弟等きゃうだいたちもありました。うですから此處こゝに明らかに書いてありませんでも、ルデヤのほかにもおほく靈魂たましひが救はれた事がわかります。これはピリピ敎會のはじめでありまして、のちこの敎會はさかんになりました。パウロはこの敎會を愛しました。この敎會に送ったふみを御覽なさい。腓立比書ピリピしょ一章三節『なんぢらはじめの日より(すなはかはほとり集會あつまりの時より)今に至るまでともに福音にあづかるにより われ爾曹なんぢらおもふごとにわが神にしゃす またつね爾曹なんぢらすべてため祈求ねがふごとによろこびてねが爾曹なんぢらの心のうち善工よきわざはじめし者(すなはちルデヤの心のうち聖業みわざを始めし者)これをしゅイエスキリストの日までにまったうすべしとわれふかく信ず かくの如くが思ふはうべなり …… 爾曹なんぢらは皆われともうくめぐみあづかればなり われキリストイエスの心を爾曹なんぢらすべて戀慕こひしたふことについてはそのあかしをなす者は神なり』(三〜八節)。パウロとこの敎會のあひだには、このやうな親しい關係がありました。愛のつなぎがありました。又この敎會はパウロのあかしをきゝ、パウロと共に恩惠めぐみを受けました。又其時そのときより斷えずパウロを愛し、パウロを助けたうございました。腓立比書ピリピしょ四章十四節を御覽なさい。『されどもが艱難の際にたすけなししはまことよし ピリピびと爾曹なんぢらもまたしる わが福音をつたふはじめマケドニヤを離れ去るとき授受とりやりをなしてわれを助けし者はたゞ爾曹なんぢらのみにしてほかの敎會は此事このことなかりき 爾曹なんぢらわれテサロニケにありしとき一度ならず二度までも人を遣はしともしきを助けたり』(十四〜十六節)。うですから何時いつでも愛を示して、愛のためにパウロを助け、また人をパウロのもとに遣はしました。じつうるはしい有樣ありさまでありました。このピリピびとは救はれたために、おほいなるなぐさめよろこびを得たに相違さういない事が、これによりてわかります。其爲そのためよろこびくだとなってパウロを心から愛したのであります。

悔改くいあらための第二の例

 次に第二の悔改くいあらための話に移ります。

十六、十七節

 『祈禱所いのりのば』とはかはほとりでありましたでせう。其處そこで『卜筮うらなひをするれいよられたる一人のをんなの奴隷』にひました。第一の悔改くいあらための例はまことに神を敬ひ、神を求むる敬虔な婦人をんなでありましたが、第二の例は全くそれと反對で、惡鬼あくきつかれて惡魔の奴隷となってて、祈禱會いのりくゎいなどに決して一度も來た事のない婦人をんなでありました。神のことばは第一のをんなをも第二のをんなをも救ひます。これ幸福さいはひであります。私共わたくしどもは神を敬ふ義者たゞしきものの救はれた事を見ますれば、少しも集會あつまりに出ない、惡鬼あくきつかれたやうな者のためには、あるひは信仰が起らないかも知れません。どもパウロはうでありませなんだ。さういふ者のためにも信仰をって、其樣そんあはれな者をも救ふ事を得ました。

 このをんな卜占うらなひをするをんなでありました。これはサタンのにせはたらきです。サタンは聖靈に滿みたされた者の眞似まねをします。惡鬼あくきつかれて卜占うらなひをするをんなを立てゝ聖靈に滿みたされし者の眞似まねをします。サタンは何時いつでもにせを作って、神のうるはしいはたらき眞似まねます。

 すなは此處こゝでは聖靈の聲を眞似まねします。その時分に救はれし人々が聖靈に滿みたされますれば、大膽だいたんこのをんなが言ったと同じことばを言ったと思ひます。このあかしをする事はまことによい事であります。所がサタンはこんな聖靈のはたらき、又そんな信仰のはたらき眞似まねします。パウロはこのことばを聞いて、それさいはひであると思ったでせうか。そのやうにこのをんな大膽だいたんにパウロの傳道とすくひみち宣傳のべつたふる事はさいはひであると思ったでせうか。人々がこれによりて福音をきゝ、救はれる者も起るかも知れぬから、これさいはひな事であると思ったでせうか。パウロは決してサタンのたすけを願ひませなんだ。パウロは神の國のためにサタンのたすけ受入うけいれる事は、かへっおほいなる罪、おほいなる間違まちがひであると知ってりました。これによりてパウロが明らかな聖靈の光をってた事がわかります。かれの心のうち幾分いくぶんにても肉にけるかんがへがありましたならば、又肉の力に依賴よりたのむ心が少しでもありましたならば、必ず其樣そんあかしを拒まなかったでせう。どもパウロの心のうちには聖靈の光がありましたから、斷然このをんなあかしを拒みました。おお兄弟姉妹よ、私共わたくしどもは肉の力、此世このよたすけを斷然ことはらなければなりません。神御自身が御自分の國を建て給ひますから、此世このよたすけあるひは世にける者のたすけを求めるわけはありません。

