第廿三 新しき使徒召さる



迫害者中よりのめし

第 九 章

 神は八章をはりに、アフリカに遣はす使者つかひを備へ給ひました。すなはち一人のエテオピアびとを救ふて、その人に聖靈を與へ、自分の國に歸って、其處そこで傳道せしめ給ひました。今この九章はじめに、亞細亞アジヤめ、又歐羅巴ヨウロッパために、適當の傳道者を備へ給ひます。それを見て神は段々だんだん全世界をあはれみ、全世界にそのすくひ分與わけあたへたく思って給ふ事がわかります。

 神は新しき使徒を召し給ひます。何處どこからその使徒をめし給ひますかならば、熱心なる反對家のうちから、又パリサイびとうちから一人を選んで、福音を宣傳のべつたへさせ給ひます。ブース大將が卅年ぜん、救世軍のはたらきを始めました時に、ある人がブース大將に、其樣そんはたらきを始めるのには多くの傳道者がりますが、あなた何處どこからその傳道者を得ますかと申しますと、ブース大將がこれに答へて、大酒飮家おほざけのみから傳道者を求めますと申しました。キリストは其樣そのやうに、今反對家のうちから使徒を選び給ひます。

一、二節

 これは多分しゅが死に給ひましてから、二年後の事でありました。ども其時そのとき最早もはやダマスコにも多くの信者がありました。そのやうに福音は早く廣められました。ダマスコにも多くの信者がありましたから、この迫害者が其處そこにもきて、其處そこの信者を捕へたうございました。しかあとから自分の悔改くいあらためた事を繰返してひましたが、其中そのうちかへって自分が捕へられたと申しました。これは面白い事です。腓立比書ピリピしょ三章十二節『キリスト……われとらへ給へるなり』。

 サウロは神に敵しました。ども神は其時そのときにサウロを憐れみ、サウロを救ひ給ひました。彼はのちに自分の經驗にって、羅馬書ロマしょ五章十節を書きまして『もしわれら敵たりし時にその子の死によりて神にやはらぐことを得たらんには』と申しました。これは自分の經驗でありました。神は御自分に敵した者をも憐れみ給ひました。うですから私共わたくしどもういふ人のためのぞみを失ってはなりません。あるひは神に敵してる時に、神はその人を救ひ給ふかも知れません。わたくしが英國の大學にりました時、ミストル・ムーデーが參りまして、大學の生徒に一週間說敎を致しました。はじめの晩ある生徒がほかの生徒を煽動しておほいに騷ぎ、そのはたらきおほいに妨げました。どもその人が、すなはその迫害者の首魁かしらが三日後に救はれまして、大膽だいたんにキリストのすくひ宣傳のべつたへました。それからその人は熱心に福音を宣傳のべつたへ、今は聖公會の監督をしてります。うですから私共わたくしどもは決して反對して來る人のために失望せず、かへっその人のために信じて祈りたうございます。神はその反對して最中さいちうに救ひ給ふかも知れません。

神はあるひは迫害を許しあるひこれを妨げ給ふ

 八章はじめに迫害の事が記され、九章はじめにも迫害の話が記されてあります。八章はじめの迫害は、神はこれを妨げ給ひませなんだが、九章はじめの迫害はこれを妨げ給ひました。すなはち神は迫害者を悔改くいあらためしめ給ひました。しもサウロが其時そのとき悔改くいあらためませなんだならば、其時そのとき路傍で死んで仕舞しまったかも知れません。神ははじめからこのダマスコの迫害を妨げたうございました。すなはちダマスコの妨害さまたげ取除とりのぞかうと思って給ひましたから、それを迫害する事を許し給ひませんでした。神は或時あるときには迫害を許し又或時あるときには迫害を妨げ給ひます。神が迫害を許し給ひますれば、その迫害は信者のためかへって利益となります。又敎會のためになります。あるひはダマスコの敎會は、ヱルサレム敎會にける迫害の結果として出來た敎會であったかも知れません。すなはちエルサレムの迫害の時に散らされた信者が、其處そこって、敎會を建てたのでせう。どもこのダマスコの敎會は、今だ若うございますから、迫害を受けさせずに、靜かに發達するやうに、靜溢しづかと安然を與へ給ひます、神は敎會のかしらです。私共わたくしどもを懇切に導き給ひます。どうぞ神を信用して、神の攝理を感謝して、熱心に神のために働きたうございます。

たちまち』のはたらき

三節

 この三節に『たちまち』といふことばがあります。神の平生の御働おんはたらきは、其樣そのやうたちまちのはたらきであります。二章の二節に『にはかに』祈禱いのりが答へられて聖靈が下りました。十六章廿六節に『にはかに』おほいなる地震がありまして、獄守ひとやもりが自分の罪を感じて悔改くいあらためました。神は其樣そのやうはたらきを喜び給ひます。私共わたくしどもこれを悟りまして、何時いつでも神がたちまち働き給ふ事を俟望まちのぞみたうございます。

 詩篇六十四篇を御覽なさい。一節から見ますれば、丁度ちゃうどサウロのはたらきを指します。『神よわがなげくときわが聲をきゝたまへ わが生命いのちをまもりてあたのおそれよりまぬかれしめたまへ ねがはくはなんぢわれをかくして惡をなすもののひそかなる謀略はかりごとよりまぬかれしめ不義をおこなふものの喧嘩かまびすしきよりまぬかれしめ給へ かれらはつるぎのごとくおのが舌をとぎ その弓をはり矢をつがへるごとく苦言にがきことばをはなち 隱れたるところにて全者またきものんとす にはかにこれをておそるゝことなし』(一〜四節)。丁度ちゃうどそのやうにサウロは信者を迫害しました。どもその七節を御覽なさい。『しかはあれど神は矢にてかれらをたまふべし かれらはにはかに傷をうけん』。サウロもにはかに神より心の傷を得て、救はれました。