十八節

 パウロは馬可傳マコでん九章廿五節にある、しゅイエスのことばを借りて、その惡鬼あくきれいいでよと命じました。其處そこで『れい立刻たちどころ』で、そのをんなは救はれました。今迄いまゝでこのをんなの心のうちには、たゞくるしみかなしみうれひばかりありましたが、今その心が平安やすらかになりました。目をさまされたやうに光を得て、新しい生命いのちを得ました。鬼が逐出おひだされて、奴隷の有樣ありさまから離れる事を得ました。これじつ幸福さいはひでありました。これ悔改くいあらための第二の例であります。このをんなのち腓立比書ピリピしょを聞いた時必ず慰藉なぐさめを得ましたでせう。

ゆる獅子の妨害さまたげさかえある勝利のはじめ

十九節

 今迄いまゝでサタンは巧みに外部うはべよそふて、パウロを助ける者と見せかけてましたが、其實そのじつ如何どうかしてパウロの傳道を妨げたうございました。そのたすけによりてかへって傳道を邪魔しやうと思ってりました。どもこの十九節から、サタンはゆる獅子の如くパウロと戰ひます。今迄いまゝで惡智慧わるぢゑのある蛇の如く參りましたが、その奸策はかりごとによりて成功しませなんだから、今ゆる獅子の如くパウロに反對して參ります。

廿〜廿二節

 うですからパウロはいつはりうったへに訴へられて、むちうたれて牢屋に入れられました。パウロは初めトロアスにおいて、まぼろしを見て神のみちびきと思ひ、歐羅巴ヨウロッパに渡ってこの町において傳道しましたが、それ眞正ほんたうに神のみちびきでありましたならば、はじめより勝利と幸福さいはひはずではありますまいか。しかるに歐羅巴ヨウロッパると早速このやうな目にふのは、神のみちびきと思ふて來た事が間違まちがひではなかったらうかと思はれます。どもパウロの心のうちに少しも其樣そんうたがひはなかったと思ひます。信仰の弱い人ならば、其樣そんかんがへが起るかも知れませんが、パウロは今迫害にふて、傳道をめなければならぬ場合にさへも、神を信じ、神は必ずともいまし給ふと信ずる事を得ました。かういふ信仰がありましたから、この傳道をめなければならぬ迫害においても、この身體からだの痛みのはげしい場合にも、神は彼に勝利を與へ、そのわざはひかへっさかえある勝利のはじめとならしめ給ひました。私共わたくしどもも神のみちびきを得、それに從ひましたならば、決して妨げるものを恐れるわけはありません。惡魔がどんなに傳道を邪魔し、傳道者を取除とりのぞく事を得ましたところが、神は其事そのことかへっさかえある勝利のはじめとなし給ひます。うですからどうぞづ第一に神のあきらかな光とみちびきを求めたうございます。神のみちびきがありますれば、大膽だいたんに進む事を得ます。あるひは妨げる者が起るやうな時がありましても、斷えず心のうちのぞみいだいて、勝利を俟望まちのぞんでしゅに從ふ事を得ます。