 又民數紀略十二章をも御覽なさい。『モーセはエテオピアのをんなめとりたりしがそのエテオピアのをんなめとりしをもてミリアムとアロン、モーセをそしれり』(一節)。しかるに四節に『こゝおいてヱホバにはかにモーセ、アロン及びミリアムにいひたまはく 汝等なんぢら三人集會の幕屋まくやいできたれと』。神はにはか罪人つみびとものいひ給ひます。又にはかその罪を感ぜしめ給ひます。

 馬拉基書マラキしょ三章一節にも同じことばがあります。『われわが使者つかひつかはさん、かれ我面わがかほの前にみちそなへん、またなんぢらが求むるところのしゅすなはちなんぢらの悅樂よろこぶ契約の使者つかひ忽然たちまちその殿みやきたらん』。『忽然たちまち』! 神は平生其樣そのやうに働き給ひます。うですから信じて神のめぐみを祈る事を得ます。今なにしるしが見えませんでも、今その罪人つみびとは續いて兇言おどしと殺氣を吐いてましても、神はにはかにその罪人つみびとの心に傷をつけ給ふかも知れません。

光と聲

三、四節

 こゝふたつの事があります。三節に『たちまち天より光ありて』これは一つです。四節に『聲をきけり』これはもうひとつの事です。神は今でもこのふたつの事をもって、罪人つみびとを救ひ給ひます。第一に天よりの光を與へ給ひまして、自分の罪をも、神の愛をも、又十字架のおほいなるあがなひをも悟らせ給ひます。哥林多後書コリントこうしょ四章六節を御覽なさい。これこの同じサウロが書いたことばであります。『光に命じてくらきより照出てりいでしめたる神 我儕われらをしてイエスキリストのかほにある神の榮光をしるの光をあらはさしめんため我儕われらの心をてらし給へり』。眞正ほんたう悔改くいあらためには必ず其樣そのやうな光があります。神は其樣そのやう各自めいめい罪人つみびとに光を與へ給ひます。路加傳ルカでん一章七十八、七十九節、『その矜恤あはれみよりあさひの光 上より幽暗くらき死蔭しのかげすめる者をてらし』。そのやうに神は光を與へ給ひます。どうぞ卿方あなたがたが傳道なさる時に、何時いつでもそれを心のうちに願ひなさい。あなたがどんなに福音をあきらかに說きましても、神が天よりの光を與へ給ひませんならば駄目です。又神が聖靈によりてその光を與へ給ひますなれば、あなたによりてゞも、その宣傳せんでんする福音のために、轉倒ひっくりかへすやうに靈魂たましひ悔改くいあらためさせる事を得ます。

 又たゞ天よりの光ばかりでなく、神の聲をも天より聞かしめ給ひます。その罪人つみびとは自分が呼ばれた事がわかります。神が直接に其人そのひとを呼び給ふた事を悟ります。撒母耳前書サムエルぜんしょ三章四節、『時にヱホバ、サムエルをよびたまふ』。六節にも『ヱホバまたかさねてサムエルよとよびたまへば』。つひに十節において『ヱホバきたりて立ちまへの如くサムエル、サムエルとよびたまへばサムエル しもべきく 語りたまへといふ』。斯樣かやうに神は各自めいめいの心のうちに聲をきかせ、各自めいめいを呼び給ひます。

サウロの悟れる事

四、五節

 又神はその聲によりて、サウロにその罪を示し給ひました。すなはち『なにゆゑわれ窘迫せむるや』といひ給ひました。サウロはそれによりて自分の罪を知り、その罪が神の心を痛めると知りました。又彼がる事は、たゞ人間を迫害する事ばかりでなく、神の御心みこゝろを痛める事であると知りました。どもサウロはそれたれであるか知りませんから『しゅなんぢたれぞ』と尋ねました。丁度ちゃうどサムエルのやうでありました。サムエルは始めて神の聲をきゝました時、それたれであるかを知りませんでした。サウロも其樣そのやうに今それを尋ねました。これ丁度ちゃうど約翰伝ヨハネでん九章卅五節以下の話と同じ事であります。『彼等が逐出おひいだしゝことをきゝイエスたづねこれあひいひけるは なんぢ神の子を信ずる こたへいひけるは しゅかれとしてわが信ずべき者はたれなるや イエスいひけるは なんぢすでに彼をみる 今なんぢとものいふ者はそれなり しゅわれ信ずといひて彼を拜せり』(卅五〜卅八節)。今しゅ其樣そのやうにサウロを取扱とりあつかひ給ひます。又ねんごろにサウロに御自分をあらはして『われなんぢ窘迫せむるところのイエスなり』といひ給ひました。サウロはこれによりてこのよっゝの事を學びました。第一、神とイエス・キリストとの一體なる事。第二、イエスは榮光のうちいまし給ふ事。第三、此世このよにある基督キリスト信者はしゅイエスと一つになった事。第四、罪はしゅイエスの心を刺しとほす事。このよっゝの事はのちかれの神學の土臺となりまして、格別にこのよっゝの事を宣傳のべつたへました。

 今サウロは今迄いまゝで窘迫せめりましたイエスの榮光を知りました。これ丁度ちゃうど創世紀四十五章三節四節のやうであります。ヨセフはおの兄弟等きゃうだいたちの前に立って、自分は彼等が迫害したヨセフである事を示しました。『ヨセフすなはちその兄弟にいひけるは われはヨセフなり …… ヨセフ兄弟にいひけるはわれにちかよれと かれらすなはち近よりければ言ふ われはなんぢらの弟ヨセフ なんぢらがエジプトにうりたる者なり』。これ丁度ちゃうどしゅが、われはイエスなりと、御自分を示し給ふたと同じ事であります。續いて五節を見ますと『されど汝等なんぢらわれをこゝにうりしをもて憂ふるなかれ 身をうらむるなかれ 神生命いのちをすくはしめんとてわれ汝等なんぢらさきにつかはしたまへるなり』。丁度ちゃうどこの通りに、今迄いまゝでサウロが窘迫せめたイエスが、今御自分の榮光を示し、天のくらゐより御自分のめぐみの聲をきかしめ給ひました。又これはサウロを救はんがためで、かれ今迄いまゝでの罪を赦し給ふた事を悟らしめ給ひました。

サウロの悔改くいあらため

五、六節

 『なんぢとげあるむちけるかたし』。多分今迄いまゝでサウロは良心にひどく責められた事があったでせう。ステパノのあきらかなあかしを聞きましたから、又ステパノによりて神の榮光を見ましたから、心のうちに責められた事がありましたでせう。外部うはべ大膽だいたんしゅイエスに反對してりましたが、心のうちには其樣そんかんがへがあったと思ひます。今つひにイエスに降參しました。

 『かれをのゝおどろきていひけるは しゅわれなになさしめんと給ふや』(六節)。すなはちサウロはイエスに全く身もたまも献げました。今迄いまゝで惡魔につかへましたやうに、これからしゅつかへたうございました。放蕩息子が自分のうちに歸りて、父のしもべとなるために身もたまも献げましたやうに、サウロは今悔改くいあらためて、たゞしゅの命令に從ひたうございました。これはサウロの悔改くいあらためであります。だ少しもすくひの光がありません。又慰藉なぐさめもありません。ども悔改くいあらためました。又其爲そのためすくひを得ました。すくひを得たといふ確信がありませんけれども其處そこしゅイエスに降參しましたからすくひを得たと思ひます。

 『しゅかれにいひけるは おきまちいれ さらばなんぢなすべき事を示さるべし』。うですからしゅたゞちに光を與へ給ひません。又慰藉なぐさめを與へ給ひません。この人は三日間くるしんで暗黑くらきうちりました。又其間そのあひだ恐れてりました。しゅたゞち其樣そのやう罪人つみびとを慰め給ひませんで、かへっその三日間のくるしみために、段々その心を深く掘り給ひまして、尚々なほなほ深く敎へ、さうして廣い全きすくひを與へ給ひます。路加傳ルカでん六章四十八節を御覽なさい。『土を深くほり基礎いしずゑ磐上いはのうへおけるが如し』。しゅは今其樣そのやうに深くその土を掘り給ひたうございます。サウロは其時そのとき自分の罪を深く感じまして、多分自分のやうな者はとてすくひる事が出來ぬと思ったかも知れません。自分の罪の如何いかにひどいかを知りまして、少しものぞみがないと思ったかも知れません。どもかく今迄いまゝでの罪を捨てました。又しゅイエスはまこと救主すくひぬしなる事を知りました。しゅたゞしい審判主さばきぬしなる事をも知りました。うですから今自分が此儘このまゝほろぼされましても、しゅ正義たゞしきめましたでせう。ども段々祈禱いのりを始めました。十一節をはりに『彼はいのりをり』とありますが、これは神がいひ給ふた事であります。其通そのとほりにサウロは祈禱いのりを始めました。必ずその祈禱いのりしゅ憐憫あはれみすくひを求むる祈禱いのりであったに相違ありません。舊約全書の約束を想出おもひだして、あるひは神は其程それほどおほいなる罪でも赦し給ふ事が出來るかも知れんと思って祈りましたでせう。神はつひその祈禱いのりに答へて、其時そのときまぼろしを見させ給ひました。十二節かつアナニヤといふ人きたりてみることを得させんがため手をその上におきしとまぼろしに見たればなり』。神はこの罪人つみびとを慰めんがために、つひこのまぼろしを與へ給ひました。そのまぼろしによりてサウロの心のうちに、段々のぞみが起りました。又自分を導いてくれる人を待望まちのぞみました。

七節

 七節を見ますと、サウロがはじめしゅイエスの聖聲みこゑを聞きました時に、彼とともった者共ものどもその聲を聞きました。又幾分いくぶんか神の御臨在を感じましたでせう。神は其時そのときその人々をも共に救ひたく願ひ給ふたと思ひます。その團體全體をことごとく救ひ給ひたうございました。ども其中そのうちたゞ一人ばかりが、神に降參してすくひを得ました。度々たびたび傳道會の時に、其樣そのやうな事があります。神はその御臨在をあらはして、其處そこる人々皆を救はんと願ひ給ひますが、又皆が幾分いくぶんか神の御臨在を感じ、又神の聖聲みこゑを聞く事を得ますが、おほくの人は神に悔改くいあらためないまゝ自分の家に歸って、すくひをりを失ひます。

 どもサウロは神の聖聲みこゑを聞きましたために、全く碎かれました。始め彼がダマスコに參ります時には、非常なる權威と威光とを示して、人々の前に大人物と思はれ、すべての物を自分の足のした蹈付ふみつけねばまないといふやう意氣込いきごみで參りましたが、愈々いよいよその町にはいる時には、あはれむべきめくらの乞食のやうなふうはいりました。神はそのやうに高ぶれる者を、即座に低くし給ふ事が出來ます。うですから迫害せられました信者は、サウロを恐れるはずではありませんでした。神は其樣そのやうたちまち迫害者を全く砕き給ふ事が出來ます。神は其樣そのやうたちまち働き給ひました。サウロは兇言おどしと殺氣を吐いてヱルサレムを出ました。すなは兇言おどしと殺氣ははじめかれ氣息いきでありましたが、今ダマスコにはいりました時には、祈禱いのりかれ氣息いきになりました。全く心が變りました。今全く子供のやうになりまして、全く碎かれた心をもって神に祈りました。