迫害の時の感化

二十三節

 羅馬ローマの鞭の刑は餘程よほど重い刑罰でありまして、度々たびたびそれを受ける者が其爲そのために死にました。その鞭にこゝのつの尾がありまして、その尾に金屬かねきれがつけてありましたから、鞭打たれますならば、おほいなる傷を受け、その傷のいたみはなはだしいものでありました。パウロとシラスはこのひどい刑罰を受けてのちひとやに入れられ、固く守られました。これは命令によってうせられた事ではありますが、此事このことを致しました人々は、皆頑固かたくなな心をもって、如何どうかしてこの二人を殘酷な目に遭はせたうございましたから、殘酷に取扱とりあつかふて、一層ひどい目に遭はせました。ども其時そのときにさへも、この獄守ひとやもりはパウロとシラスの平安やすきと柔和とを見ました。この二人が勇氣と忍耐をもっその殘酷な刑罰を受け、少しのいかりもなく柔和にひとやに入れられた事を見て、この人等ひとたちが普通の人と異なってる事を見ました。獄守ひとやもり其時そのとき必ずう感じたことゝ思ひます。うですからのちこの獄守ひとやもりは心配の時に、彼等にすくひを求めました。其時そのときすくひを求めたのは、今この刑罰の時にパウロたち有樣ありさまを見て、感じたからであるに相違さうゐありません。私共わたくしどもも失望の時に、あるひくるしみのある時に、あるひは迫害に遭った時に、たゞキリストのれいあらはしますれば、それを見る人々があるひそれに感ずる事もなく、又其爲そのためそのくるしみや迫害をまぬかれる事がないかも知れませんが、しかのちに至って必ず其爲そのためを結びます。それを見た人々が心配に遭った時に、あるひくるしみに陷った時に、まへに見た事を思出おもひだしてキリストを求むるやうになりませう。

 この獄守ひとやもりは必ずこの二人がなんために刑罰を得たかを知ってたに相違さうゐありません。又惡魔につかれましたをんなの話をきゝ、そのをんなこの人等ひとたちによりていやされた事をも聞きました。うですからこの二人はれいの力をもっる人であるとわかりました。ども其時そのときにはそれついて感ぜず、冷淡な頑固かたくなな心をもって、殘酷に彼等を扱ひました。

ひとやの奥のうるはしき祈禱會いのりくゎい

二十四節

 うですから人のかんがへから見れば、パウロの傳道は失敗であると思はれます。最早のぞみれました。その奥のひとやに入れられましたから、何時いつされるかわかりません。又されましても、それは死刑にためされるに違ひないと思はれる時であります。人のかんがへより見ればこれは全く絕望の場合でありましたが、神は其樣そんのぞみのない時から、リバイバルを始め給ひました。かういふ失敗と思はれる時からおほいなる成功を起し始め給ひました。神はそのこのひとやの奥のちひさい暗いへやを聖なる殿みやとなし、榮光さかえある所となし、天の空氣を其處そこで吸ふ事の出來るところとなし給ひました。又そのひとや全體を御自身が聖別し給ひし所、又御自身がいまし給ふところとなし給ひました。うですから私共わたくしども信者は決して迫害を恐れるはずではありません。又ひとやに入れられる事があっても、それを恐れるわけはありません。神は其樣そんな場合に、其樣そんところから御自身の御榮光をあらはして、リバイバルを始め給ふかも知れません。

二十五節

 これは決して義務的の祈禱會いのりくゎいではありません。溢れる心より神を讃美しました。又神の御臨在を感じましたから、祈らなければなりません。これまことうるはしい祈禱會いのりくゎいでありました。此時このときに感謝すべきわけがあったでせうか。かへって淚を流さなければならぬではありませんか。いゝえ、神を知る者はかういふ時にさへも、溢れる心をもって神を讃美致します。詩篇三十二篇十一節『たゞしき者よ ヱホバを喜びたのしめ、すべてこゝろのなほきものよ 喜びよばふべし』。神はかういふよろこびを願ひ給ひます。心のうちに神のすくひを經驗してりますれば、時としては普通の禮儀に構はずに『喜びよばゝり』ます。すなはち心より溢れるよろこびもっよばはります。私共わたくしども度々たびたび餘り行儀を考へて、しづかに讃美を耳語さゝやくのみですが、時としてはこのパウロたちのやうに何所どこでも構はず、禮儀に頓着せずに、すくひよろこびを歌はなければなりません。

 『囚者めしうどら耳を傾けてこれを聞』いてました。原語を見ますと、囚人等めしうどらが長らくたのしんで聞いてた事をあらはします。その奥のひとやから今迄いまゝで度々たびたびのろひの聲がきこえました。あるひの聲が漏れました。しかるに今始めてよろこびの聲、嚴肅なる祈禱いのりの聲がきこえますから、囚人等めしうどたちは耳を傾けてそれを聞いてりました。ところが神はにはかに彼等の祈禱いのりに答へました。