三日間の暗黑くらやみ

八、九節

 神はこの三日間にそのはたらきを成就し給ふ事を得ました。今神はサウロを慰藉なぐさめに導くために、人を選び給ひました。神は此時このときに御自身から直接に慰藉なぐさめを與へ給ひません。三日のあひだくるしみうちに待たしめ給ひましたのちに、御自分の使者つかひを遣はし給ひまして、その使者つかひによりてたちま慰藉なぐさめを與へ給ひます。私共わたくしどもは神の御働おんはたらきをする時に、き込んで急いではなりません。神は度々たびたび靈魂たましひをして待望まちのぞましめ、御自分の前にへりくだり、碎けて來るやうになし給ふ事があります。うですから私共わたくしども其樣そんな時に、無理にき立てゝはなりません。神は度々たびたび罪にくるしめる者を待望まちのぞましめ給ふ事がありますが、時が參りまして私共わたくしどもを遣はし給ふ時には、神はにはかにその人を慰め給ひます。

 多分其時そのときダマスコに多くの信者がありましたが、神は其中そのうちにサウロを導く事の出來る人たゞ一人を探し、つひにアナニアを見付け給ひました。神はヱルサレムのおほくの信者のうちより、こと使徒等しとたちうちより選びたうございましたでせうが、一人もありませなんだ。『われ一箇ひとりの人の國のために石垣を築きわが前にあたりてその破壞處くづれぐちに立ちわれをしてこれほろぼさしめざるべき者を彼等のうちたづぬれども得ざるなり』(以西結書エゼキエルしょ廿二章卅節)。其樣そのやうにサウロを導くに足る者が一人もありません。どもダマスコの信者のうちに一人、かういふ信仰と愛の働人はたらきびと見出みいだし給ひました。アナニアは按手禮あんしゅれいを受けた人ではありません。たゞ普通の信者でありました。ども神はその平信徒へいしんともって使徒を選び、その使徒に手をきて、聖靈を授けしめ給ひました。神はこれによりて、御自分は自由に働き給ふ事を示し給ひます。或時あるとき按手禮あんしゅれいを受けました者が、ほかの人に手をく事を得ます。ども或時あるときには神は自由に働き給ひまして、それ以外に使徒を起し給ひます。

個人傳道者に對する嚮導みちびきと奬勵

十節

 神は今迄いまゝで度々たびたびこの人と語り給ひましたに相違ありません。うですからアナニアは必ず神の聲に馴れてったと思ひます。よく神の聲がわかりました。多分神は今迄いまゝで度々たびたびこの人に、格別の事を命じ給ひましたでせう。又この人は喜んで神の命令に從ひました。うですから神はアナニアを詳しく導き給ふ事を得ました。

十一節

 すなはその町の名をも、又その家をも、又その家にる人の名前をも知らせ給ひました。これは實際上の嚮導みちびきであります。神は斯樣かやう私共わたくしどもを詳しく導き給ひたうございます。私共わたくしどもはアナニアのやうに斷えず神とまじはってりますれば、神はそのやうに明らかに、碎けたる心をもっ罪人つみびとの所に私共わたくしどもを導き給ふ事が出來ます。ども神と親しいまじはりが出來てりませんならば、神の確實たしか嚮導みちびきを蒙る事が出來ません。

 『彼はいのりをり』。そのしるしによりて、アナニアはサウロの碎けたる心を知りました。多分サウロは今迄いまゝで儀式的の祈禱いのり度々たびたび献げましたでせうが、今始めて心からの祈禱いのりを献げました。神はその祈禱いのりに答へて、アナニアをかれの所に遣はし給ふたのであります。アナニアはサウロの祈禱いのりこたへでありました。丁度ちゃうどそのやうに神はあなた罪人つみびと祈禱いのりこたへとしたうございます。

十二節

 神はそのやうにサウロの心を備へ給ひました。今でも度々たびたび斯樣かやう罪人つみびとの心を備へ給ひます。私共わたくしども度々たびたび罪人つみびとに福音を語る時に、案外にその人の心が備へられてて、その人が案外に從順すなほ私共わたくしどもことば受納うけいれる事があります。それなんためでありますかならば、神はサウロの心を備へ給ひましたやうに、その人の心を備へ給ふたからであります。

十三、十四節

 アナニアはサウロといふ人はどういふ人であるか、又その人の權威とはたらきを知ってりましたから、その人が救はれると信ずる事は困難でありました。普通の罪人つみびとなれば救はれると信ずる事が出來ますが、かういふ罪人つみびとが救はれるとはおもひも寄らぬ事であります。かへってかういふ罪人つみびとほろぼされるのが當然あたりまへであると思はれました。アナニアは其時そのとき肉にけるかんがへもって、『肉體にり人をり』ました。どうぞ私共わたくしどもは聖靈に敎へられて、人を見たうございます。神はアナニアの信仰を助けるために、十五節十六節ことばいひ給ひました。

十五、十六節

 しゅためくるしみを受ける者は、必ずしゅを愛する人です。又必ずしゅ其樣そのやうな人を用ひ給ふ事が出來ます。しゅためくるしみを受けるはずでありますなれば、アナニアは其樣そのやうな人を愛します。又喜んで其樣そのやうな人を受納うけいれます。神はこのことばを語りてアナニアの信仰を起し給ひました。私共わたくしども罪人つみびとために信仰がありませんならば、その人々に勸める事は無益であります。罪人つみびとが救はれると信じませんならば、かへって傳道をめる方がよろしうございます。ども神とまじはりますれば、神は私共わたくしどもの愛をはげまし、又私共わたくしどもに信仰を起し又信仰を强め給ひます。

 私共わたくしども或時あるときには時をつひやして、おほやけの說敎のために準備いたします。其爲そのために神とまじはりて、注意深く神の聖言みことばを受けます。アナニアは今たゞ訪問に出ました。どもその訪問のために神とまじはりて、神のめぐみによりて信仰が强められる事を得ました。私共わたくしどももどうぞ一個人いっこじんを訪問する時にも、神とまじはり、その聖言みことばを受けたうございます。信じて訪問に出なければ、その訪問は無益であります。

大膽だいたんなるあかし

十七節

 『こゝおいてアナニアゆきその家にいり』。迫害者の家に、その迫害者を救はんがために參りました。獅子の口にそのかうべを入れたやうなもので、これじつ大膽だいたんなるおこなひでありました。サウロはアナニアを牢屋に入れるために、又アナニアを殺すために參りました。どもアナニアはそのサウロに面會するために、大膽だいたんに參りました。又のぞみもって參りました。又愛をもって參りました。心中しんちうに少しもにがかんがへいだかず、少しもサウロを叱るやうなかんがへちませずに、又サウロにそのひどい罪をさとらせるためではなくして、聖靈を受けさせんがために愛をもって參りました。

 『手をかれの上におきて』。これは愛のしるしでありました。『いひけるは 兄弟サウロよ』。これは愛のことばでありました。『なんぢきたれるみちにて現れし所のしゅイエスなんぢが再びみることを得かつ聖靈に滿みたされんがためわれつかはせり』。自分は神の使者つかひであると知って参りました。又神が遣はし給ふたのですから、神は自分と一緖に働き、又自分をもって、サウロをてらし、又彼に幸福を與へ給ふといふ事を信じました。これは傳道者がってらなければならぬ信仰であります。これは又唯今たゞいまといふ信仰です。かういふ信仰がありますれば、神は唯今たゞいま働き給ひまして、その罪人つみびとに力ある御恩惠おんめぐみあらはし給ひます。

 今迄いまゝでサウロは暗黑くらやみうちくるしんで、嘆きかなしんでりました。今迄いままで地獄の空氣を吸ふて、自分がすくひを得られるかどうかと疑ってりました。どもアナニアによりて神の聖聲みこゑを聞きましたから、續いて嘆きかなしはずではありません。續いて恐怖おそれ疑惑うたがひいだ理由わけがありません。全くさういふものを捨てゝ、唯今たゞいまといふ唯今たゞいま、神の恩惠めぐみを受ける事が出來ると信じました。傳道者は罪人つみびとにかういふ事を信じさせる職務つとめってる者です。

サウロ洗禮バプテスマを受けて聖徒のむれり又あかし

十八節

 この名高いパリサイびと、自分は神の律法おきてを全く守ってると思ってましたパリサイびとが、今自分は罪人つみびとである事を告白し、しゅイエス・キリストによりてすくひを得たといひあらはして、バプテスマを受けました。ダマスコに行く時には、祭司のをさより權威を受けて、基督キリスト信者を縛るために參りましたが、今自分は罪人つみびとかしらであると懺悔して、基督キリスト信者のむれに加はる事を得ました。

十九節

 『彼すでにしょくして强健ちからづきたり』。サウロがしょくする事は、左程さほど大切な事ではないではありませんか。聖書のうちに記すべき程の事ではないではありませんか。いゝえこれも大切な事であります。サウロの悔改くいあらためも大切であります。バプテスマを受けた事も、大切な事であります。又しょくする事も大切であります。バプテスマを受けると同じやうに、これも大切な事であります。三日間たゞれいの事ばかり考へ、或時あるときには地獄にはいったやうでありましたでせうが、つひに天國にはいりました。ども人はたゞれいばかりの者でありません。身體からだってる者でありますから、サウロの靈魂たましひ最早もはや天にきましたが、身體からだを養ふためしょくする事は大切であります。私共わたくしどもこの身體からだを大切にしなければなりません。

 『かくてサウロは數日すじつあひだダマスコにある弟子等でしたちまじはり』。必ず謙遜へりくだりもって、この愛する兄弟姉妹とまじはったに相違ありません。今どうかしてこの愛する神の子等こたちに愛をあらはし、又どうかして今迄いまゝでの罪を赦されて、この信者等しんじゃたちに報いたうございました。必ずそのまじはりはうるはしかったに相違ありません。又ダマスコに信者等しんじゃたちは、それによりておほいなるめぐみを得たと思ひます。又其爲そのためにサウロを愛しましたでせう。

廿節

 一週間程前までこの人は、イエスを神の子なりといふ者は、神の名をけがす者であるから、これほろぼさねばならぬと思ってましたが、今自分がイエスは神の子なりと言ってあかししました。約翰ヨハネ第壹書だいいっしょ四章十五節を御覽なさい。『おほよそイエスを神の子なりといひあらはす者は神かれにをりかれ神にをる』。うですからサウロも必ず其爲そのために、神と親しいまじはりる事が出來たに違ひありません。又同じしょ五章五節に『たれよく世にかたん イエスを神の子と信ずる者にあらずや』とあります。今迄いまゝでサウロは此世このよ風俗ならはしに從ひました。どもいま世に勝つ力を得ました。イエスは神の子である事を知りましたから、かちる力を得ました。