祈禱いのりこたへなる地震

二十六節

 この地震は祈禱いのり應答こたへでありました。神は度々たびたび祈禱いのりに答へてれいの地震を與へ給ひます。詩篇十八篇を御覽なさい。其處そこにダビデは自分の經驗を述べてますが、これ矢張やはり祈禱いのりに答へられてすくひを得た經驗であります。四節から讀みます。『死のつなわれをめぐり惡のみなぎるながれわれをおそれしめたり 陰間よみのなはわれをかこみ死のわなわれにたちむかへり』。うですから眞正ほんたう囚人めしうどでありました。『われ窮苦なやみのうちにありてヱホバをよび又わが神にさけびたり、ヱホバはその宮よりわが聲をきゝたまふ、そのみまへにてわがよびし聲はその耳にいれり』。うですから斯樣かやうのぞみのない有樣ありさまおいても、そのやうに仕方のない時においても、神は祈禱いのりに答へ給ひます。又その答はなんですかならば地震であります。『このときヱホバいかりたまひたれば地はふるひうごき山のもとゐはゆるぎうごきたり けぶりその鼻よりたち火その口よりいでゝやきつくし炭すみはこれがためにもえあがれり』。かういふ事は目に見えず、又それ身體からだに感じません。ども神は見えざるところこのやうに力をつくして、このあはれむべき者の祈禱いのりに答へ給ひました。『ヱホバは天をたれてくだりたまふ、そのみあしの下はくらきことはなはだし』(四〜九節)。その結果はなんですかならば、十六節に『ヱホバはたかきより手をのべわれをとりて大水おほみづよりひきあげ わがつよきあたとわれを憎むものとよりわれをたすけいだしたまへり、かれらはわれにまさりて最强いとつよかりき』(十六、十七節)。神はこのやうに祈禱いのりの答としてれいの地震を與へ給ひました。目に見ゆる所より申しますれば、たゞあはれなる者が祈ってすくひを得たといふ事に過ぎませんけれども、ダビデはれいまなこもって、見えざるところおいて神が行ひ給ふた事を見ました。私共わたくしどもが單純なる信仰をもって祈る時に、神は度々たびたびこの詩篇十八篇のやうに、その祈禱いのりに答へて見えざるところに地震を起し給ひます。其爲そのため陰府よみの繩はれ、死のわなこぼたれ、惡魔の力はほろぼされてすくひを得られます。

 默示錄八章三節より御覽なさい。『また一人の天の使つかひきん香鑪かうろ持來もちきたり祭壇まつりだんかたはらたつ かれおほくかうあたへられたり 寳座くらゐの前にあるきん祭壇まつりだんの上にこれそなへすべての聖徒の祈禱いのりそへしめんためなり かうけむり聖徒の祈禱いのりそひ天使てんのつかひの手より神の前にのぼれり この天使てんのつかひ香鑪かうろとりこれに祭壇まつりだんの火をもりて地に傾けゝれば許多おほくの聲迅雷いかづち閃電いなづまおよび地震起れり』(三〜五節)。祈禱いのりの答として神は惡魔の力をこぼち、罪の繩を切り、地震を起し給ひました。それによりて祈禱いのりの力と祈禱いのりの結果を感じたうございます。

 パウロとシラスは此時このときに、信仰をもっこの獄守ひとやもりために祈ったかも知れません。しゅイエスは馬太傳マタイでん五章四十四節それを命じ給ひました。『されどわれなんぢらにつげ爾曹なんぢらあだいつくし爾曹なんぢらのろふ者を祝し爾曹なんぢらを憎む者を善視よく虐遇迫害なやめせむるものゝため祈禱きたうせよ』。今パウロはこの人のためおほいくるしめられましたから、多分この人のために祈ったと思ひます。信仰をもっこの獄守ひとやもりの救はれるために祈ったでせう。神はその祈禱いのりの結果として獄守ひとやもりの心をもふるひ動かし給ひました。

悔改くいあらための第三の例

二十七節

 囚者等めしうどたちがしましたならば、獄守ひとやもりは多分死罪に宣告せられますから、自分の生命いのちを失ひます(十二章十九節參照)。それよりも自殺する方がよいと思ふて、自殺しようと致しました。死んでからのちの事は、少しも存じません。ども死の淵にまで參りました。其時そのときだれその人を顧みてくれる懇切な聲を聞きました。

二十八節

 多分此時このときに皆神の御臨在を感じたでせう。頑固かたくななる心をてる囚者等めしうどたちでも神の御臨在と、その地震が神の特別のはたらきである事を感じて、逃げずして其處そことゞまってたでせう。多分パウロの讃美と祈禱いのりの聲を聞きましたから、地震はそれと何か關係があると思ふて、皆パウロに目をそゝぎましたらう。使徒行傳廿八章おいて、破船した船の人々が皆パウロに目をそゝぎましたやうに、今此時このときにも皆パウロに目をそゝいで、逃げなかったでせう。前の晩にはパウロはいやしいものゝうちの最もいやしい者でありましたが、今神は彼を人の眼の前にさへも高く擧げ給ひました。獄守ひとやもりそれを感じました。

二十九節

 このいやしい猶太人ユダヤびとの前に俯伏ひれふし、このいやしい囚者めしうどの前におのれを低くしました。

三十節

 これは人がほかの者にむかって發しる最大の質問であります。だれにでも必ず心のうちにかういふ質問があります。れども大槪たいがいの人は恥ぢてそれたづねません。ども心配の時あるひは失望の時に、心からそれ吐出はきだします。この人は多分十七節にある『この人々はいと高き神のしもべにして救道すくひのみち我儕われらのぶる者なり』といふをんなことばをきゝましたでせう。又幾分かそれついて感じてたかも知れません。又前の晩刑罰を執行した時に、又唯今たゞいま地震の時にパウロとシラスの平安やすきを見ましたから、そのすくひは事實であると感じて、自分も同じ平安へいあんと同じ確信を得たうございました。

 パウロは此時このときなんと答へましたか。地震の時は人を導くのに適當の時ではない、其樣そんな時には種々いろいろと心配や恐怖おそれが起るものだから、罪人つみびとを導くのによい時でないと考へ、かくまでのばさうと思ひましたらうか。又この人は今迄いまゝで何も知らない人で、一度も說敎會にった事もなからうし、又神を敬はない人でもありましたから、あなた其樣そんな心をっておでなさるのは結構ですが、まだ何もおわかりになりませんし、つ今は地震の時で、こんな時にすくひを求めるのは可笑をかしい事ですから、かく私共わたくしども集會あつまりにおでになりまして、段々わかった上ですくひをお求めなされた方がようございませう、などと答へましたでせうか。かういふふうに答へる人が多くあります。私共わたくしども眞正ほんたうに聖靈の力を知りませんならば、人間の常識に従って斯樣かやうに返答するに相違さうゐありません。どもパウロは信仰がありました。聖靈の力に依賴よりたのみました。今地震の時でも、この人は今迄いまゝで少しも說敎を聞いた事がなくとも唯今たゞいま即座にすくひる事が出來ると信じました。パウロは段々のはたらきを好まず、即座に神の力を見物する事を信じました。これ眞正ほんたう十五章のヱルサレムの議會の決議と同じ事でありました。すなは罪人つみびとは直接に神の御手みてよりすくひ賜物たまものる事が出來る事を信じたのです。どんなに不都合の時でも、又その人が今迄いまゝでどういふ人でありましても、唯今たゞいま即座にすくひが得られると信じました。うですからパウロの答は、こんな地震の時にも、だ說敎を聞いた事のないこの獄守ひとやもりむかっても、しゅイエス・キリスト御自身を信ぜよといふ事でありました。

三十一節

 必ずあとからあがなひについて、又神の御慈愛や福音の土臺どだいについて敎へたに相違さうゐありませんが、一番大切な福音の眼目はしゅイエス・キリストを信ずる事でありますから、今此事このことを說きました。

 又キリストを信ずればその家族も救はれる事を申しました。多分其時そのときこの獄守ひとやもりの家族の者も近づいて、心配さうな顏付かほつきをして、パウロの言ふところを聞いてたのでございませう。ればパウロは願った本人ばかりでなく、家族も救はれる事を信じて申しました。これまことの傳道者の信仰であります。

三十二節

 單純なる信仰をもっすくひを得ましたならば、どうかしてしゅイエスの事とすくひみちついて、なほ一層學びたうございます。うですからこの獄守ひとやもりは喜んで、もっとをしへについて聞く事を願ひました。たゞかれ一人でなく『その家のすべての者』がなほしゅことばを聞きました。多分主人が家族一同のために心配し、たゞ自分一人救はれた事で滿足が出來ず、愛する者皆、僕等しもべたちに至るまで同じすくひめぐみあづかる事を願って、皆を集めてしゅイエスのことばを聞かせた事と思ひます。これ悔改くいあらためひとつであります。