廿一、廿二節

 『サウロはますます堅固つよくして』。これは正しい順序です。ある信者は益々ますます弱くなって參ります。ども眞正ほんたうしゅに從ふ者は、益々ますます强くなります。詩篇八十四篇七節『かれらは力より力にすゝみ』。私共わたくしどもしゅに服從して、このやうに子供の弱さを後ろに捨てゝ大人おとなの力を得たうございます。

 サウロは益々ますます强くなって、大膽だいたんにイエスはキリストなりあかししました。大膽だいたんに、あきらかにしゅイエスの事をあかししました。私共わたくしどもは新しく悔改くいあらためました者に、直接大膽だいたんあかしするやうに勸めなければなりません。サウロのやうに早速しゅイエスの事をあかしいたしますれば、其爲そのために必ず益々ますます强くなります。

新約のサウロと舊約のサウル

 これは新約のサウロの悔改くいあらための話でありますが、これを舊約のサウルの話と比較したうございます。撒母耳前書サムエルぜんしょ十章六節『の時神のみたまなんぢにのぞみてなんぢかれらとゝもに預言しかはりて新しき人とならん』。これはサムエルがサウルに言った事であります。其樣そのやうに舊約のサウルは早速新しき人となりました。又其時そのときから七節のをはりのやうに、神が彼とともいまし給ひました。九節を見れば、神は彼に新しき心を與へ給ひました。十節を見ますと、サウルは一群ひとくみの豫言者のむれりて、豫言しました。新約のサウロもその通り、新しき人となりましてから、基督キリスト信者と一緖に、しゅイエスの事を述べて豫言しました。舊約のサウルは、其樣そんたふとめぐみを得た者でありましたが、のちに堕落しました。又そのめぐみを失ひました。新約のサウロはその事を常に恐れました。哥林多前書コリントぜんしょ九章廿七節おのれからだうちこれを服せしむ そはほかの人ををしへみづかすてられんことをおそるればなり』。一度ひとたび聖靈を得ました者は、自然にきよき道を步むはずであります。聖靈が來り給ひましたから、その聖靈に守られて生涯を暮します。ども高い恩惠めぐみを得ました者でも、堕落する事は出來ます。うですから私共わたくしどもは、何時迄いつまでも氣を附けて步まなければなりません。

個人傳道者のむっゝの心得

 サウロの悔改くいあらためは、一番めづらしい、又一番驚くべき奇跡でありました。世のはじめより今に至るまでうちこれは最もおほいなる奇跡でありました。又神はこの奇跡によりて、おほいなる結果を遂げしめ給ひました。今に至るまで私共わたくしどもはパウロの悔改くいあらためめ、又彼が書いた書翰によりて、恩惠めぐみを得ます。うですからこの奇跡の結果は、今日こんにちまでに及んでります。神はこの奇跡的恩惠めぐみを、たれの手によりて成遂なしとげ給ひましたかならば、アナニアといふ平信徒へいしんとの手をもっ成遂なしとげ給ひました。

 今一寸ちょっとアナニアの事を見たうございます。私共わたくしどももアナニアのやうに個人傳道しますれば、かういふ心がなければなりません。第一、神と親しきまじはりをせなければなりません(十節)。第二、神のみちびきに從はなければなりません(十一節)。第三、一番惡い罪人つみびとも救はれると信ずる信仰がなければなりません。又其樣そんな人でも、即座に救はれると信ずるはずです(十七節)。第四、大膽だいたんかねばなりません(十七節)。第五、愛をもっかねばなりません(十七節)。第六、今その人が聖靈に滿みたされる事が出來ると信ずる信仰がなければなりません(十七節)。どうぞみたまによって、このむっゝの點についてアナニアのやうな個人傳道者となりたうございます。

信じ易き心

廿三〜廿七節

 サウロは直樣すぐさま危險にひました。れども彼は生命いのちを賭けてしゅに從ひました。猶太人ユダヤびとがサウロを殺さんとはかりましたから、彼はヱルサレムに參りました。ども廿六節を見ますれば、ヱルサレムにある信者等しんじゃたちは、サウロを信じません。うですからサウロはじつあはれむべき場合でありました。敵はサウロを殺そうとしてゐますし、信者は彼を信じません。ども其時そのときに、『バルナバは彼をひきて使徒たちのもとに至り』(廿七節)。バルナバは勸慰なぐさめの子です(四・卅六)。又聖靈に滿みたされてる者でありましたから、この兄弟を早く信じました。加拉太書ガラテヤしょ五章廿二節にある、みたまの結ぶひとつの事は、信仰であります。(日本語に忠信とあるのは英語では信仰(faith)とあります)。その意味は、聖靈を宿しますれば、の人々を信じます。すなはち信じ易い心があります。ある信者は何時いつでもほかの人々を疑ひまして、うたがひといふ罪に陷ります。ども聖靈の愛に滿みたされました者は、人々を信じます。其爲そのために時にだまされる事があるかも知れませんが、しかこれはキリストのれい、キリストの心であります。私共わたくしどもは信じ易い者となりたうございます。バルナバは其樣そんな人でありまして、又其爲そのために彼はよく友を得ました。此時このときからバルナバは、パウロと心をあはせて傳道しました。神はバルナバによい友を與へ給ひました。心をあはせて一緖に傳道する事が出來る友達は、いとたふとき神の賜物であります。私共わたくしども祈禱いのりもって、其樣そんな友を求めなければなりません。

 バルナバは何を申しましたかならば、廿七節にサウロが見た事、聞いた事、又あかしした事を告げました。『その途中みちにてしゅを見しこと』、これは第一です。『又しゅの彼に語り給ひしこと』、これは第二です。『およびダマスコにありはゞからずイエスの名によりかたりしことをつげたり』、これは第三の事であります。

はゞからず』

 『はゞからず』と云ふことばに、格別に氣をお附けなさい。又それついて祈りなさい。四章十三節に『彼等ペテロとヨハネの忌憚いみはゞかる所なきを見て』。これはペテロとヨハネの精神でありました。はゞからずしてイエスの事を宣傳のべつたへました。四章廿九、卅節弟子等でしたち祈禱いのりが記してあります。『なんぢ僕等しもべらに臆する事なくなんぢことばのぶることを得させよ』。私共わたくしどももかういふ祈禱いのりを祈らねばなりません。又パウロの傳記において、格別に此事このことを見ます。十三章四十六節『パウロとバルナバ毅然はゞからずしていひけるは』。十四章三節『彼等は久しく彼處かしことゞましゅよりはゞからずみちを傳ふ』。十九章八節『パウロは會堂にいりはゞからずして神の國の事を論じ』。これはパウロの精神でありました。(又帖撤羅尼迦前書テサロニケぜんしょ二章二節をも御覽なさい)。どもパウロは其爲そのため祈禱いのりを願ひました。以弗所書エペソしょ六章二十節『又わがいふべき所の如くこれ侃々はゞからずして言得いひうるやうわがためにも祈るべし』。神は其樣そのやう祈禱いのりに答へ給ひます。

 私共わたくしどもそのやうに、パウロの精神を求めて、しゅイエスの武者つはものとなる事を求めなければなりません。聖靈を得ますれば、一方から申しますれば、優しい柔和な心を得ます。どもはうから申しますれば、兵卒らしい堅き意志、又眞正ほんたうに燃え立ってる熱心を受けます。

迫害のうちに於けるみちびき

廿八、廿九節

 サウロ自身はギリシヤ方言ことば猶太人ユダヤびとでありました。さうですからづ第一に、さういふ人々にすくひを勸めました。どもさういふ人々は、サウロを殺さんと計りました。今迄いまゝでサウロはたふとい人の友達、又祭司のをさに敬はれた人でありました。どもしゅイエスのために、ヱルサレムのうちで、一番憎まれる人、一番輕蔑せられる人となりました。どもサウロは、しゅイエスのために、喜んでそれをも經驗しました。神はそれによりて、サウロを異邦人に導き給ひました。廿二章十七、十八節を見ますれば、神は其時そのときまぼろしもって彼を導き給ひました。『われヱルサレムに返り聖殿みやおいて祈れる時まぼろしにて見けるは しゅわれにむかひて 急げ 彼等はなんぢわれについてたてあかしうけざるがゆゑすみやかにヱルサレムをいでよといひたまへり われいひけるは しゅわれもとなんぢを信ずる者をとらあるひは諸會堂にてこれむちうちしことを彼等はしる またなんぢ證人あかしびとステパノのその血を流さるゝ時われかたはらたちその殺さるゝをよしとし彼を殺す者のころもを守れり しゅわれにいひけるは ゆけ われなんぢを遠く異邦人いはうじんつかはすべし』(十七〜廿一節)。パウロは續いてヱルサレムに福音を宣傳のべつたへたうございましたが、しゅは異邦人にけよとおほせ給ひました。これは今此時このときまぼろしでありました。

 神は此時このときの迫害によりて、サウロを自分の町に導き給ひました。

三十節

 サウロはすなはち自分の故鄕タルソに導かれました。さうして其處そこに八年間靜かにとゞまりました。彼はその八年のあひだ、靜かに聖書を讀み、また祈り、また靜かに自分の知人しりびとしゅイエスをあかししてりました。神はサウロの信仰を育てるために、又かれの傳道の力を養ふために、その長いしづか期間ときを與へ給ひました。

敎會のまこと繁昌はんじゃう

三十一節

 神は迫害者をとらへ給ひましたから、今敎會はおだやかに發達する事を得ました。神が與へ給ふ所の、敎會のまこと繁昌はんじゃうとはういふ事であるかと申しますと、第一に『平安おだやか』です。第二に『しゅを畏れ』る事を學ぶ事。第三は『事を行ひ』てしゅために働く事。第四『聖靈のなぐさめ』をる事(英譯にはなぐさめ(comfort)とあり)。第五は『そのかずいやまさ』りて罪人つみびとが救はれる事です。私共わたくしどもこの三十一節に從って、日本の敎會のために、こんな繁昌はんじゃうを神に祈り求むるはずであります。

信仰の命令とその結果のリバイバル

卅二節

 卅二節からまたペテロの傳道の記事があります。八章廿五節を見ますれば、ペテロはサマリアよりヱルサレムに歸りましたが、その節によりてわかりますやうに、ペテロはサマリアのリバイバルを見まして、おほいに勵まされ、新しく傳道の熱心を得ました。うですから今この卅二節を見ますれば、同じ熱心をもって、『あまねく諸方の地を經て』福音を宣傳のべつたへました。ペテロは今イエス・キリストの最後の御命令に従ひますから、しゅも彼と共に働き、かれの手をもって不思議なる御業みわざあらはし給ひます。

 このルッダといふ村にも聖徒がありました。八章一節を見ますれば、ヱルサレムの迫害のために、其處そこの信者はユダヤとサマリアの地にちらされました。又その四節には、その信者等しんじゃたちあまねきて福音を宣傳のべつたへたとあります。多分その傳道のために、このルッダにも救はれた人が起ったのでせう。ペテロは今其處そこに參りました。