三十三節

 又この節にあるやうに悔改くいあらためほかもありました。すなはち『この卽時そのときかれ二人をいざなその杖傷うちきずあらひ』ました。これまことうるはしい事です。四五時間程前には、この同じ人は頑固かたくなな心をもって、成るべくこの二人を苦しめたうございました。しかるに唯今たゞいまその人が愛の心をもって、また婦人をんなの如き柔らかな手をもって、自分がつけた傷を親切に洗ひます。その顏色も多分かはってりましたらう。今は前とは違ひ、心配さうな顏をもって氣遣ひ、愛の顏付かほつきをして、出來るこの二人を親切に扱ひたうございました。これりても必ずこの人はすくひを得たといふ事がわかりますでせう。これは確かにすくひであります。最早更生うまれがはりましたから、即座に救はれて心がかはって參りました。

 このをはりにはもうひとつすくひの結果が見えます。是非、成るべく早く自分の信仰をあらはしたうございました。今迄いまゝでの生涯に對しては死に、今迄いまゝでの關係を全く斷ち切って出來るだけ早く新しい生涯を初めたうございました。

三十四節

 此處こゝにももう一つのすくひの結果が見えます。二人を自分の家に招いて、一緖に食事を致しました。まこと交際まじはりが出來ました。パウロとシラスの兄弟となって、共にまじはりました。パウロは此時このときに多分長いあひだ食事をせなかったでせう。多分ゑたまゝひとやに入れられたでせうが、今樂しく一緖に食事をする事を得ました。

 『すべての家族とともに神を信じて喜べり』。これすくひの結果であります。その晩は心配の晩であるはずでした。名譽を失った恥の晩であるはずでした。どもすくひを得ましたから、其樣そんな事は思はずして喜びました。喜ぶ事は救はれた確かな證據であります。パウロは二十五節おいて喜びましたから、今悔改くいあらためた者も同じよろこびあづかりました。又此時このときよりよろこびこの敎會の特質であったと思ひます。腓立比ピリピふみを見ますと、四章四節に『なんぢら常にしゅありて喜べ われまたいふ なんぢら喜ぶべし』とあります。多分パウロがこのことばを書く時に、今この晩の夜半よなか喜悅よろこびを覺えてた事でせう。多分その晩からパウロは度々たびたびよろこびについて言ひましたでせう。

パウロひとやよりゆるさる

三十五節

 この命令は獄守ひとやもりに取っておほいに喜ばしき事でございましたでせう。

三十六節

 どもパウロは賛成しません。福音のために、又今此處こゝの小さい敎會のめに、又神の御榮光みさかえめに、それけないと思ひました。福音の使者つかひは必ずへりくだるべきはずであります。ども時としては傳道のためその特權とくけんを要求致します。前の晩にピリピにおほくの人々のの前で迫害せられ、又いやしめられました。うですから其儘そのまゝ靜かに退しりぞきますれば、ピリピにる人々はそれを知らずに、何時迄いつまでも福音の使者つかひいやしい者と思ふでせう。傳道のためこれを許す事が出來ませんから

三十七〜四十節

 多分パウロたちその前の日にルデヤの家を出ました。所が今迄いまゝで讀んだやうな迫害が起りましたから、其處そこの若い信者たちは皆ルデヤの家にあつまって祈ってたでせう。(十二章五節のやうに)。この信者たち三十六節にある、上官つかさがパウロたちゆるせと命じた事を、少しも知りませなんだでせう。うですから其處そこあつまって祈ってる時に、にはかにパウロがその家のもんの前にあらはれました。これ丁度ちゃうど十二章の話のやうであります。信者たち祈禱いのりは答へられ、パウロたちは無事にひとやで、今その家にる事を得ました。さうして愛のことばなぐさめことばを與へ、又すゝめをなしてで去りました。

 この使徒行傳を書いたルカは、多分此時迄このときまでパウロと一緖でありました。十六章十節に始めて『我儕われら』といふことばを見ますから、ルカはその十節よりパウロと一緖になり、ピリピにも一緖に參りましたが、ルカはひとやれられませんでした。十七章から『我ら』といふことばがありません。二十章六節に再び『われら』と書いてあります。うですから今パウロはピリピを去りましたが、ルカは多分このピリピにとゞまりましたでせう。又多分テモテと一緖にとゞまったと思ひます。其處そこの傳道は段々廣まり、敎會は惠まれて神の聖旨みこゝろかなふ敎會となりました。このおい悔改くいあらためた三人は必ず始終敎會にで、神のめぐみあづかって神のさかえあらはしましたでせう。



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