卅三、卅四節

 神はペテロにこの人がいやされるといふ信仰を與へ給ひました。ペテロはしゅイエスがし給ふた事を覺えて、今しゅイエスと共に働きて、この人をいやしました。馬可傳マコでん二章に、しゅイエスが癱瘋ちゅうぶの者に『おきとこをとれ』と命じ給ひましたやうに、ペテロは唯今たゞいまこの癱瘋ちゅうぶの者に『アイネアよ イエスキリストなんぢいやおきなんぢみづからとこをさめよ』と命じました。彼はしゅイエスが必ず自分と共にいまして、昔の癱瘋人ちゅうぶやみに語り給ふたやうに、今この癱瘋人ちゅうぶやみにも語り給ふと信じて、其樣そんな命令を與へました。ペテロは此時このときに、格別にこの人のために祈りません。ども信じて命令しました。四十節おいてもペテロは、信仰の命令を與へました。私共わたくしども其樣そんな命令をする事が出來ない事によりて、だ自分の信仰が足りない事を認めなければなりません。

卅五節

 アイネアがたゞちいやされましたために、リバイバルが起りました。ルッダの町及びサロンといふところに住めるすべての人が、これを見てしゅしました。(サロンといふのはひとつの村でなく、おほくの村のある廣い平原であります)。アイネアの身體からだいやされたために、れいの大リバイバルが起りました。どうぞ神が私共わたくしどもにも、かういふ奇跡を行ふ事の出來る、信仰を與へ給はん事を、祈り求めたうございます。

 『すべての人これを見てしゅせり』。しゅするといふことばを、使徒行傳で度々たびたび見ます。(十一・廿一十四・十五十五・十九廿六・廿)。これは面白い事です。たゞ悔改くいあらためたばかりでなく、又たゞ福音を了解するばかりでもなく、しゅ御自身にし、しゅ御自身とまじはり、御自身を友とする事であります。

卅六〜四十二節

 卅六節より神はペテロの手をもってもう一つの奇跡を行ひ給ひました。タビタといふ人が死にましたから、弟子等でしたち使者つかひを遣はして、ペテロをまねきました。其樣そのやうわざはひが起りましたから、信仰の厚い人に慰藉なぐさめに來て貰ふ事を願ひました。あるひこの信者は心のうちに幾分か、ペテロはあるひこの人を生返いきかへす事が出來るかも知れぬといふのぞみがあったかも知れません。この信者は福音の力を經驗し、又神の恩惠めぐみを知ってりましたから、あるひは神はこの死人のため祈禱いのりに答へ給ふかも知れぬといふ、ちひさい信仰があったかも知れません。ペテロはしゅイエスが、ヤイロのむすめよみがへらし給ふた事を覺えてましたから(馬可傳マコでん五章卅八〜四十一節)、其時そのときしゅがなし給ふたやうに、『彼等をことごとく外にいだひざまづきて祈り』、又其爲そのために信仰が起りましたから、『しかばねむかいてタビタよおきよ』と命じました。これ眞正ほんたうに信仰のわざでありました。ペテロはたゞ祈ったけでなく、しかばねむかって命じました。しゅイエスは其時そのときに共に働き給ひましたから、それによりてしかばね生命いのちを得ました。この奇跡のために神はおほいなるさかえを得給ひました。

更に廣きはたらきためにペテロを備へ給ふ

 ペテロは段々だんだん神のみちを知る事を得ました。段々だんだん福音の自由を得ました。

四十三節

 この皮工かはなめしといふ職業は普通の猶太人ユダヤびとが憎んでた職業でありました。又その職業をする人の家には、必ずとまりません。どもペテロは神に導かれて自由を得ましたから、その人に愛をあらはして、その人の家にはいってとまりました。神はそれによりて段々だんだんペテロを導き給ひました。ペテロを備へ給ひました。十章おいて神は彼を羅馬人ローマびとの家庭に導きて、羅馬人ローマびとを救ふために遣はし給ひたうございましたから、づ彼を備へんがために、段々だんだん彼を導きて、今シモンの家に宿らしめ給ひました。

 うですから三十二節から四十三節までの事によりて、神は段々だんだんペテロを、コルネリヲの家に導く準備をなし給ひました。其時そのとき神はかれの手によりて罪人つみびとを救ひ、又奇跡を行ひ給ひましたが、神の眞正ほんたう目當めあては、たゞそのめでなく、むしろ彼を導きて羅馬人ローマびとに傳道せしむるための準備でありました。これは一番大切の事でありました。この傳道旅行をする前には、彼は決して羅馬人ローマびとの家にりて、あかしするやうな事は出來なかったに相違ありません。ども神は段々だんだんペテロを導き、その心を廣くし給ひましたから、つひに彼は羅馬人ローマびとの家にりて、羅馬人ローマびとを救ふ事が出來たのであります。

 神は私共わたくしどもを導き給ひます。今の傳道も元より大切ではありますが、それよりも神は今の傳道によりて私共わたくしどもの信仰を强め、又私共わたくしどもの心を廣くし、愛を厚くして、段々だんだん私共わたくしどもを導いて廣いはたらきを命じ給ひたうございます。神はそのやうにその働人はたらきびとを育て給ひます。おおどうぞ私共わたくしどもは、今のはたらきを熱心に努め、それによりて神の敎育と嚮導みちびきを得まして、尚々なほなほ大切なるはたらきの出來る者になりたうございます。今の傳道は大切です。どもあとの傳道は尚々なほなほ大切であります。どうぞ今のはたらきによりて敎へられて、尚々なほなほ神のために廣いはたらきの出來る力を得たうございます。

四種ししゅの人

 この九章おいて、四人の惠まれた信者の話を讀みました。私共わたくしどもこの四人の精神に勵まされたうございます。アナニアのやうに、一個人いっこじんを導く力を求めたうございます。又バルナバのやうに、ほかの人々を信用する心を求めたうございます。又パウロのやうな大膽だいたん、又ペテロのやうに、神の御力みちから依賴よりたのむ信仰を求めなければなりません。



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